第3話

 ヴィンセントに仕えていた老齢の執事は抜け殻のように一切の力なく椅子に座っている。涙が頬を伝っては彼の襟に染み込んで、枯れ果てた嗚咽さえまだ彼の口からこぼれ出る。

 こうなってしまったらもう駄目だろう。ウォレスは彼を見てそう思う。

 長年仕えていた主が自分の犯した過ちで見るも無残な姿に変えられてしまった。自分は薬で眠らされ、主人が殺されたときには絨毯の上に突っ伏していたのだ。彼はもう煙草を巻くことも夕餉の支度をすることもないだろう。あとは近い死を呆然と待つだけ。

 自分もいつかはこうなってしまうのだろうか。・・いや、こうはならないだろう。この地に住む多くの人と同じでベッドの上では死ねない。自分が保安官なら尚の事だ。銃口はいつだって自分に向いている。

 まして家族に看取られながら逝くことなどとても・・。ウォレスはニューヨークで暮らす別れた妻と子供たちの事を思う。


 ほとんど支離滅裂だった執事から聞き出せたのはエリザという突然現れた女中のこと。調べてみれば彼女の名前はもちろん、出生地も経歴も何もかもが偽りのものだった。いや、正確には偽りのものではなかった。彼女は実際に存在し、記録も残っている。しかし後を追えども彼女の姿はない。

 ウォレスには五十万ドルの女の話が頭に浮かんでいる。ミス・ノーバディ。自分は本当にその首を取れるのだろうか。




「・・保安官。一応これで全部です」


 数時間後、ウォレスがサンタモレラの保安官事務所へと帰ってくると声をくぐもらせてフリオは二枚の手配書と一枚の報告書を机の上に置く。デイブとフリオに頼んだ『暁』の資料すべて。

 

「これで全部か?」


「・・ええ。ダメでした。最近出た強盗団とはいえ、あまりにも資料が少なすぎるんですよ。手配書も写真はおろか似顔絵すらない」


 ミス・ノーバディのこともある。ウォレスはこういう事態も予測はしていた。しかしこれほどまでに情報がないとは。『暁』の存在そのものを疑うべきだろうか。だが、あの初老の男はどうやら本気で金を積むらしい。騎馬隊に関しても電報さえ送れば用意すると言っていた。


「・・この報告書は?」


「タレバの町の保安官事務所からです。なんでも近くの峡谷にあった野盗のアジトが襲撃されたとか」


「野盗のアジト?『暁』と何か関係があると思ったのか?」


「・・情報がない以上は霞でもつかみ取るべきだと思って。『暁』は人間以外の者も仲間に入れていると聞きます。この事件はそいつが起こしたものだとタレバの保安官は言ってました」


 ウォレスは報告書に目を通す。文字から浮かび上がるのは異常な犯行現場。

 襲撃と呼ぶにはあまりにも異質で容赦がなさすぎる。

 虐殺、もしくは・・獣による狩猟ハンティング




 



 タレバの峡谷は身を隠すには都合の良い場所だ。そびえる禍々しいまでの岩が馬での追跡を諦めたくもなるほどにそこかしこに突き出ている。正確なルートを把握していなければ簡単に抜けることも叶わない。峡谷には三十人ほどの野盗が潜むアジトがあり、峡谷の切り拓かれた道を通った駅馬車を襲っては金品や女を奪い、男を崖から突き落としていた。

 近くに住む人はもちろん峡谷を恐れ近づくことはしない。入ったものは二度と帰れはしないのだから。


 ここにいる限りは保安官は自分たちを捕まえることはできない。何も知らない運転手と綺麗ななりをした観光客が峡谷の景色を楽しみに来る限り、自分たちの欲求は満たされる。

 クーガーさえも自分たちを恐れ近づこうとはしない。狭い峡谷でフローディアのすべてを支配したような気にさえなっていた。


「峡谷の野盗どもは慢心していたのさ」


 ウォレスは日の高く昇るころ、事務所を二人に任せてタレバの保安官、ジムのもとに赴いた。ジムは凄惨な現場をまるで先日読んだ小説の内容を語るかのように言葉を並べていく。


「慢心だと?慢心すれば引き金が引けなくなるわけじゃないだろう?三十人の野盗が突っ立ったまま何の抵抗もなく殺されたってのか?」


「いいや」ジムは首を振る「銃弾はそこかしこに飛んでいる。土壁がハチの巣さ。遺体にも撃ち込まれまくってる。一見すりゃ野盗同士の抗争だ。だが、報告書にもある通り致命傷はすべて首への裂傷で、撃ち込まれた銃弾は挟撃と跳弾によるものだ」


「・・そんな馬鹿な」


「弾は何一つ致命傷になりえない場所に被弾していた。それにここからそう遠くないところでも別の野盗どもの死体が積みあがった馬車が発見されてね。おそらくは近くの野盗によるものだと思われていたが全部首への裂傷が致命傷になってる」


「じゃあ武器はナイフか?」


「ナイフなら傷口はああはならねぇ。だから俺はあえて裂傷って言ったんだよ。ところでお前は恐竜の歯を知ってるか?」


「・・恐竜?」


「奴らの歯ってのは口内で固い肉を引き裂けるように歯の一本一本に細かいギザギザがついているんだ。ステーキナイフみたいにな。得物はおそらくそれに近いものだろう。決して鋭利な刃物じゃあねぇ。そんな生易しいものじゃあない。切り裂くというよりは引き裂くと言ったほうが正しいだろうな。この哀れな野盗どもは想像を絶する苦痛を伴って死んでったのさ」


 ウォレスは言葉を失った。だからそれ以上現場について言及はせず、犯人像を割り出すことにした。


「『暁』には獣がいるって噂らしいな。これはそいつの仕業だと?」


「・・ああ。その獣がなんなのかは分からない。クーガーかもしれない、狼かもしれない。もしくはそれに似た何かだろうよ。・・・・・馬鹿げた話かもしれねえがいずれにしたって人の技量じゃ到底出来っこねぇ。分かっちゃいたが、これもまたフローディアの呪いの一部なんだろうよ」


「獣ねぇ・・・」


 ウォレスにはジムの言いたいこともよく分かっている。伝説のガンマンだろうがなんだろうが三十人以上を相手に渡り合えるやつなどいない。まして銃を使わずに、牙のような近接武器を使用するなんてとてもじゃないが人の成せるものとは思えない。

 だがもし、想像を絶するほどの苦痛を与えるその牙に何か意味があるのなら?

 ウォレスはそこに人間の怒りや憎しみさえ感じていた。獣の感じることのない、暗く重たく鋭い感情が伝わってきていた。


「それで?この獣の事を調べてどうするんだ?」


「・・何か掴めるのならそいつを狩ろうと思ったが」


「到底無理だろうな」


 ああ。そうかもしれない。だからまずは獣でなく、人間を相手にする。


 姿の掴めない人物よりは尻尾を掴めない人物を追った方が良いに決まっている。

 


 


 掴めない尻尾よりも掴めない服の裾だ。






 勝負師、つまりはギャンブラーの中でアレン・ウィリアムスという名前を知らない者はいない。ブロンドの白人。年端もいかない若者。伝説のギャンブラー或いは伝説のイカサマ師。彼ら勝負師にとってアレンの名はそんな賛美の意味で伝えられるものではなかった。言うなれば目の上のたんこぶ。彼の圧倒的な勝ちを前に、勝負師たちはイカサマを見破ろうと日々奮闘している。

 この男のイカサマがいつかバレないものか。財産を取り上げられ、店から追い出され、分厚いブーツの底で体を蹴り上げられればこの男は嫌な笑いを止めるだろうか。彼を知るギャンブラーはほとんど似たようなことを思っている。


「おいアレンてめえ舐めてるのか」


 サルーンに設けられたトランプ台でアレンの向かいに座ったアルバートが眉をひそめながら不満を漏らす。


「舐めちゃあいねえよアルバート。必死なのが伝わらねえか?こちとらイーステンの小さな酒場の前に立って物乞いやってるじい様並みに必死さ」


「言ってやれアルバート!!こいつはなぁ!伝説の勝負師でもなんでもねぇんだ!俺の姿を見ろよ!こいつはなぁ、金の亡者だ!!イースタンの小さな酒場の前に立って物乞いやってるじい様並みのな!」


「イーステンだ。だぁってろホアキン。あんたのシャバでの最後の飯代を稼いでやってんだ。最後の飯を豚の餌にされたくないなら余計な口を挟むんじゃねぇ」


 サルーンにいる誰もがその奇妙な光景を目に入れて浮かんだ感想をどう表現したらいいか考えあぐねている。トランプを片手に収めたアレンはもう片方の腕で男の首にかかった縄を掴んでいるのだから。そしてサルーンにいる多くが男の名前を知っている。ホアキン・グスマン。先日あった銀行強盗の主犯格。掛けられた賞金は六千ドル。


「金の亡者だってよ。賞金首つないだまま勝負とはな・・悪いがお前に勝ちはやれん。ダイヤのフラッシュだよ。それで、今日のお前はツイてるのか」


「・・俺は別に勝負が強いわけでも特別強運の持ち主ってわけでも、ましてやイカサマやってるわけでもねえ」アレンは一呼吸おいてから静かにテーブルの上に手札を置く。「俺は今日、自分がツイてる日かどうか分かるんだよ」


 並べられたKのスリーカード、Qのツーペア。フルハウス。アレンは歓喜することも無く掛け金を自分のもとへと引き寄せる。


「ホアキン、喜べ。美味い酒と美味い肉が食えるぞ」


「やりやがったじゃねぇかアレン!!!」


「せめてもの手向けだ。よく味わっとけ。おいキャシー、テキーラと豚の香草焼きを頼む!」


 アレンはウェイトレスに気前よく店で一番高い料理を注文する。もちろんホアキン一人に食わすわけにはいかない。自分が大半を喰らうつもりだ。その辺をわきまえていなければホアキンには豚の餌を提供するつもりだった。


「・・・・アレン、なんだか気味の悪いガキが呼んでるぞ」


 人助けをしてすっかり気分の良くなっていたアレンは後ろから見知らぬ男に肩を叩かれる。すぐさまアレンの脳裏に不快な電気のようなものが走った。


「ああ・・・・すっかり忘れてたぜ」


 店の入り口には背の低い子供が立っている。脚や腕は動きやすく曝されているのにその顔だけは見ることが叶いそうもないくらい深くかぶったフードに覆われている。


「アルバート!!ホアキンを頼むぜ!!掛け金に手ぇつけたらホアキンがぶっ殺すし、ホアキンを引き渡したあとの賞金に手ぇつけたらこの小さいのがてめぇをぶっ殺しに来るから覚えとけよ!!!」


「・・アレン、私、そんなことしない。アレンのために、動かない」


「なんでだよ動けよ!!」


「そんなことより、遅刻、フランクが私の好きに、お仕置きしていいって」


「待てよ!遅刻じゃねぇ!!忘れてただけだ!!」


「最近、蹴りの勢い、鈍ってきている」


「おい待てよ俺はてめえの練習台じゃ・・ぐああぁっ」


 小さな子供は軽いステップとともに小さくジャンプをしてアレンの横っつらに回し蹴りを放つ。蹴りの勢いは鈍っているとは微塵も思えないほどに鋭いものだった。

 まるで喜劇映画のようなテンポ良い流れだったが一部の客は小さなその姿に恐れをなしていた。


「・・あれが『暁』のキリングバイツか」


 アレンとアルバートの勝負を近くで見ていた用心棒らしき男もそのうちの一人だった。去りゆく二人の姿を見た後でアルバートに忠告する。


「金を頼まれたんだろう?アレンの言っていたことは本当だ。ずらかるほどこの世で馬鹿なことも無い。きちんとアレンに返してやれ」


 アルバートは半分くらいずらかる気持ちでいたが男の慎重な声に静かに頷く。


「それがいい。全部あんたのためだ」


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