第7話

ハモンドの部下のリックは眉間にしわを寄せて炎天下の中、シディアの町中で立ち尽くしている。街を往く人の肩がぶつかっても、流れる汗が瞳に入っていっても気に留める様子はなかった。そんなことに構っていられる状況ではなかった。

 そろそろ列車が出発するというのに、ダニーもフアンもやってこない。


「何をやってるんだ・・」


 手練れの殺し屋だと聞いていた。だからこそ「使える奴を集めろ」とハモンドに言われた後でそれなりの報酬も提示して受け入れた二人だった。外部に頼んだのが悪かったのだろうか。

 もう間もなく列車は出発しようとしている。まだ列はできているが客の大半は列車の中だ。


「リック、もう諦めようあいつらは来ない」


 仲間が彼の背中に向けて声をかける。


「そうだな。でも・・」


 彼らはもう来ないとして、だとすれば自分が彼らの代わりとして厄介ごとの始末をつけなければいけない。普段から雑用ばかりで銃は得意ではない。その上、ボスに切られたまぶたはまだ大きく腫れあがっている。リックは肩を落とす。


 仕方なく仲間とともにぱらぱらと列車の中へ続く人の列に混じって足を踏み入れ、忙しない時間が流れる車内で空いている席を探す。どうか厄介ごとが起こりませんように。一人一人乗客の顔を見回しては怪しい人間がいないか注意を払っていた。


 仲間たちはできるだけ奥の車両へと向かわせる。何かあったときのためにできるだけ散らばっていた方がいい。


「席をお探しかね」


 キョロキョロと見回すリックに老齢の男性が声をかける。


「ええ・・乗り遅れてしまって」


「この先もきっと満員だ。ここが空いてるから早いうちに座った方が良い」


「ありがとうございます」


 親切な老人だ。リックは小さく頭を下げてその席へと座ろうとする。


 が、その挙動を一度止めずにはいられなかった。


「ん?どうした?」


 理由は単純なものだった。老齢の男性の胸元で星が輝いていたからだ。リックのような人間は反応せずにはいられない。


「いえ、なんでもないです・・保安官殿」


「・・あっはっは。こいつか。そんな大したもんじゃないさ。それに休暇中の身だ。俺はサンタモレラで働いてるからな。そっちこそ、その傷はどうしたんだ?派手に切れた跡だな」


「砂利道で落馬したんです。・・馬の扱いには慣れていなくて」


 些細な質問さえサソリの毒針のように激しい痛みを伴ってリックの胸に突き刺さる。どうか、これ以上厄介ごとが起こりませんように。リックは強く思う。けれどそれが叶うことは無いだろう。


「長旅になりそうだ。お互い自己紹介をしておこう。前に座っているのが・・ええと・」


 保安官は右手で向かいに座る客を指し示す。若草色のドレスの少女と赤い髪の青年が座っている。二人のきらびやかさにリックは目が眩みそうになる。


「ステファンよ。ステファン・マコノヒー。こちらは弟のビリー」


「よろしく」


 赤い髪の青年は小さく頷く。美男美女の兄弟だ。どちらとも男も女も放ってはおけないだろう。


「ウォレスだ。あんたの名前は?」


 そして隣に座る保安官と握手をする。その手に手錠が握られていないのが不思議なくらいだ。


「り・・リックです」


 リックの半ば引きつった笑いとともに汽笛が空を揺らす。こうしてシディア発ドルムド行の列車は定刻通り出発した。




 シディアの駅から遠く離れた荒野。相も変わらず何もない場所でそびえるのは大きな給水塔。蒸気機関車は石炭と水なしには走ることができない。西部同様、このフローディア大陸も線路沿いに一定の間隔で給水塔が設置されている。その陰でへたり込むのは『暁』のアレンとヴィジェ、その人だ。


「今回ばかりはお前とは違う場所にいると思っていたよ。ここよりも列車の方が向きだろ?ヒイロと代わってくれ。たまにはそういう任務があったっていい」


「向き?冗談じゃ、ない。私はあんな、人がいっぱい、詰め込まれてるような、列車には乗れない。怪しまれたら、終わりの、任務だ。ここにいるのが、向いてる」


 それに、だ。端から見れば喋るのが困難そうなヴィジェは続ける。


「アレンの、方が、向いてない。お前が、アーニャと、代われ」


「抜かせキリングバイツ。最前線にいるのは命知らずって決まってんだよ。俺はここがベストポジションだ。おっさんもボスもよく理解してると思うね。勝負に勝ちたいなら駒の使い方は正しくねぇとな」


「どのみち、もう列車は、出発、している。ぐだぐだいうな、集中しろ」


「集中するのは列車が見えてからでいいか?」


「・・・・好きにしろ」





 ウォレスはフランクの言葉が気にかかっていた。彼が『暁』に関与しているかどうかのことではない。毎月渡される二百ドルの意味についてだ。彼は賄賂ではないといった上で、自分が何か大事なことを忘れているような態度をとっていた。つまり、ウォレスは本来その金の意味を知っているはずだったのだ。けれどどんなに記憶を出し絞ろうともその金の理由が思い出せない。

 もともと、賞金稼ぎだった時の彼の手助けをしていたくらいだ。何か奴に大きな貸し借りをしただろうか。


 窓の外の景色はずっと同じだ。どこまでも荒野が続く。まるでフローディア全土が荒野のようにも思えるが実際はそうではない。遠くには標高六千メートル級の山脈がそびえ、地下深くには多くの水源があると考えられている。二十世紀も近くなりフローディアのほとんどが開拓されたと思われているが実際にはその半分も開拓されていない。確かに人々がフローディアに住居を構え文化的な生活をするのに時間はかからなかったがある時を境に開拓が滞ってからは未開拓地はそのままの状態だ。

 その原因はここに住む多くの人が知る由もなかった。知るべきではないのだ。ウォレスも開拓者は呪いをかけられたという馬鹿げた噂しか耳にしていない。当然それを信じるようなこともしなかった。


 フローディアは見捨てられた。もはや開拓など時代遅れだ。本土の連中は未開の土地の開拓よりも兵器や車の生産に労力を費やしている。ここで住んでいること自体時代遅れなのだ。それでもある程度は東部の街並みを模したサンタモレラで住めることをウォレスは良く思った。


「ねぇ、あなたはどこに向かうの?」


 ステファンと名乗った女性がリックに尋ねる。


「このまま・・・終点まで向かうんだ」


「ドルムドまで?」


「ああ、仕事でね」


「そうなのね。後ろの車両に大量の貨物があったけど・・その関係の人?」


「・・・・・いいや、別の仕事さ。荷物番ならもう少し給料は良かったかもしれないね」


 リックは強く拍動する心臓を気に掛けながら嘘をつく。小胆のリックはこういう嘘が得意ではない。落ちつけリック。前を見ろ、ただの若い女だ。隣にいる男も無骨とはかけ離れた、どちらかと言えばお前側の人間だろう。


「お嬢さんは貨物に興味があるのかい?」


「ええ、あんなに長い貨物列車は初めてですもの。保安官シェリフが荷物番を?」


「言った通りさ。俺はオフだよ。じゃなきゃここでのんびりと座っちゃいないさ」


「サンタモレラの保安官なら久々の羽休めってわけね」


「そう。フローディアの入り口だから大きな殺しは少ないが小さな事件は山ほどあってな。・・まぁ、先日上院議員が殺されたばかりだが。とにかく仕事の山が片付くことは滅多にない」


 お気の毒に。アーニャは噴き出しそうになるのをこらえる。

 一方そんなウォレスはすべてを覚悟していた。『暁』がこの列車を襲うのは今この時かもしれない。時折窓の外の景色を注意深く眺めては不審な動きがないかを確かめる。


 遠くの空は陰り始め遠雷が聞こえている。どこかの窓が開いていたのか、今まで心地よい風が車内を満たしていたが夕暮れを前に暗くなった空を誰かが見て窓は閉められてしまったようだった。


「ドルムドに着くのは明日の朝か」


「ええ。あの雲の下が嵐じゃ無ければ」


「・・嵐か」リックが思いつめた様子で言う。ハモンドの言う「何事もなく荷物が運ばれてくる」の「何事」の中に嵐は含まれているのだろうか。きっと含まれているのだろう。嵐の所為とは言え、ボスは任務の失敗を許さない。次はまぶたの下が傷を負うかもしれない。


「嵐は嫌?」


 ステファンは眉間にしわをよせたままため息をつくリックに尋ねる。


「当然嫌さ。誰だってそうだろう?」


「私は好きだけど」


 彼女はさも当然のように答える。不思議と虚勢には聞こえなかった。


「どうしてまた・・。女の子ならなおさら怖いだろう?家も馬も全部吹き飛ばされるんだ」


「怖くはないわ。むしろわくわくするの。何もかもが平穏な毎日って退屈じゃない?それはもちろんそっちの方が良いって人もいるだろうけど・・でも私はそれじゃあ嫌。ある程度のリスクがついてきたって面白い方がずっといいわ」


 そう語るステファンの笑顔は今までの清純そうな彼女の顔とは少し違ってリックには映っていた。カナリアが鳴くかのような彼女の美しい透明感のある声の奥底で、邪悪めいた何かが一瞬こちらに顔を見せたような不吉な予感すらした。


「そうでしょビリー?私たちは嵐を待っているの」


 まもなくして列車の窓を雨粒が叩き始めた。

 リックの願いも虚しく嵐が今訪れる。




 


 数時間後、列車はまさに嵐の中にいた。風は咆哮し、雨粒は銃弾のように窓に吹き付け乗客は全員が不安な顔を見せている。そんな列車ではあったが今も奇跡的に、ゆっくりとではあるが確実に進行している。このフローディアの大地で列車が止まることを良しとしたくはない。嵐に襲われた後、次に先住民が襲いに来るか、野盗が襲いに来るか、或いは別の何かがこの列車を襲う確率は決して低くはないのだ。

 それに今回はもう一人、列車が止まることを良しとしたくない人物がいる。列車が止まらないのは彼からの圧力もあってのことだ。それがハモンドであり、その代行を務めるリックであった。


「もう少し早くはできないのか?」


「・・これ以上はどうしても。今こうして走っているのだって奇跡に等しいんです」


 車掌は申し訳なさそうな顔をして答える。目の前に立つ自分がハモンドだったなら、きっと車掌は殴り飛ばされ蹴り上げられ挙句の果てには殺されて、機関士はすぐにでもその後頭部に銃を突きつけられていただろう。

 だが、自分はハモンドではない。

 ボスのやり方がいいか悪いかは別として自分にはそんな真似が出来そうもないのだ。きっと脅迫の際にも声が上ずってしまうだろう。後頭部に突き立てた銃口もカタカタと震えこちらの恐怖を簡単に悟られてしまう。自分は小胆なのだ。


「ボスからの命令なんだ」


「ええ、もちろん。分かっています。あのハモンドさんの積み荷を運んでいることの意味は」


「違う」


 これは脅迫じゃない。リックはそう付け足すように優しく諭す。


「今の列車のスピードは馬並みだ。腕のいい奴ならきっと泥の中を駆けまわってもこの列車に追いつくだろう。多少腕のたつ野盗ならきっとこの列車に目をつけているはずなんだ。だから俺たちもわざわざシディアからこの列車に乗ってきている」


「それはもちろん分かっているんですが」


「そういう『もしも』が起こったときは俺たちは構わず発砲しろと命令された。そうなったらここはもう銃撃戦の最前線だろう。あちこちから銃弾が飛び交って・・運が悪ければ乗客の半分以上は死ぬだろう」


「・・そんな」


「どのみち野盗は発砲しながらこちらに近づいて来る。俺たちが向かい撃たなければどのみち血風呂だ。だからもう少しでいい、せめて馬よりも早くは走らせられないか」


 車掌は帽子のつばを掴み小さく頷いた。リックも背中のこわばりが少し解けたような気がした。時間に間に合わないのなら荷物だけでも無傷でドルムドに届けなければ。車掌室のドアを開け、仲間に向けて強く頷く。


「とりあえずはもう少し早く走ってくれるみたいだ」


「それは良かった。・・・無駄だとは思うけど俺からもボスに言っておくよ。リックは最善の選択を取ったって」


「いいんだ。どのみち罰は食らうだろう。それより待たせて悪かった。早く客室に戻ろう。ブーツの底まで水が溜まるだろう」


 デッキから見る夜のフローディアはまさしく闇そのものだ。豪雨と風の音が大地を満たし、視界は漆黒でおおわれている。たまに雷が空を照らせば童話の中の魔人のようにそびえたつ山が影を見せるだけ。高鳴る鼓動はこの闇に恐怖しているのだろうか。それともその闇の中から現れる何かに怯えているのだろうか。


「リック」視界を闇に縫い付けられてしまったようなリックに仲間が声をかける。リックはその声で闇から引き戻されたような気にさえなった。「・・・やっぱりお前にこの仕事は向いてないと思うんだ。なんでお前がボスの右腕なのか正直俺には分からない。あ、いや、悪口で言っているんじゃないぞ」


「分かってるさ。どう見ても堅気の人間だって、そういうことだろう?」


「ああ。お前にはもっと違う人生があったっていい。銃を握るよりペンを握っている方がお前には似合うぜ。お前くらい器量が良ければ政治家にもなれただろう」


「・・そうかもしれないな。けど、俺にはこれしかなかったのさ。たとえ柄じゃなくても、天性でなくてもやらなくちゃいけないことはある。俺の事はいいから早く戻れ、怪しまれたくはないだろう?」


「ああ、悪い。・・じゃあお前も早く戻れよ。明日の朝にはドルムドに着いてることを祈ってるよ」


「ありがとう」


 銃を握るよりペンを握れ。まさしくそうだ。自分に学問の才があるとも思えないが、少なくともガンマンの才は無い。腰に下げた銃がはったりだとしても、命をボスに預けて与えられた仕事をこなし、わずかながらの収入を得る。そうするしかない。


「そうするしかないんだ」


 だって俺はリック・ハモンド。砂塵のハモンドの実の息子なのだから。


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