第10話

 客車と貨物車両がヴィジェの手によって切り離される。貨物車両はどんどん速度を落とし、代わりに客車は速度を速めて終点のドルムドまで走っていく。


「ここまでは、順調だな」


「そうみたいね。も少し刺激があっても良かったんだけど。灯りは持ってきた?」


「当然だ」


 ヴィジェは肩から下げた小さな鞄の中から青い光を放つ球を取り出す。綺麗に磨かれた水晶玉のようではあるが自らゆらゆらと強い光を放つその球は明らかにこの世のものではなかった。


 灯りを目指してやってきたのかアレンとヒイロがバシャバシャと泥をはね上げながら二人の元へやってくる。


「どうやらやったみたいだな」


「当然でしょー?こんなの朝飯前よ!」


「そりゃよかった。だがそれもここまでだがな」


「ああ」


 ヒイロもヴィジェも頷く。まだ仕事が終わったわけではない。むしろこれからなのだと。

 フランクが『暁』専属の輸送部隊を連れて来るまでおよそ二十分。それはイーリアスの眼と呼ばれるこの水晶玉が教えてくれている。『暁』の所有するフローディアの呪いの品の一つだ。眼という名の通りこの球は二つ存在し二つが近くなるほどにその青い輝きを増していく。もう一つはフランクが所有し、もう一つがここにある。

 強い輝きを放つのでフランクの目に留まる距離になれば向こうもこの豪雨の中とはいえ自分たちをすぐにでも見つけることができるだろう。


『問題はそれまでの間だ』


 フランクは慎重な面持ちで語っていた。


『今回の敵は何をするか分からない。ハモンドも、ウォレスも・・俺たちを狙っている謎の連中もだ。車両を切り離し荒野で俺の到着を待っているその時こそ、一番に警戒しなきゃならんことを各自忘れるなよ』


「まぁ、あたしたちがここで固まっていれば向かうとこ敵なしってとこね」


「アーニャ、マジで言ってんのかよそれ」


「アレンだけは死んじゃってもしょうがないけど」


「言ってくれるじゃねぇか。先に死んだら笑ってやるよ。これ以上ない憎しみを込めてな」


「そういえばアーニャ」


 ヒイロが何かを思いついたように質問する。


「彼は・・ほら・・あの俺たちの向かいにいた・・」


「あぁ・・そういえばあのおぼっちゃん結局見なかったわね。逃げ出したか死んじゃったかじゃない?」


「いや・・俺は見てない。覚えている限りでは貨物車両から出てきてはいないと思うけど」


「なんだそのお坊ちゃんってのは?厄介な野郎なのか?」


「いいや、そうは思えない。殺す必要も・・ないように思えた」


 ヒイロはピースメーカーを見つめながら言う。


「ならどっかに逃げ出した後だろう。少なくとも仲間が殺されたことくらいは知っているはずだ」


 そうとも思えない。ヒイロはそう口に出そうとしたが結局言葉にはならなかった。確かに彼は酷く臆病にみえたが、逃げ出すような男でもなさそうだった。どうしてそう思うのかヒイロ自身にも分からない。あの人間は自分の理解の外にいる。


「なぜ、殺す必要がないと、言える?」


 自分自身に問いかけていたことを尋ねてきたのは他でもないヴィジェだった。


「よせよキリングバイツ」


「いいんだアレン。ヴィジェの言う通りだ」


 たしなめるアレンを右手をあげて止める。


「殺す理由の方がきっと多いはずだろう。なにせ相手は敵だ。ハモンドの部下だ。・・でも、彼は普通の人に見えた。町で平穏に暮らしている人の目をしていた」


 ヴィジェは黙って琥珀色の瞳と真っ白な瞳でヒイロを見ていた。ふと、何かに気づいたようにヒイロから目をそらし後ろで停車している貨物車両に目を向ける。


「なら、お前の眼は、まだ未熟だ」


「全員手をあげろ!!」 


 突如として聞こえたそれはヒイロやアーニャにとって聞き覚えのある声だった。


「あーらら。確かに詰めが甘かったわねヒイロ君」


「てめーもだアーニャ」


「だって気にしなくてもいいってヒイロ君が言うから・・」


「忘れてただけだろ。普段なら構わずぶっ殺すくせに」


「・・・そのままだ。全員動くなよ。二十丁のライフルがお前たちを狙ってる」


「アーニャ。お前どんだけ取り逃がしてんだよ」


「知らなーい。ヒイロ君が八人しかいないって言ったんだもん」


「ヒイロ君ヒイロ君ってお前はなんでも人の所為だな。自分の頭が空っぽなのを認めろアーニャ」


「だってぇ」


「俺は貨物室に限るって言ったんだけど」


「んあー!!ヒイロ君までアレンの味方するー!ひっどーい!!」


「黙れ口を閉じろ!次に何かしゃべったら全員引き金を引くぞ!」


 しぶしぶ黙り込む『暁』へと人影がゆっくりとウィンチェスターを構えながら車両の陰から出てくる。イーリアスの眼の放つ光に照らされたリックは同じくして照らされるヒイロたちの顔を見て鋭い表情を崩した。


「・・・っ。ビリー・・まさか君が本当に・・」


「ああ・・そうだ。君たちを狙ってた」


「ごきげんようリックさん」


「・・ステファンまで・・・くそ」


「知り合いかリック」


「・・ああ。向かいの席に座ってた。まさか荷物を狙ってるとは」


「相手がこんなガキじゃ、そりゃ予想もつかねぇよな」


 じりじりとリックの仲間たちがヒイロたちの元へ近づいていく。


「それで、どうする?全員殺っちまうか?」


「いや・・聞きたいことが山ほどある。それからでも遅くはないだろう」


「ああそうだな。だが油断するなよ。雇った連中は全員こいつらに殺されたんだ」


「分かってるさ」リックは慎重に一歩を踏み出す。「それで、君たちは何者だ?何が目的なんだ」


「俺たちがそんな簡単に答えるとでも?」


 アレンにはまだ余裕の笑みが残っている。


「答えなければ一人殺す」


「一人殺せば、残った三人が、お前たちを、五人ずつ殺す」


 キリングバイツが犬歯を曝しながらけん制する。


「・・それにそれはあなたのやり方じゃない」


 リックという男と言葉を交わしたヒイロはいたって冷静だった。


「・・そうかもしれないな。僕のやり方じゃない。でもこれは僕個人の仕事では収まらない。ハモンドの一味としての仕事だ。ハモンド一味のやり方を通す時だ」


「できるのか?」


「できないのならそもそも君たちに銃を向けるべきじゃない」


 リックの瞳からは強い信念が感じ取れた。その指が引く引き金は決して重いものではないだろう。先ほどのリックとヒイロとは違い二人は今、対等の立場にいる。ヒイロはまっすぐリックの瞳を見つめながら口を開いた。


「俺たちはハモンドの邪魔をしに来た」


「邪魔・・?どうしてそんなことをするんだ?」


「んなもん決まってんだろ」


 ガチャリと暗闇に小さな音がして、ヒイロの代わりに答えようとしたアレンにリックの銃口が向けられる。


「お前には聞いてない」


「・・・分かったよ。余計な口は挟まねぇからそれをそっちに向けんな。ヒイロ、正直に言ってやれ」


 ヒイロが頷く。


「君たちの計画はすべて知っている。武器の事もケサン山脈の事も、そこで住まう先住民の事もだ。俺たちは困る人間の集まりだ」


 ヒイロは嘘を織り交ぜながら話す。自分たちが知っているのは今言ったことすべてだ。実際はハモンドの計画の半分も知り得ていないだろう。


「君とはまだ数回しか会話をしたことがないが・・君にしては随分と答えが曖昧だな」


「詳細を話す必要が?」


「いや・・それ以上は言わなくてもいい。殺す理由としては十分だ」


 銃を下げていたリックの仲間たちが再びライフルを構えなおす。リックはヒイロの赤い髪へと照準を合わせたままゆっくりと後退する。

 彼女にとってそれは相手の虚を突くには十分な時間だった。


 獣が木の上からとびかかるように低姿勢のままリックめがけてキリングバイツが突っ込んでくる。彼がそちらの方へ銃を向けると華奢な腕からは到底考えることのできない力でライフルがはじかれる。発射された弾は水たまりへと着弾し水滴がリックのまぶたを撫でた。

 

 急いで仲間たちがキリングバイツに銃を向けた時には彼女の牙はリックの首にかかっていた。


 アーニャもアレンもヒイロも特に驚いた様子は見せなかった。


「さて、お前らがもたもたしてるから拮抗状態になったぞ」


 アレンは両手を上に上げたままハモンドの一味を鼻で笑った。


「構わない!全員撃て!」


 リックは大声で仲間たちに叫ぶ。だが敵にも味方にも容赦のないことで有名な一味は引き金を引けずにいた。


「くそっ!なんで撃たない!?僕の命令だぞ!貨物をボスの元へ安全に運ぶためだ!全員ここで撃ち殺さなきゃ失敗に終わる!」


「リック・・それは無理だ」


「無理じゃない!!やるべきことをやれ!」


 リックの力強い言葉に仲間たちはライフルを構えなおす。


「おいおい、いいのか?まだドルムドまで随分と距離があるぞ。ここで司令塔を失えばお前らの任務はどのみち失敗に終わる」


「黙ってろ!お前らを殺さなきゃ何も始まらない!いいから撃て!あとのことはジーンに任せる!」


「・・・・了解したよリック。お前の事はしっかりボスに伝えとく」


「・・・ああ。頼んだぞ」


 リックも仲間もすべてを諦めすべてを悟った表情になっていた。良くない表情かおだ。アレンは今になってようやく眉をひそめた。


「さようならだリック」


 雨は止みすっかり冷え切った風が何もない闇夜の荒野を吹き抜ける。





 文字通りの人の波が押し寄せて、床に叩きつけられたウォレスは肩の痛みとともに深い眠りから目が覚めた。目の前に映ったのはいくつもの死体と座席や壁に塗り付けられた血液。半狂乱で叫ぶ乗客が頬を真っ赤に染めて涙で濡らしている。


「何がどうなったんだ!!」


 ウォレスはふいに叫んでいた。声を聞いて振り向いた毛深い大柄の男がウォレスの胸倉に掴みかかった。


「保安官!あんたが寝てる間に殺人が起こったんだよ!!どうしてそんなときに居眠りこいてやがんだ!!」


 男は怒り心頭のようでウォレスの体を揺さぶりながらまくし立てる。ウォレスは男の顔を見ずに凄惨な現場を目に焼き付けていた。


「くそっ・・」


「クソは手前だろうが!あんたのその星は俺たちを守ってくれる証じゃないのか!?ええ!?」


「・・どれくらい前だ?」


「なにほざいてんだ!?俺が聞きてぇのはそんなことじゃねぇ!反省の言葉が先だろうが!」


「俺が聞きてぇのは」ウォレスは相手の胸倉を掴み返し大柄な相手を椅子の上に突き飛ばす「このクソみてぇな状況が一体どれくらい前に起こったか。それだけだ。時間がねぇんだ。答えろ」


「・・・っ」


 男はウォレスの保安官らしからぬ物言いに気圧される。目の前にしているのは保安官であるにもかかわらずその命まで取られてしまいそうな勢いだった。


「い、今さっき、まだ十分も経ってねぇ・・。分かったから離せ。急に怒鳴ったりして悪かったよ」


 なら、まだ間に合う。奴らからはそう遠くはない。


「もう一つ、奴らはどんな風貌だった?」


「・・・・奴ら・・?」


 男は目を丸くする。掴んだシャツから男の震えが伝わってきていた。


「銃をぶっ放した人間がいるはずだろう。一人は赤い髪の青年、もう一人女がいたはずだ。他に誰がいた?」


「・・・女は知らねぇ。・・赤い髪は知ってる。ここにいる全員が見たはずだ。あとは知らねぇ。奴は単身で男たちを殺しながら前の車両へと向かってった。それだけだ!あとはみんな死んじまった!奴が一人で全員ぶっ殺しちまったんだよ!」


 ウォレスは男から手を離し、銃を構えながらずかずかと前に進んでいく。こんな非常事態なのに、まだ列車は血で濡れた窓をガタガタと鳴らしながら進んでいる。前の車両も相変わらず死体が投げ出されたままだ。


「何やってんだ!今すぐ列車を止めろ!」


 車掌室のドアを開け青ざめた車掌に銃口を向けながら叫ぶ。


「で、でも・・」


「でもじゃねぇ!このバッヂを見ろ!俺は保安官だぞ!!」


 車掌の表情からこわばりが消えていく。まるで悪い夢から覚めた子供のようだった。


「赤い髪か?」


「え?」


「列車を止めさせたのは赤い髪かって聞いてるんだよ」


「いえ・・違います。ブロンドだった。白人で若い顔だ」


「・・・また別の顔か」


 赤い髪もブロンドの白人も今まで追ってきた影とは違うものだ。フランクも合わせれば『暁』には最低五人所属していることになる。そして少なくともこの中の三人はさっきまでこの車両にいて、今もそう遠くないところにいるはずだ。

 ウォレスは列車を飛び降りて走って線路を引き返す。線路のずっと奥の方で小さくまばゆい明かりが灯っているのがすぐに目に入った。距離からしてそう遠くはないところにある。あの灯りの正体は不明だが、あそこに『暁』がいるに違いない。


 まだ間に合う。決して遠い距離ではない。


 それに自分の手はもっと近いところにある。


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