第23話

「あまり好ましくはないが・・まぁしょうがないっすかね」


 カイルはピリピリとした緊張感を放ちながらその場所に立ち尽くす。空には星の光で埋め尽くされた夜空が広がり、その真下、大地が削り取られたかのように数キロにもわたって広がる大穴がぽかりと口を開き、カイルたちを誘うかのように風の声を轟々と唸らせている。

 地図に記された場所はここで間違いないのだろう。辿り着きはした。だが問題が二つほど。


 日中のうちに着くだろうと高を括っていたがすっかり夜になってしまったこと。それよりも重大なのは同行者がいるということだ。一人でこの場所に来ればカイルは難なく宝を取って帰っていったのだろう。だが、同行者がいるともなればそう簡単にはいかない。

 この同行者があの野郎なら吸血鬼共に食わせておけば済んだ話。だがこの薔薇のような乙女には傷一つだってつけてはいけない。他でもない自分に課したルール。それを破らないからこそカイルはここまで強くあれたと自負する。


 もう引き返せはしない。彼女はきっとそうさせない。その病的な好奇心も魅力の一つだろう。今もこうして彼女はその可憐な顔ですべてを飲み込もうとする暗く深い穴を瞬き一つせずに覗き込んでいる。


 アーニャは全くその通りでこれから起こるすべての事に胸を弾ませていた。


 ここはフローディアの最果て。いつだったかイヴがそれを教えてくれたことがある。

 最果てとはいっても地理的な意味ではなく、最も人間の手による開拓が困難な場所と言う意味で言われている。

 もっとも、普通の人間はここまでたどり着くことすらできないのだが。


 最果てはフローディアの至る所に存在し、イヴのような者たちすら、いや、者たちであるからこそ恐れられている。いつからそこに存在するのか、何がそこに存在していたのか、その場所にまつわる過去が一切切り捨てられた場所。そこが最果てだと断言できる根拠は様々だが、その場所だけ明らかに環境が違っていることが代表にあげられる。

 気温、瘴気、重力、空気の流れ、その地を構成する物質・・人間にはそれらの違いを理解するのは到底困難なことだがフローディアの先住民は足を踏み入れた時にすべてを察し、すぐさまその場所から立ち去るのだとイヴは言う。禁断の土地、それがフローディアの最果てだ。


 カイルはそれを理解しているのかいないのかゆっくりと馬を穴へと進めていく。穴とは言っても巨大な窪地のようで、穴へと続く坂道は意外にもゆったりとしていた。

 逆を言えば、気づくことなくその土地に足を踏み入れてしまってもおかしくはないのだ。それはまるでアリジゴクのように、気がついた時には逃げることもできずにその土地に殺される可能性だって十分にあり得る。


 馬に揺られながらアーニャは小さく呟く。


「重たくなってきたわね」


 カイルはその一言に面を喰らった。


「・・・分かるのかい?」


「ええ、なんとなくね」


 重圧というべきか、息が苦しくなるような感覚をアーニャは覚えていた。実際にはアーニャは普通に息をしている。五体が感じている以外の何かを感じ取っていたのだ。

 カイルにはそれが分かっていた。分からないのはこのアーニャがそれを感じ取っているという事だった。


 彼女は、今までにフローディアの何を見てきたのだろうか。開拓者さえ見ることも叶わなかったフローディアの真の姿を彼女はどこかで垣間見ているに違いない。ここにきてようやくカイルは彼女が普通の人間ではないことに気がついた。だがそれについては何も聞かなかった。彼女が何者かは彼女の言う通り重要なことではない。


 馬が歩を進める度にその感覚が大きくなっていく。


「これが吸血鬼のオーラってやつかしら?」


「いいや、吸血鬼やつらじゃないさ」


 それよりももっと崇高なもの、或いはその対岸に位置するもの。人の存在など気にも留めないような絶対的な存在。大地そのものか、それを司る存在か。それはカイルにもイヴにも分かりはしない。大いなる闇が二人を飲み込んでいく。

 

 吸血鬼も人間と同じ招かれざる者ならば確かにここに足を踏み入れてもおかしくはない。何も知らずに踏み込んできたかどうかは定かではないが。奴らは人間よりはこういった感覚にいくらか敏感だ。

 カイルは闇の奥に何らかの気配を感じている。鳥の声も虫の声も聞こえないその奈落の中に何かが蠢いている。



 奈落の底は意外にも浅かった。西部でも良く見られるような土地ではある。二人を取り囲むようにそびえたつ崖。さっきまで自分がこの地を見下ろしていた場所だ。崖の高さは百メートルを切るかどうかというところで決して不自然な土地ではなかった。

 ただ一定の間隔を置いて、まるで石碑のように二十メートルはあろう縦に長い岩がそこらじゅうに立っていることと、すでに押しつぶされた後ではないかというくらいの重圧を感じること以外は。


 この地に何があるのか、そんなことは知りたくもない。何が存在していたのかも、何がこの地で殺されたのかもどうでもいい。一刻も早くこの禁断の地から宝を探し出して抜け出せればそれでいい。


「重たい感覚は大丈夫かいハニー・バニー」


 自分は血反吐すら吐き出しそうだ。


「ええ。その気になれば切り離せるもの」


「随分器用だね」


 彼女は完全にフローディアの人間ではないからだろうか。感覚の遮断。なるほどと思いカイルはそれを試みるがなんの効果もない。重圧は切れ目なく自分を上から下から押しつぶす。

 早いところ宝を探すべきだろう。


 カイルはもっと分かりやすい場所を想定していた。例えば洞窟。吸血鬼の住処。光の届くことのない吸血鬼たちの安住の地。それが自分の目の前には良く開けた大地が広がっているだけ。不気味なくらい平面な大地。目を凝らすと月の光を反射して大地が薄く水色に光っている。実際にこの目で見えているのか、この地がそう見せているかどうかは不明だ。


 あの老人はどうしてこんな場所を選んだのだろうか。それだけが手がかりだ。吸血鬼にまつわるものをこの地からは一切見て取ることができないでいる。

 せめて宝の正体を知ることが出来ればもう少し捜索は楽になったろう。馬を進めるが邪魔臭い石碑をひたすら通り過ぎるだけでそれらしき場所など何もない。


 一分を過ぎる度に自分の中の何かが掻き消えていくような、そんな気がしていた。自分が光だとするならそれが弱弱しくなり最後には消えてしまうような・・命の篝火とは別の光が今まさに消え失せようとしている。その光とはいったいなんだろうか?何をもってこの感覚を覚えている?


 思考を巡らすカイルの帽子が銃声とともに後ろへと飛んでいく。カイルは闇の中、光も無く佇む人影に向かって睨みを飛ばす。


「・・・なんだ、君たちか。どこまでも熱心だな。でも期待には応えられないぞ。生憎そういう趣味はないんだ」


「減らず口のコツは同じ相手に同じことを二度言わないことだ。今のはご挨拶の発砲だぞ。二度目は当てにいく。俺は口が減らない男だからな」


 闇夜から再び現れたあのブロンドと赤毛。そんなことはどうでもいい。カイルには今の発砲が全く予想できなかったことが気がかりだった。そればかりが頭を巡っていた。


「・・どうやら俺も余裕かましてる暇はなさそうだ」


 小さく呟き、カイルは馬から飛び降りる。その地に足が付いた時地面に飲み込まれる感覚さえ覚えていた。どうにか振り払い二本足で最果てに立つ。

 目の前にいるのは幸いなことにただの悪漢二人だ。吸血鬼ほど手ごわくはないが、だからこそ自分にとっては不利になる。彼らはきっとこの土地を感じてはいない。


「容赦はしないぞチンピラども。悪いが全力でいかせてもらう」




 まだすべてを失ったわけじゃない。どうかそうであってほしい。

 リックはすぐにドルムドを抜け出した。彼の背後ではまだサルーンが火の手をあげている。火が尽きるまではかなりの時間がかかるだろう。燃え盛る火は簡単には消えない。リックの内側に灯る冷たい炎もまた決して消えることは無いだろう。


 ドルムドの横に止めてあった幌馬車ほろばしゃ二台が消えていた。あの幌馬車が奪われたのでなければまだボスやその側近は生きている。決して大きくはない幌馬車二台。それがわが家の最小単位だ。

 どこかの娼婦の腹から生まれたリックの最古の記憶は幌馬車から湖を父と見ていた記憶だった。母親という存在があって自分がいるのだと歳が二桁になって初めて知るまで、父とその仲間と幌馬車がリックのすべてだった。


「あの湖は俺のものだ」


 父のしゃがれた声をよく覚えている。それがどういうことか幼いリックには分からなかったが、この光り輝く水面も、青々と茂る草木も、か細い声で鳴く小鳥も、そしてこの幌馬車も、それに乗る仲間たちも父の所有物だと教えられたとき、リックは初めて誇らしいという感情を覚えたのだった。


 だからリックは幌馬車を追う。通行人が指し示した方向へと馬を走らせる。


 背後に感じていた炎の明かりも無くなって暗闇の中へと引き戻されたリックは複数の馬蹄の音を後方で聞いていた。自分が走らせる馬よりも明らかにスピードが出ている。こめかみから汗が垂れたが手足は震えなかった。

 自分の馬は弱っていて後方の人間を巻くことは叶わないだろう。ましてあの『暁』だとしたならじきに自分を追い抜くだろう。もしくは後ろから撃つか・・・いや、それはない。そうするのだとしたら最初からあの洞窟で何回でも自分を殺せたはずだ。


 足音はリックの予想通り近づいている。確実に自分を追っている。リックは逃げもしない。隠れもしない。ただ幌馬車を追う。その方向へと進むだけだ。


 やがて馬に乗った二つの人影がリックを軽く追い抜くとリックの目の前で止まった。


 見覚えのある顔だった。


「・・あんた、ハモンドのところの奴だろ」


 カーキ色の肌着、だぼだぼのズボンをサスペンダーでつりさげる無精ひげの男。その隣に立つ男も清潔感とはかけ離れた服で、髪の毛は痛みに痛み蜘蛛の巣のように外側へと跳ねている。

 見覚えがあるが名前は知らない。どこで見たかさえも記憶にない。

 こんな男たちに自分の往く道を邪魔されたことに苛立ちさえ覚えていた。


「ああ、後ろで帳簿付けてた兄ちゃんだ。一番弱そうな奴だ」


「・・僕に何の用だ?悪いが先を急いでるし、ドルムドから来たら僕たちが今どんな状況に置かれてるか分かってるだろう?」


 男は黄色い歯を曝してニヤリと笑う。


「もちろん分かってる。だからここまで来たんだ」


 男はいきなり銃を抜いて引き金を引いた。リックは銃に意識を向けてはいたが反応はできなかった。すぐにでも襲い掛かる痛みに耐えようと歯を食いしばったが、肩から地面に向けて落馬しただけで銃弾は自分の身を貫くことは無かった。

 小石に当たったと思しき耳が熱く燃えるように痛む。


 銃弾で額を貫かれたのは自分の乗っていた馬だった。


「あのクソ野郎には何度も煮え湯を飲まされたもんだぜ」


 リックの側頭部にブーツのつま先が飛んでくる。


「ざまぁ見やがれってんだ!!全部自業自得だ!!ハモンドがあの火事ン中で苦しんでるところが見たかったぜ!!」


 背中に、後頭部に、つま先が、かかとが襲い掛かる。男はリックの胸倉を掴むと横っ面を固めた拳で殴りつけた。歯の折れる音が耳の奥で聞こえた。


「てっきり全滅したと思ったが、まだあんたが生きてたとはなぁ。あんた個人に恨みはないが、あのハモンドの一味だと思ったらむかっ腹が立ってしょうがねぇ。最後の最後までぶっ潰してやらねぇと気が済まねぇんだよ!!」


 腫れの引いていた目にまた拳が飛んでくる。リックはとうとう片目の視界を失う。グラスが飛んで来た時よりも深いところに拳が入った。目玉が飛び出していてもおかしくはなかった。欠けた歯を吐き出してリックは言う。


「ハモンドは・・・僕の父だ」


 男二人は顔を見合わせる。そして下品な声をあげながら笑うとまたリックを殴りつけた。


「そりゃ好都合だ!!これで心置きなくあんたをぶっ潰せる!!ハモンドみたいなクソ野郎はこのフローディアのゴミクズなんだよ!!害虫は退治しなきゃなぁ!!」


「それにしてもあんた楽しませてくれるぜ。なんでそんなことをわざわざ言った?今更ハモンドの名前にビビるとでも思ったのか!?」


 それは・・誇りだからだ。父を誇る自らの誇り。ハモンドの一味であることの誇り。お前たちのような恥も外聞もないような悪党以下の腐れ野郎どもとは違う。自分には誇りがある。すべきことがある。

 痛みは倒すべき相手を忘れずにいられる。降りかかる暴力の嵐の中でリックは立ち上がることをやめなかった。


「お前たちの事なんて・・まるでどうでもいい。気にも留めたくない。でも邪魔だ。僕の往く道を邪魔するな。僕の敵はお前らじゃない。お前らの痛みなんて刻みつけたくもない」


 父からもらった痛みと、『暁』から受けた痛みだけでいい。あとは何の価値も持たない。服に着いた砂埃と同じだ。

 リックは尖った小石を拾い上げると拳をあげた男の眼へと突き刺した。眼孔から血を溢れさながら大きな叫び声をあげる。もう一人の男が慌てて銃を構える。だが、二発の銃弾を虚空に撃ち込むとすぐに弾切れを起こしてしまい、男は銃を投げ捨ててリックに背を向けて走り出した。

 リックは腰から銃を抜いて残った片目で狙いを定める。


 視界は決して良くなかったが銃声とともに男は地面に投げ出されうつぶせになったまま動くことは無かった。

 息を切らしながら男たちの乗っていた馬にまたがり再び幌馬車の後を追う。

 馬が揺れるたびに体中に刻まれた傷が悲鳴を上げたが、痛いと感じるのは手のひらの傷だけだった。

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