第14話

 誰かの命が潰えるとき、夜空に瞬く星が増える。

 今ここに、多くの命の火が消えていっている。夜明け前、雨上がりの荒野。気温は日中と比べられないほど低く、銃を握る手の感覚を彼らから奪い去っていく。

 騎馬隊はともかくとして、残りわずかとなったハモンドの一味も、『暁』の輸送隊も非常に不利な戦いを強いられている。今はもう使うのに不十分とされたマスケット銃は恐ろしい正確さとともに自分の元へ飛んでくる。隣にいた仲間はいったい何人死んでいっただろうか。横たわる仲間の死体に恐怖という感情がいつの間にやら死んでいたことに気づかされる。

 空の雲は晴れる気配すらなく、未だ重くフローディアの上空で立ち込めたままだ。消えた命の数だけ星の明かりが灯ったのかも分からない。今のところ死は無だ。


「マーク!援護しろ!機関銃を使う!」


 ハモンドの一味の一人は列車へと駆けていくと、積み荷から機関銃を引っ張り出し、窓枠から弾幕を浴びせる。目の前で乱射しあうすべての敵に向けて。

 南北戦争も昔話の今、機関銃はさほど珍しいものでもない。それでもこの殺戮兵器の脅威は衰えることを知らない。悲鳴を上げる暇さえ与えずに秒単位で人を死に至らせあっという間に肉塊にしてしまう。戦争における人間の命の重さを変えた銃と言ってもいいだろう。その銃口を前にすれば人間の命など紙切れよりも軽いものなのだから。


「フリオ!立ち上がれるか!機関銃だ!どいつがやってんのか知らないけどひき肉にされちまうぞ!」


 デイヴはフリオの肩を抱き立ち上がらせる。右腕にべったりとついたそれが血なのか泥なのか。とにかくフリオを岩陰へと運ぶしかない。


「デイヴ・・!足が折れてる・・!もう少しゆっくり歩け・・!!」


「馬鹿言えただのかすり傷だ!」


「これがかすり傷ってんなら・・・!・・・・もういい・・。早く連れてってくれ・・」


 フリオは体全体で咆哮をあげる痛みを奥歯で噛みしめる。今の彼には痛覚や聴覚がすべてだった。銃声や悲鳴を耳に入れながら命の糸を切り落とそうとする痛みと戦い続けている。

 デイヴの頭の中はもっとシンプルだ。前と後ろに意識を向けるしかない。目線は数十メートル先の岩陰へ、意識はいつ向けられるかも分からない機関銃の銃口へ。

 高くくぐもった音、おそらくは機関銃の銃弾がフローディアの大地を抉る音だろう。それがだんだんと二人の近くへとやってきているのがデイヴにもフリオにも分かっていた。


「フリオ・・!走れるか・・!?」


「無茶言うな!足折れてるって言ったばかりだろうが!」


「ただの捻挫かもしれないだろ!走らないと今度こそ死ぬぞ!!」


「ああ・・クソ・・」


 フリオはデイヴの肩から腕を離し、左足をあげたままピョンピョンと飛んでいく。そうこうしている間にも機関銃はこちらに向けられていく。二人の近くにいた馬は大きくいななきながら横倒しになる。その体から血や肉塊が跳ねあがっているのが暗闇からでも把握できた。


「くそ!伏せろフリオ!」


 デイヴの合図とともに二人は泥の中へ体を突っ込ませる。脚や背中を襲う銃弾の恐怖に頭を支配されながら。

 しかし、銃弾は二人の体に被弾することは無かった。二人が運よく躱したというわけではなく機関銃そのものが止まっていたのだ。


「マーク!!・・・畜生っ!誰か機関銃を頼む!」


 ハモンドの一味は頭に孔の空いた仲間を引きずり降ろす。彼を狙い撃った騎馬隊の一人はマスケット銃から硝煙をあげ暗闇の向こうにある機関銃を睨みつけた。


「どこ見てんだ兵隊さん」


 騎馬隊の胸を銃弾が貫く。勢いよくはしるフランクはウィンチェスターを振りかぶり、騎馬隊の顔面めがけてストックで殴りつける。勢いよく頭から落馬した騎馬隊は構わずにフランクへとピストルを向けたがフランクの放つ二発目の銃弾が彼の額に孔を空けた。

 大きな息をつき馬上から騎馬隊を見下ろしてフランクはウィンチェスターをリロードする。


「・・・なるほどねぇ。こいつはしんどそうだ」


 フランクは再び大きな音を立ててこちらに向かってくる騎馬隊の頭へと慎重に狙いを定めた。



「フリオ!今だ!機関銃の発砲が止んだぞ!」


 デイヴはフリオの肩を掴み立ち上がらせる。


「いい。一人で走れる。あとたった十数メートルだ」


 肩を叩くフリオにデイヴは黙って頷いた。

 今の自分は足手まといだ。それは分かっている。だからこそ、あとたった十数メートルでさえこいつに借りは作りたくない。保安官事務所に戻ったらきっと数年は借りの話を引っ張り出すことだろう。自分よりも人当たりがいいデイヴだがその実、自分よりも性根が悪い。


「へへ・・」


 フリオは静かに笑った。


「何笑ってんだフリオ!いいからあそこまで走るぞ!」


「言われなくても走るぜデイヴ」


 痛みなど、知ったことか。

 フリオは痛みを訴えていた左足で地面を踏みつける。歯を食いしばり感覚を研ぎ澄ます。

 痛みなど、知ったことか。そう何度も自分に言い聞かせながら。


 機関銃が再び小刻みに銃声をあげる。今度こそ、こちらへと銃弾が飛んできている。

 走れ。走れ。走れ。速度は十分に出ているはずだった。それでもフリオは満足しない。

 走らせろ。この俺を走らせるんだ。左足は熱をあげる。


 岩までもう少し。あの岩の後ろに回り込み一息つく自分が頭の中では想像できている。痛みは徐々に切り離され開放感が彼を包み始める。

 そんな感覚を穿つようにフリオの右肩と背中に銃弾が被弾する。衝撃で頭が揺れる。出そうともしていない血反吐が無理やりに口から噴き出す。


 あと少しでいい。まだ動け。もう少し動け。

 腕を大きく振り上げてごつごつした岩に触れると、転がり落ちるようにしてようやくフリオは岩陰へとたどり着いた。


「・・っはぁっ!・・がっ!!クソ・・!痛え・・!」


 息も絶え絶えにフリオは東の空を見やる。だんだんと空は明るくなりはじめ、山脈と厚い雲の間に光の層が出来ている。夜明けだ。ようやくここに嵐の夜が明ける。

 フリオは何もかも終わった気分だった。今日という日は非番でいい。街に帰る前に診療所に行ってその後で酒をひっかけよう。町に着いたら女を何人か買おう。生憎体力はないからマッサージだけで構わない。それでいい。頭の固いデイヴもきっと今日ばかりは賛同するだろう。


「おい、デイヴ・・・」


 フリオはデイヴが横にいるものだとすっかり思っていた。自分と同じようにまもなく明ける夜を見据えているものだと思っていた。


「・・・デイヴ?」


 キョロキョロと辺りを見回す。けれどそこにデイヴの姿はなく、フリオのこめかみから静かに汗が垂れた。岩陰に手をつきその向こうへと目をやる。立ち込め始めた朝もやの中に彼はいた。うつぶせになり体中に孔を空けた姿で。


 フリオは言葉を失った。デイヴは即死したと結論を出す嫌に冷静な自分の頭に怒りが沸いた。それでもその怒りはすぐに消えて、フリオの頭は再び空になる。

 まだ遠くで銃声は響く。機関銃ももちろん咆哮をあげたままだ。ほんの数舜で一人の命を奪い去っていったことなどまるで気にも止めないように。


 フリオは再び岩陰に戻ってへたり込む。自分の腹部から血が滲み灰色のシャツを真っ赤に染め上げている。左足はいくつもの穴が空きもはや自分のものではなくなっているようだ。だらりと下げた両腕の指先さえもうまく動かせずにフリオは霞みがかった視界で東の空を見つめる。


 暁。明けやらぬ夜と明ける夜の間。朝日が顔を出さぬ夜明け前。始まりの始まり。

 フリオには分かっている。自分が朝日を拝むことなくこのまま静かに目を閉じることが。眠気に耐えられず閉じるまぶたのように、フリオの意識と視線の先の暁はだらりと垂れさがる闇に覆われていく。フリオは静かに目を閉じて大きく息を吸った。


「・・クソッたれが」





 キリングバイツの息が切れる。振りかざす大きな手のひらは馬の体を薙ぎ払う。キリングバイツの相手をする騎馬隊のほとんどは既に落馬し、多くが足や腕の骨を折り、中には鋭い爪で内臓をえぐり取られたものもいる。そしてその多くが今もキリングバイツに銃を向けたままだ。


「がああああっ!!」


 咆哮ではなくそれは彼女の悲鳴なのだろう。細く高い声が残酷にも響き渡る。それでも彼女は敵をかき分け騎馬隊の一人の肩を大きな手で押さえつけると首を食いちぎった。だがそれを見て怯むような相手ではない。いくつかのマスケット銃は次々と火をあげる。


「おい、キリングバイツのやつマズいんじゃないか?」


 アレンは騎馬隊に弾を撃ち込みながらアーニャに尋ねる。


「・・うん。ちょっと良くない感じみたいね」


「さっきの毒針はまだあるのか?」


「あるけど全然効かないみたい。人間じゃないものを相手にしているっていうか、生き物じゃないものを相手にしてる感じ」


「ダイナマイトは?」


「ヴィジェを殺したいの?」


 打つ手なしか。アレンはそれでもあきらめる気にはならない。絆や信念といった大層な理由ではない。今日は負ける気がしなかった。それだけだ。自分は勝てる勝負に出たのだ。負ければ彼の気位プライドに触る。

 そんなアレンに追い打ちをかけたのはハモンド一味の機関銃による掃射だった。先ほどの掃射でハモンド一味に向かってくる敵をある程度薙ぎ払った機関銃は次なる標的を見つけていた。乱闘の中で一番目立つ彼女。彼らにとってはひと際大きい的だった。


「・・・っ!キリングバイツ!避けろ!!」


 銃口が向けられる。一味がクランクに手をかけ回し始める。アレンは息を飲むことしかできなかった。毎分二百発の銃弾を飛ばし目も当てられぬ虐殺を行うのに必要な時間はほんの数秒でいい。

 

 暴力は日々大きく変わっていく。困難なものから単純なものに、複雑なものから簡潔なものに。銃弾一発で人の命を奪うことに怯えていた人間は、やがて引き金よりもシンプルなもので人の命を顔色一つ変えずに奪うことになるのだろう。

 銃弾一発の重みと人の命の重みを知ることもないままに。


 だがここに両方を知る男がいる。


「無粋な真似しやがって」


 男の頭を弾き飛ばした狙いは騎馬隊のように正確だった。だがそこに正体不明の恐ろしさはない。このフランク・レッドフォードが放つ恐怖は騎馬隊の恐怖よりもずっと底が見えないところにある。


「ヒイロ!!」


 フランクが声高に彼の名前を呼ぶとヒイロは貨物車両の上から一味の元へと飛び込む。ヒイロの構える散弾銃と目の前の男との距離は男の鼻先よりも近い。暗く大きな二つの穴が男の視界を埋め尽くす。


 首から上が弾け飛ぶ様子はさながら宙に一瞬だけ咲いた彼岸花のようでもあった。


「あああ・・・あああああああ!!!!」


 頭を失った死体はよろよろとデッキを這いずり回る。仲間はその姿に恐れおののき女のような悲鳴をあげる。赤い髪の青年と頭を失った死体に。

 別に珍しいことじゃない。ヒイロはこういう死にざまを何度も与えてやった。突発的に頭を失った人間は数秒間のたうち回ることがある。反射的にバタバタと手足を痙攣させながら血をまき散らし床を這うのだ。

 トチ狂った男は手足を痙攣させる死体に銃弾を撃ち込む。


 狙う相手が違う。ヒイロは腰の抜けて立ち上がれなくなった哀れな男たちの元へ散弾を放つ。何も近づいて撃つことがヒイロのポリシーというわけでも無い。本来はある程度離れていても被弾させるために作られた銃だ。傷を負った獲物は実に狩りやすい。

 頭を守るために組んだ腕の肉がちぎれる。情け容赦なしの男たちは泣き叫んでいる。やめろ、やめろ、やめてくれ、お願いだ死にたくない。ヒイロはよく耳にした文句だ。もう一発、今度はわざと狙いを外して列車の壁に散弾を撃つ。それでも散弾は散弾だ。ヒイロの計算外に一人の頭部の右半分がべしゃりと音を立ててデッキに汚らしい脳髄をぶちまけ彼らの悲鳴という青白い炎に油を注ぎこんだ。


 散弾銃の恐ろしいところはそれだけにとどまらない。ヒイロは素早い手つきで弾を込めると、ゆっくりとした足取りで銃を構えて震える一味へと近づいていく。


 彼らの銃には弾が込められているはずだ。それなのに彼らは撃てない。ガチャリとわざと音を立ててヒイロが散弾銃を構えるとようやく彼らは引き金を引く。四十五口径が、四十四口径が、三十八口径がそれぞれの火をあげる。対するヒイロは意にも介さない。まっすぐ銃口を向け近づいていくだけだ。

 ハモンドの一味は今、戦意喪失の状態だった。言うなれば壁際に追い詰められたネズミだ。一矢報いようにも耳の中で反響し続ける散弾銃の大きな銃声が反撃の意思を折り曲げる。この大きな音こそ散弾銃が持つもう一つの武器だ。鼓膜を破るような爆音とともに人の体が吹き飛べば人間の本能にそれらすべてが焼き付く。自分たちに成す術はもうない。どんな悪人でさえもただ神の下に伏し両手を組み救いを求める。頬を腫らし声を枯らしどうか私を助けてくださいと。


 バン。


 ヒイロと一味の距離は一メートルにも満たない。手前で恐怖に引きつる顔が血飛沫とともに粉々に舞う。続けてヒイロは引き金を引く。


 バン。


 悲鳴が列車の上から消える。デッキの上に音を立てて肉塊が転がり落ちる。しかしヒイロは再び散弾銃に弾を込め放つ。


 バン、バン。返り血やミンチ状になった臓物が跳ねあがりヒイロの頬を叩く。息もつかずに再びヒイロは散弾銃に弾を込め肉塊の山と化したそれらへと引き金を引いた。


 バン、バン。


 血に染まるヒイロの頬を朝日の陽光が金色に染めていく。

 嵐の夜が今明ける。

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