アナザーサイド・オブ・エイリマン

藤田 夏生

第1話 ジョセフ・エルロイ【前編】「予想された歓喜」

 2071年8月30日。地球の周回軌道を周る一基の宇宙ステーションが、オーストラリア上空にさしかかろうとしていた。

 とある大国の国旗を背負い、国益と国民を保護するために存在する大型軍事ステーションで、「オーロラ」というコードネームで呼ばれる。

 オーロラは常設の軍事ステーションとしては二代目であり、初代が実験的要素の強い任務を帯びていたのに比べ、二代目は文字通り実戦配備された純粋な兵器プラットフォームだった。軌道上からの対地攻撃が可能な種々の武装を持ち、地上・空中の管制をすることもできる高性能な作戦指揮能力を備える。

 ステーション自体の存在は周知のものだが、その装備や目的は自国民にすら知らさえておらず、ましてや世界中の誰も、自分たちが高性能な最新兵器に頭上から狙われているなど、想像もしていなかった。

 ステーションには常時20名の軍人が滞在しており、3ヵ月ごとに半数が入れ替わる。

 軍人といってもほとんどが軍属のエンジニアで、いわゆる戦闘員ではない。機器の操作とメンテナンスが彼らの主な任務だが、作戦行動時はステーションが保有する兵器のオペレーターも兼ねている。

 そんな彼らが3交代制で24時間シフトを敷き、地上の作戦本部と連携して作業をこなす毎日を送っていた。

 7名も入れば満員というほど狭苦しいブリッジには、管制用コンソールが所狭しと並んでいる。照明はといえば、各コンソールに備えつけられた小さなデスク・ライト以外は、モニターやスイッチ群が発する光だけだ。

 そんな薄暗いブリッジで、配置についたクルーが忙しそうにコンソールを操作していた。遠心力による疑似重力にも慣れたようで、彼らの闊達さは地上と変わらないようだった。

 おまけに、今日はいつもよりブリッジ内の人数が多い。シフト外のクルーも一人残らずブリッジに詰めているため、本来は6名用のコンソールに、12名が無理やり椅子を押し込んで、窮屈そうに手を動かしている。椅子にさえ座れないクルーは、壁際に立ってブリッジの様子を見守っている。この日のために苦労してきた彼らにとって、これから始まる作戦は、まさに世紀の一瞬だった。悠長に休んでいられないのだろう。

 ブリッジ最後部にはひときわ大きなコンソールがあった。背の高い背もたれのシートは空席のままだが、その脇にはオーロラの副司令官を務めるヨハン・ハイデッガー中佐が立っていて、誇らしげな微笑を浮かべながらクルーたちの様子を見守っていた。


 空気圧シリンダーから空気が抜ける音がした。ハイデッガー中佐はブリッジ側面の出入り口に司令官の姿を認めると、クルーに向かって大きな声で「Captain on the bridge!」と号令した。

クルーが手を止めて司令官に注目することはないが、中佐の号令は漏れなく彼らの耳には入っており、指揮権が中佐から司令官に移ったことを理解した。そして、このタイミングで司令官がブリッジに入ってきた理由も。

「嬉しそうですね、大佐。作戦のゴーサインが出ましたか?」

 中佐からそう言われて、ジョセフ・クリストファー・エルロイ大佐は無意識に浮かべていた自分の表情に気づき、微笑を苦笑に変えながら頭を掻いた。

「あぁ。統合参謀本部から直々にな。なんだか若い頃に戻った気分だよ」

 大佐がそういうと、少佐は声に出して笑った。

「私もです」

 大佐は中佐の肩をたたき、空席となっていた司令官席の前に立った。

 ブリッジ前方の壁は全面スクリーンとなっており、その中央に映し出された巨大なメイン・ウィンドウには、作戦地域の地図がワイヤーフレームで表示されていた。作戦地域は西太平洋で、ロシア東部とオーストラリアにまたがる巨大な8の字の線が描かれ、ちょうど沖縄本島の中部東海岸の線上に赤色の点滅があった。点滅には吹き出しがついていて「TARGET」というタイトルがついている。

 そこから北西へ上がった線上には、青い点滅がわずかずつ動いて赤い点滅に近づいている。青い点滅にも吹き出しがついており、「ATLAS:03」と書かれていた。

 ATLAS。

 Advanced Tactical LAser Satellite。

 1年前秘密裡に実用化された高度戦術レーザー衛星。

 便宜上「レーザー」という名がついているが、実際は大気中でも減退しない超強度の光子エネルギー弾を射出する無人衛星で、その威力は一閃で超高層ビルを丸ごと完全に破壊できた。

 現在は3基のATLASが各エリアの軌道を周回して、地球全域をカバーしている。ATLAS:03はそのうちの1基だ。

 大佐は司令官席の周りにあるコンソールを見回した。現在の作戦ステータスを表示したモニターや、LEDで様々な色に発行している各種スイッチが並び、デスクの上には作戦内容を閲覧するタブレットと、発明されてからもう百年以上形の変わらないキーボード、片方の耳にかけて使うワイヤレスのインターコムが置かれていた。

 大佐はそのインターコムを耳につけると、コンソールに並ぶスイッチ群の中から「1MC」と書かれたボタンを押した。

「司令官から全クルーへ」

 大佐の声がブリッジのスピーカーから響き、そこにいたすべての人間が大佐に注目した。大佐は皆から自分の顔が見えるよう、立ったまま話し始めた。

「先ほど統合参謀本部議長より、作戦開始の大統領命令が伝えられた。ここで標的を確実に仕留めなければ、国家の最重要機密がテロリストに漏れる恐れがある。標的は沖縄の国際亜空間研究所のスタッフで、核融合炉爆発事故の混乱に乗じて我が国の最重要システムに無断侵入した犯罪者だ。

 諸君もよく知っているように、そのシステムは厳重なセキュリティー監視下に置かれており、大統領以下数人の政府関係者以外、アクセス不可能な環境にあった。そこにいともたやすく侵入したということは、我が国全体のセキュリティーが無防備に等しいということである。

我が国は現在までに数多くのハッキングを受けており、そこから持ち出された情報が、世界中に蔓延しているテロ活動に悪用されるケースもある。しかし、セキュリティーを強化するだけではとうてい間に合わない。すぐにでも危険を排除しなければ、今度は国民自身が被害を被ることになる。いわば、我々は安全保障の最重要任務を担っているということであり、けして失敗は許されない」

 大佐はそう言い終えると、それまでの厳しい表情を緩めて笑みを浮かべた。

「とはいえ、今までの訓練で皆もよく知っている通り、ATLASに狙われたが最後、どんな方法を用いても逃れることはできない。つまり、我々が訓練通りに落ち着いて行動すれば、作戦の成功は約束されたようなものだ。

ATLASが正式配備されて一年。最高機密であるこの兵器を取り扱う我々は、一般の兵士以上に制限された日常を強制された。のべ半年もの間、我々はこの殺風景で狭苦しいステーションに閉じこまれ、世界中の誰にも知られず、家族に自分の仕事内容を打ち明けることもできず、我々はただひたすら黙々と訓練に明け暮れた。それはひとえに、わが子同様のATLASが、国家防衛に不可欠な武装であると信じたからだ。そして、今ようやくそれを証明する機会を得た。人類史上初の宇宙軍たる我々が、待ちに待った晴れ舞台である。無駄な緊張をせず、訓練を思い出して淡々と職務をこなして欲しい。以上だ」

 ハイデッガー中佐が大佐の笑みに触発された時と同じ高揚が、今ステーション内の全クルーに拡散した。

 ブリッジは一層騒がしくなった。スクリーン上の情報は逐次更新され、オンラインでつながっている作戦本部や、現地で標的の動向を監視している情報部員とのやり取りが増えた。

 大佐やクルーを始め、作戦関係者がけして話題にすることはなかったが、標的は同盟国領内の一民間人だった。いくら国家の危機とはいえ、あからさまに同盟国民を殺害することはできない。かといって、正規の手続きを踏む時間もなかった。つまり、これはたった一人の民間人を暗殺するための作戦なのだ。


 短いアラート音がブリッジに響いた。

「情報部より緊急入電!」

 クルーの一人が叫ぶと、その他全員の視線が情報部員のウィンドウに集中した。画面内の彼は緊張した表情をカメラに向けていた。

「ローンウルフからオーロラへ。標的が寝室に入って約2時間、寝室の照明が消えて1時間が経過しました。標的が屋外に出た形跡もありませんので、現在就寝中だと思われます。ただいま現地時間で午前0時14分。周辺区域に懸念事項なし」

 大佐は情報部員に報告了解を伝えると、空域管制管に向かい落ち着いた穏やかな口調で言った。

「エリン中尉。標的上空はどうか?」

 大佐に名指しされた女性士官は、コンソールのモニターを凝視したまま即答した。

「標的の周辺空域に航空機なし。軌道上に他国の偵察衛星もありません」

 大佐は中尉に「了解」と答えると、ATLAS管制官の方を振り向き、大きな力強い声で号令した。

「グレアム大尉。ATLAS発射シークエンスを開始せよ」

 発射管制官は弾けるような声で司令官に向かって「了解!」と応じ、コンソール上のキーボードにコマンドを打った。

 コマンドを受領したステーションのコンピューターが、ATLASのステータス・ウィンドウに「攻撃」の文字と、発射20秒前のカウントダウンを表示した。クルーの視線がメイン・スクリーンに注がれた。カウントダウンが10秒に迫ると、グレアム大尉が自らの声で数字を読み始めた。

 その間、準天頂軌道を飛ぶATLAS本体は、黙々と発射態勢を整えていった。標準合わせのためのスラスター噴射を行いながら、本体に格納されていた砲身を地上に向けて伸ばす。軌道を周回しているATLASには、一度の攻撃チャンスしか与えられない。その最も絶妙なタイミングがカウント・ゼロだ。手動で停止をしないかぎり、発射は全自動で行われる。

「6、5、4・・・」

 計算通り標的の上空に差し掛かったATLASは、電気エネルギーを狂暴なまでに増幅し、砲身の先に激しい閃光をまとった。

「3、2、1・・・」

 閃光は限界の明るさに達しながら体積を増やしていった。そして、カウントダウンの数字がすべてゼロになった瞬間、砲身から開放された超強度の光子エネルギーは完全に人間の手から離れ、物理法則以外に制御する術を持たない光の弾丸となって、大気を裂き標的に襲いかかった。


 そこは、街からかなり離れた場所にある別荘地だった。海岸線に立つ建物は、まるで地中海に向かって立っているような、真っ白な壁を持つ民家だった。真夜中、それが轟音とともに一瞬で消し飛んだ。

 近所に他の住民はいない。遠方の住民が異変に気づくかもしれないが、わざわざ確認に来るような物好きがいるとも思えない。

 爆発はあまりにも突然で、きっと建物にいた人間は何が起こったかわらかないまま死んだだろう。爆発の衝撃と高温のプラズマによって、無機物は原型を留めないほど破壊され、有機物は一瞬で蒸発する。最後に土煙と瓦礫だけが残り、それ以外の証拠はない。光速で撃ち出されたエネルギーなど、肉眼で見ることができるはずもない。爆発の原因ははるか上空にあり、それも今では別の場所に移動していた。

 これで情報漏洩危機は回避された。屍体の確認は地元の警察がするだろう。残っていればの話だが。

 標的から数キロ離れた山の上。小さな展望台の駐車スペースに、1台のスポーツカーが停まっていた。

車内には若い男女がいた。運転席に男が座り、膝の上のノートパソコンを見下ろしていた。助手席の女も、運転席側に身を乗り出してパソコンの画面に見入っている。男は、先ほどオーロラと通信した情報部員で、女はその情報部員の恋人を装うカモフラージュ要員だった。

 パソコンの画面は4分割されていて、標的の建物を監視するための隠しカメラ、統合参謀本部、オーロラのブリッジの映像がそれぞれの枠に表示されていた。最後の1枠は文字情報で、小さなアルファベットが逐次更新されていた。

 男女は隠しカメラの小さな映像を見ながら、あまりに完璧な攻撃(というより暗殺)に、感動以上の興奮を覚えていた。これぞ我が国の真骨頂。最先端の力がなせる技だ。

 ステーションのオンライン映像に視線を移すと、そこはまるでお祭り騒ぎのような賑やかさだった。クルーたちは入り乱れて握手をしたり抱き合ったりしていた。隠しカメラが暗闇に横たわる瓦礫の山を捉えている横で、その惨状を喜んでいる人間がいる。

 この時初めて、情報部員は奇妙な違和感を覚えた。ただし、クルーと瓦礫のギャップが罪悪感を生んだわけではない。廃墟と化した瓦礫の中で、何かが動いたように見えたのだ。

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