第2話
フランクの前に立つのは日傘をさした若草色のドレスを着た少女。小脇には分厚い本を抱えている。若くして貴婦人のような雰囲気を纏った彼女はフランクが隣に立つと彼の姿も見ずに町の外にある駅馬車の停留所へと静かに歩きだす。
少女はフランクより少し前を静かに歩いている。一見しただけでは二人が一緒に歩いているのか、それとも同じ方向へと歩くただの男女なのかどうかの判断が付きにくい距離を保ちながら。彼らは意図してそうしているのではなく、かといってそれが二人の情緒的な距離というわけでも無い。それは普段から綱渡りのような生活をしている彼らの癖のようなものだった。
「アレンたちはもう着いてるのか?」
フランクは少女の頭を見つめながら質問を投げかける。答える少女も振り返りはしない。
「ううん。っていうかアレンが一番遅いに決まってるじゃない。ヴィジェとヒイロ君ならもういるけど」
「・・まぁ、そうだろうな。しかしヒイロとヴィジェってまぁ・・あいつら二人って何か話すことがあると思うか?」
「うーん。全然わかんない。まぁお似合いの二人だと思うけど」
「そりゃねぇよアーニャ」
フランクが呆れながら否定をすると少女は不満そうな表情を浮かべて振り返った。
「えー、でも二人ってなんかテレパシーで会話してそうなとこない?」
「あぁ・・それは・・まぁ似たような戦闘スタイルだし、何か通ずるものくらいはあるんじゃないか?」
「でしょー!私の力でくっつけちゃおうかなぁ!」
「それは無理だな」
「恋のキューピッドアーニャちゃんにできない事なんてないのです!!」
「本当にくっつけられたら尊敬してやるよ。・・それで、今のお前は何て呼べばいい?」
「むふん」少女は分厚い本をこれ見よがしに見せつける「今日の私は女流作家ステファン・マコノヒー婦人なのです!」
「・・なんでまた女流作家なんか」
「最近フランクやアレンが私の事馬鹿にしてる気がして」
「・・そりゃあ普段のお前の姿を見てれば誰でもそう思うだろうよ」
「でしょー!!でも私って実は超知的じゃない!?そういう知的設定アピールしたくってさぁ!」
「理由がそれだけなのが悲しいな」
「ほら、もう駅馬車近いからあたしの事マコノヒー婦人っていうの忘れないでよね!」
「分かったよステフ」
フランクはシャツの襟を正して前をゆく少女に続く。少女は先ほどまでの態度をガラッと変えて停留所に留まった駅馬車の御者に声をかける。
「運転手さん。イエローダッヂまでなんだけど、主人と二人お願いできるかしら?」
「構いませんよ。新婚旅行ですか?」
「ええそんなところよ。それから今物語を書いているのだけど、フローディアの景色を参考にしたくって」
「そりゃあいい。なんてったってここは神話の中の世界だ。それじゃあお二人さんでイエローダッヂまでだね。できるだけ急いだほうがいいかい?それともゆっくり行って景色を書き留めるかい?」
「できるだけ急いで頂戴。荒くれが多いって聞いてますもの」
「あはは賢いお客さんだ。じゃあできるだけ急いで向かうとするよ」
アーニャは向かいに座るフランクに小さな声で「賢いお客さんだって」と笑う。
そのほほえみだけならあどけなさの残る無垢な少女。
その白く細い彼女の首に懸けられている賞金は名の知れた悪党をゆうに踏み越えて見せるほどの額。
五十万ドルの賞金首。そんな彼女の姿と名を知る者はこの地にいない。
ウォレスはデイブとフリオがいつものように眠たげにやって来るものと思っていた。けれど二人は勤務時間になってもこの場に表れない。
今朝の事もあってかウォレスは酷く心を労したが一時間半経ってようやくのろま共が現れたのでひとまずは胸を撫で下ろして二人を怒鳴りつける。
「何をやってたんだお前ら!もうこんな時間だぞ!」
「すいません
「・・何言ってんだフリオお前寝ぼけてるのか!?」
「いえ。そうじゃなくって」今度はデイブが口を開く「ヴィンセント・ランス上院議員です」
「ランス上院議員がどうしたってんだ!俺は今デカいホシを狙ってんだ!何か言いたいことがあるならはっきり言え!!」
「こ、殺されました・・!何者かに・・その・・銃撃です・・ベッドの上で頭を一発」
ウォレスはデイブの言葉に唖然とする。付近では良くも悪くも名の知れた上院議員。誰もがその名前を知っている。
「金品が一切持って行かれていた。強盗ですよ
「・・・なんだと」
ウォレスの目には机の上の新聞記事の文字が映っている。
強盗団『暁』。
それは無秩序の夜明け。
「なーにフランク?やっぱり知的な私がお好み?」
駅馬車の座席の上でアーニャは自分の顔を見つめるフランクに尋ねる。
「そうじゃねぇよ。・・・お前、仕事明けだろう?」
「うん。確かにそうだけど・・すごいねフランク!ひょっとして年の功ってやつ?」
フランクはため息をついて彼女の首筋に手をかざし、彼女の長い髪を手の甲ですくう。
「あーなに・・?フランク、ちゅーするの?」
「・・覚えとけアーニャ」フランクは彼女の首筋を人差し指で強く撫でてからアーニャの目の前にかざす。フランクの指には赤黒い固まりが付着していた「女流作家は首筋に血なんて付かねぇ」
「あれぇ・・ちゃんとお風呂入ったんだけどなぁ」
「そんなんで今までよく逃げきれてると思うぜ」
「運も実力のうちよフランク」
アーニャは胸を張ってフランクにウインクをする。
「仕事するときは抜け目なくやれって言ってんだろうが。そうじゃねぇともう小遣い稼ぎの仕事はさせねぇぞ」
「はいはいわかりました!次からは気を付けますー!」
数日前、サンタモレラ郊外。ヴィンセント・ランスの邸宅。
ヴィンセント・ランス上院議員は上院の中でも良かれ悪かれ注目を集める人物だった。
彼は若いうちから徹底的な白人至上主義者であり、リンカーン元大統領の奴隷解放宣言から三十年たった今でも彼の経営する農園では多くの黒人が働き、若い女は女中として彼に仕えていた。白人が煙をあげて新世紀という名のレールを走る機関車なら、黒人は石炭だ。アリのように無数に存在する黒人は火の中に投げ入れ燃料として消費するべきだ。彼は民衆に向かうと決まってそんなセリフを吐いた。
反対の意見を述べる有力な有色人種には、ここ、フローディアに限り石炭にすらなれない石クズも存在することを述べた。つまりは、君たちは石炭にはなれる。未来への活力として存在は許される。そうではないものも存在するのだから。
納得しない者も多かったが彼らの多くは力を持っていなかった。ただ、彼の言葉を受け止めては打ちひしがれていた。
そんなヴィンセントは続くトラブルで苛立ちに身を震わせている。
黒人の女中たちがあろうことか自分の邸宅から逃げ出したのだ。邸宅には常に奴隷たちの監視も務める警備がいたというのに。ヴィンセントはまず農園の年寄りを疑った。自分たちと同じ民族の若い女たちを彼らが解放したのだと疑いをかけて、老いて筋肉も削れてきた男たちを鞭打ちにし、吐かせようとした。
けれども幾度となく打つ鞭に吐くのは血反吐だけで、農園で働いていた五十三人のうち、十五人が痛みに耐えきれずに絶命しただけだった。
まだか弱い少女たちの足で、広い邸宅を、その先に広がる広大な綿花畑を誰にも見られずに抜けることなど到底不可能だった。ヴィンセントは狐につままれた気になる。怒りに任せて投げつけた杖が三千ドルの花瓶をただの破片に変えた。
そのうえ農園の奴隷たちが鞭打ちによって亡くなったことが外に漏れてしまった。彼の地位や若いころの功績も鑑みて処罰はされなかったものの、彼の意見に反対する者の声をより一層大きくした。
ヴィンセントは酷く憤慨していた。
数日前、一人の女中がヴィンセントの邸宅にやってきた。黒い肌ではなく、白い肌の女中。なんでも彼が女中を失ったことを聞いて、彼の支持者である自分がぜひ力になりたいと申し出たのだという。
ヴィンセントは最初彼女の申し出を断ろうとした。女中は奴隷が務めるもの。白人である彼女がすべきではない。その旨を執事に伝えようとしたが、彼女の姿を見て彼は考えを変える。
まだ表情にあどけなさを残す彼女だが、その肢体は大人びてなんとも艶めかしい。豊満な胸、視覚だけでもはっきりとわかる彼女の肌の柔らかさ。透き通るように白く張りのある肌は若さに満ちている。
「初めましてランス様。わたくし、エリザと申します」
小鳥のように美しく儚く、それでいて後を引くようなその声にもヴィンセントは心を奪われる。傍に置いておきたい。ヴィンセントは心からそう願った。
彼女はどこか気品があり、常に艶っぽくあった。しかし娼婦のような品のない胸の開いたドレスを着ているわけでも無い。与えられた白と黒のメイド服を着こなし、与えられた仕事を完璧にやりこなす。
ヴィンセントは常に彼女を視界に入れていた。彼女の振りまく色香に常にそそられていた。皺も刻み、毛髪も白くなってしまった年寄りは年端もゆかぬ白人の女中に恋していたのだ。
ある晩、ヴィンセントは彼女を部屋に呼び出してベッドの隣のソファに座らせる。隣で甘い香りを放つエリザにベッドの上で横たわったヴィンセントの心は沸いていた。
「・・エリザ。君は以前誰の下で働いていたんだね?」
「いいえ、ランス様の下で仕えるのが初めてですよ」
「冗談が上手いな。君は仕事だけではなく主人の喜ばせ方を知っている」
「仕える者の心があればこそですわ」
ヴィンセントは照明の隣に置いてあるシャンパンの口を開けて二つのグラスに注ぐ。
「酒は飲めるかエリザ?」
「ランス様が望むのなら」
彼女の笑みにヴィンセントは頬を緩めずにはいられなかった。付き合わせたグラスの飲み口が透明感のある音を立てると二人はシャンパンを口の中で転がす。
「仕える者の心・・か。エリザ、それはいったい何だと思う?」
エリザはいじらしく微笑みを浮かべながら「何でしょうか?」と聞き返す。
「それは愛だよエリザ。突き詰めるならそれは愛だ。君には私への純粋な愛がある」
「そんな・・私の身分ではとても」
「いいんだ。純粋な愛は身分をも乗り越える。シェイクスピアを読んだことは?」
「ええ。でも悲劇ですから・・私はあまり好みではなかったです」
ヴィンセントは皺を刻み枯れ果てた手を伸ばし、熟れた果実のような潤いのある彼女の頬を撫でる。
「ああ、そうかもしれない。だが現実はもう少し気楽なものだ。君の座っている椅子と私のいるベッドが身分の壁だとしたら、君はどうする?」
エリザはたじろぎながらもヘッドドレスを外し、彼の横たわるベッドへと足を踏み入れる。
「どうだ?簡単なものだろう?さぁこっちへおいで」
ヴィンセントはエリザの華奢な腕を引いて自分の上へと跨らせる。エリザは髪を二つに結っていた髪留めを外し、艶のある黒く長い髪をヴィンセントに垂らす。
「誘うのがお上手ですねランス様」
エリザはゆっくりと上体を彼の元に近づけて耳元で囁く。髪から漂う香りとその声に、もうすっかり老いていたヴィンセントも猛る。ベッドの上に導いた途端、愛しい女中が愛しい女へと姿を変えたのだから。
「やはり君は主人の悦ばせ方を知っているらしい。いけない子だ。好きなんだろう?こういうことが」
「女の子にそういう事を聞いてはいけませんよ」エリザは彼の耳に唇で触れる。「でもランス様にならすべて打ち明けられるかもしれませんわ」
「・・そうだろうエリザ。愛の存在を感じるだろう?・・ところで君はどちらが好きかな?」
「どちらというと?」
彼女は素知らぬフリをしてみせるがヴィンセントには分かっている。彼女はすべて分かったうえで自分を焦らしているのだと。
「・・前か後ろかだよ。前の女中に後ろが好きな奴がいた。私のお気に入りの女中だったよ。君はどうかな?」
「・・・そうですね。私は三つめがたまらなく好きですわ」
恥じらいながらもそう答えたエリザにヴィンセントは芯から震える。歓喜の震え。魅惑の果実を前に彼の口元から唾液が垂れる。
「ふふ・・三つめ?面白いな。聞かせてもらおうか」
「ええ、この世で一番の快楽を感じられる穴です。ランス様もきっとすぐに果ててしまいますよ」
「エリザ、それはどこにある?久々に猛っていてもう我慢ならないんだ」
「焦らないでランス様。待ってくださいね。すぐに教えてあげますから」
エリザはヴィンセントの上着のボタンをゆっくりと一つずつ外し、突き立てた白い人差し指で彼の腹から上へとなぞっていく。
「それはここですよランス様」
毛の生えた胸板から首筋へ。首筋から唇へ。そうして上へ上へとなぞっていった人差し指を額の上で止めたエリザはいじらしく笑ってみせる。
「ふふふ・・面白いなエリザ。愉しませてくれそうだ」
「ええ、もちろん」
エリザがそういうと彼女の右腕から袖口へと何かが滑り降りてくる。
ヴィンセントの額に当たる重く鈍い衝撃。突如突き付けられたのは彼女の右手に収められたデリンジャーの銃口。
エリザは笑う。あどけなく、艶めかしく、純粋な悪意を孕みながら。
「
周囲の空気を裂く銃声とともに彼の額に
豪華絢爛かつ趣味の悪い家具に鮮血がこびりつく。何度も奴隷の女中とともに夜を明かした白く汚らわしいベッドに脳みそが弾け飛ぶ。
ヴィンセントの返り血を浴びてエリザは微笑む。デリンジャーの反動に身をよじりながら。訪れる快楽が彼女を満たしていく。
「久々に楽しませてもらっちゃった・・!じゃあねご主人様。お金になりそうなものは全部もらっちゃうわ」
エリザは立ち上がり部屋を見回してため息をつく。
「なんの足しにもならないみたいだけどね」
事実、この部屋にあるものすべて集めても彼女一人の価値に遠く及ばない。
ミス・ノーバディ。五十万ドルをかけられた名前のない首の持ち主を誰もがそう呼んでいる。
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