第2話 ジョセフ・エルロイ【後編】「予想外の驚愕」

「なんだ?」

 情報部員は小さな画面に顔を近づけ、瓦礫の中に「違和感」を探した。

「どうしたの?」

 女が怪訝そうに尋ねたが、男は答えず画面にかじりついた。

 よく見ると、やはり何かが動いていた。動物が這っているかのように、細長いものがうごめいているようだった。

 動物が建物の中にいたのか? いや、いたとしても生きているはずがない。

 情報部員はそう思ったが、這っていたものがゆっくり立ち上がった時、違和感は驚愕に変わった。シルエットでしか見えないその姿は、間違いなく人間だった。輪郭からは男のように見えた。

 この周囲に標的と同伴者以外の人間はいなかったはずだ。作戦開始前から偵察衛星で監視していたのだ。そして、たった1人の同伴者は女だった。

 情報部員は耳につけたヘッドセットのボタンを押した。

「ローンウルフからオアシスへ。標的は健在。ただいま目視で人間のシルエットを確認。詳細不明。指示を乞う」

 オアシスとは地上の統合作戦本部を示すコードネームだ。百戦錬磨の幹部たちが顔を揃える国軍の中枢だか、彼らをもってしても情報部員の報告を理解できた人物はいなかった。むろん、標的が健在などとは思いもしない。情報部員の報告から3秒ほどの時間が過ぎて、ようやく「もう一度繰り返せ」という苦し紛れの指示をだしたが、その時にはすでに人間のシルエットはなかった。情報部員が見つめる中、シルエットの人間は片膝をついてうなだれていたように見えたが、次の瞬間には姿を消していた。情報部員には、そのシルエットがまるで超高速で空に向かって飛翔したように見えた。


 情報部員の報告は、ステーションでも受信していた。ブリッジは一瞬で鎮まり返った。地上の作戦本部が、情報部員に報告を促す声が響いた。エルロイ大佐とハイデッガー少佐は顔を見合わせたが、お互いに現状を理解できないようで、ただ見つめ合うだけだった。

 そんな中、エリン中尉が叫んだ。

「大佐! 地上から何か高速で接近してきます」

 大佐はメイン・スクリーンに視線を向けた。サブ・ウィンドウの1つにレーダー画面があった。ウィンドウの上部が地球の方角で、下部にはステーションを現す点が表示されていた。エリン中尉が報告した接近物体は、地球の方角に点として表示され、それが高速でウィンドウ下部へ移動していく。しかし、その軌跡はまっすぐステーションに向かっておらず、別の目標を目指しているようだった。

「物体が進む先に何かあるのか?」

 大佐がエリン中尉にそう尋ねると、彼女はコンソールを素早く操作してから顔をあげた。

「ATLAS3です! このまま直進すれば、12秒後にATLAS3と接触します!」

 大佐はすぐさま司令を出し、ATLASに取り付けられたカメラをメイン・スクリーンに表示させた。

 映しだされた映像には、西太平洋を背景にATLASの砲身が画面の下に先端だけ写っていた。それ以外に変わった様子はなかったが、それもつかの間だった。

 最初に大佐が気づいたのは、画面中央に映る小さな黒い点だった。その点はゆっくりと大きくなっていき、次第に物体の形が認識できるようになってきた。

「人間?」

 エリン中尉が画面を凝視しながらつぶやいた。

 確かに人間の形だった。胴体を中心に頭と両手足が伸びている。まだ遠すぎてシルエット程度にしか見えないが、まっすぐこちらに飛んでくる様子は見て取れた。

人型の物体がATLASの目の前で止まった。カメラの存在に気づいているのか、画面の中央で仁王立ちのまま、両手のひらをまっすぐこちらに向けた。

 それは信じがたい光景だった。

 宇宙服もつけず、なんの推進装置も装備せず、ただそこにいた。

 身体は人型だが、それ以外はまるで人間には見えなかった。服らしきものは着ておらず、人間の皮膚ではなく金属のような黒光りする表皮で覆われている。

顔にも人間らしいやわらかさはない。パズルのようなパーティング・ラインが顔中を走り、口も目も鼻も、ただ単純に配置と形でその用途がわかる程度だ。

その中で唯一、両方の瞳だけが赤く激しく、無秩序にゆらめきながら輝いている。

「なんだ、あれは?」と、眉間にシワを寄せて大佐が言った。

 しばらくすると、突き出した男の両手から黒い光の玉が出現した。まるで男の周囲の物質が、光も含めて両手に吸い込まれていくようだった。そして、それが男の両手を包み込むほどの大きさになった時、ATLASからの映像が突然途切れた。

 大佐は担当者にステーションのカメラを切り替えるよう指示を出した。担当者がすばやくコンソールを操作すると、ステーションのカメラは最大ズームでATLASを捉えた。カメラが拾った映像にはあいかわらず宇宙空間に浮かんでいる男がいたが、先ほどと違うのは男が両腕を力なく下していることと、その目の前で鉄くずと化しているATLASだった。ATLASはまるで大きな力で握りつぶされたようにひとつの鉄の塊と化し、そこからこぼれた小さな破片が周囲に漂っていた。

 クルーたちが茫然とその様子を見守る中、司令官は至極まっとうな判断を下した。

(これは攻撃だ)


 大佐はインターコムをとる間も惜しみ、大声でどなった。

「第1種防衛体制につけ! 奴はこのステーションに向かってくるぞ!」

 我に返ったクルーは一斉に動き始めた。ハイデッガー中佐はコンソールからインターコムをはぎ取ると、作戦本部に回線をつないだ。

「オーロラからオアシスへ。現在未確認物体に攻撃を受けている。ATLAS大破を肉眼で確認。攻撃の許可を乞う」

 サブ・ウィンドウに映る統合参謀本部議長が「攻撃を許可する」と応じると、大佐は次の命令を下した。

「全武装オンライン!」

 命令一下、ステーション本体から武器庫がせり出し、ハッチが開くと同時に数十本のミサイルが頭をのぞかせる。その横でレーザー連装砲が一斉に砲身を伸ばし、更にその横で、荷電粒子砲がエネルギーの充填を開始した。

 ATLASを破壊した主は、映像の中でまだ瓦礫を見つめていたが、突然顔を上げて振り向いた。その視線はまっすぐステーションのカメラを捉えている。

(まさか、荷電粒子砲のエネルギー充填を探知したのか?)

 大佐の脳裏にそんな直感がよぎった。

「ターゲットをロックしました!」

 兵装担当者が叫ぶ。大佐は静かに応じる。

「ミサイル一斉発射」

 カメラに映る謎の男は視線の方向に身体を向けると、まるで見えない何かに引っ張られるかのように、一瞬で飛び去っていった。レーダー画面では小さな点として表示されているが、レーダー管制官が今までに見たこともない早さで、まっすぐステーションに向かっていた。推進装置を持たずに、どうやったらあれほどの高速移動ができるのか。レーダー管制官は目の前の出来事に現実感を見いだせないまま、エルロイ大佐に男の進路を報告した。

 大佐が着弾予想時間を尋ねると、レーダー管制官は「約3分」と答えた。

 ターゲット・ロックした標的に対して、ミサイルは正確にその軌道と位置を計算し、迎撃できる座標を導き出した。後は推進剤をフルパワーで排出して、最高速度でその座標に達するだけだ。

ブリッジのメイン・スクリーンにも、ミサイルと標的それぞれの現在位置がリアルタイムで表示されていて、武器管制官が報告した通りの時刻を境に、数十発のミサイルが連続して標的に命中した。

 しかし、現在位置を現す光点がスクリーン上で交わった後も、標的の光点だけは消えずにそのまま進み続けた。ミサイルは間違いなく命中したはずで、受信したミサイルのテレメトリーも命中を示しているが、標的の速度は何の影響も受けていなかった。着弾による減速すら起こらず、何事もなかったかのようにステーションに向かっていた。

 ステーション到達まで1分を切った時、エルロイ大佐は荷電粒子砲の発射を命じた。武器管制官が認証コードと標的座標を入力すると、コンソール上の小さなカバーが開いてトリガーボタンがせり出した。

「発射準備完了!」

 ボタンがグリーンに発光するのを確認した武器管制官は、大佐の方を振り向いて叫んだ。大佐は小さく頷いて「発射」と答えた。

 武器管制官はすぐさまコンソールに振り返り、瞬間を惜しむように勢いよくボタンを押した。

 全兵器をオンラインにした時点で、小型加速器内には亜光速まで加速された電子と金属イオンが、エネルギータンクで待機していた。

 武器管制官が標的にターゲット・ロックすると、コンピューターが標的の位置と粒子の発射速度から発射方位とタイミングを計算する。トリガーボタンが押されたことで、一連の動作がコンマ数秒の所要時間で自動的に行われた。

 ステーションのカメラが男の映像を捉えた。というより、まっすぐこちらに向かってくるので捉えることができたというべきだろう。今までは動きが速すぎてカメラが追えなかったのだ。

 画面の中央に映し出された男に向かって、砲身から放たれた荷電粒子がまばゆい閃光をまといながら襲いかかった。光によって男の姿はかき消されたが、その光が画面の中心で四方にはじけ飛んだのを見て、クルーはこの攻撃も標的の前進を阻むことはできなかったことを知った。

「バリアーか? どこかの国が開発に成功したのか?」

 ハイデッガー中佐がつぶやく隣で、大佐は口を真一文字に固く結び、両手をきつく握りしめた。

 大佐は、ステーションが保有するすべての武装が、敵に対して無力であることを悟った。ATLASも荷電粒子砲も効果がない以上、もはや我々に打つ手はない。

「総員脱出ポッドへ」

 全員の脱出は時間的に厳しいだろうとわかっていたが、大佐はそう言わざるを得なかった。

 クルーが全員大佐を見る。その哀しげな眼差しに、彼らも自分と同じ考えであることがわかった。一瞬で破壊されたATLASを目の当たりにしたのだ。無理もない事だった。

 しかし、大佐は「あきらめるな」と言った。

 その言葉で皆の行動が決まった。ハイデッガー中佐の指揮のもと、皆大急ぎでブリッジを後にした。大佐は司令官席のコンソールを操作して、武器管制を自分で直接操作し始めた。クルーを送り出した後、最後に残ったハイデッガー中佐に向かって、大佐は「君も行け」と言った。中佐は一瞬抗議の言葉を言おうとしたが、大佐の哀しげな笑みを見て口を閉じた。

 中佐が敬礼をすると、大佐も答えた。

 ブリッジに1人残った大佐は、荷電粒子のエネルギータンクに残量があることを確認すると、それを標的に向けて発射した。更にミサイル。更にレーザー。メイン・スクリーンに映し出される着弾報告には目もくれず、コンソールに向かってひたすら武器を撃ち続けた。どこからか金属がきしむ音がした。それでも大佐はコンソールの操作をやめなかった。メイン・スクリーンに大きなひびが入り、ブリッジが揺れ始め、照明が消え、金属のきしむ音が大きくなっても、大佐は必死で攻撃を続けた。彼にできることは、なるべく多くのクルーが脱出できるように、時間を稼ぐことだけだった。

 しかし、コンソールの電力も切れてしまい、武器管制ができなくなった。ステーションが激しく揺れ、壁や床がまるで紙のようにひしゃげていった。やがてブリッジが真空になると、気圧を失った大佐の体液が沸騰した。

 大佐が生命を失う一瞬前、ひび割れた壁の隙間から、標的の男が見えた。ステーションに向かって伸ばしていた両手を、ゆっくり下すところだった。


 後日、作戦本部からの命令を受けた情報部員が、標的だった男の足取りを追った。手元にある情報といえば、タイカ・オーリという人物で、半年前から国際亜空間研究所のエンジニアとして働いていたことくらいだった。

 ところがどれだけ深く情報検索を行っても、事件以降どころか、研究所で働く前の足取りを見つけることすらできなかった。出生証明や在学証明などデータとしては存在するものの、近所の住民や卒業生への聞き込みを行っても、みんな彼に関する記憶になかった。

 国際亜空間研究所の同僚たちは彼の存在を認めているのだから、実在していたことは間違いない。しかし、国際亜空間研究所での記憶だけ残して、男はこつ然と姿を消した。

 一方で、暗殺自体の有用性についても、政府中枢の中では疑問符がつく結果となってしまった。今回の攻撃以降、深部システムへの致命的なハッキングが起きなかったが、相変わらず世界中でテロ活動は続いており、他国の暗躍も弱体化する兆しは見えない。

 政府内部では「もしかして今回の情報漏えいは大木の一葉に過ぎず、現在のテロは単発的事件が無秩序に多発しているだけなのでは?」と思うようになってきた。

 テロの混沌。

 それこそ、この国がもくろむ世界秩序の対局にある事態だ。

 それを象徴するかのように、暗殺作戦から数週間が経った頃、日本のニュースキャスターが半ばうんざりしながら次のようなニュースを読んだ。

「日本でも多発しているテロ事件は、休むことなく増加の一途をたどっています。国家公安委員会は世界中の警察機構と連携してテロ撲滅のための捜査を行っていますが、残念ながら一向に解決する目途は立っていません。そして、それに便乗するかのように、とうとう『エイリマン』というクライム・ファイターまで現れました。

いったい世界は何を目指しているのでしょうか。それとも目指すことをやめたのでしょうか」

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