美女に心配されていいことですね
「それで、何処行ってたんですか、先生」
部屋に入るなり、深鈴が訊いてきた。
「頭から紙袋を被らされ、俊哉にお姫様抱っこされて、鍾乳洞の妖怪 祇園精舎に会って、手を握ってきた」
「……西島さんに、お姫様抱っこされてたんですか。
それは、水村さんや持田さんたちが食いつきそうですね」
そう言う深鈴に、お前こそ、何処に食いついてんだ、と思った。
「あそこが鍾乳洞だと知られたくなかったんだろ。
俺になにも見せず、聞かせず、歩かせずで済ませたかったようなんだが。
結局、途中で諦めたようだ」
あの独特の湿った冷たい空気とか。
足許の濡れて滑る岩盤とか。
その辺のちょっとした穴ならともかく、鍾乳洞だ。
そこが何処であるのか、隠すことは難しい。
「……手を握って、どうでした?」
と志貴が訊いてきた。
「黒というほどではない茶色がかった淀みを感じたよ。
菜切たちにも言ったが、本人がそれを罪だと思ってなければ、濃い闇を感じないこともあるから、なんとも言えないんだがな」
「祇園精舎の正体は、生きた人間なんですね」
「だが、かなり体温が下がっているようだ。
あのまま、あそこに居るのは危険だろう」
「先生、生きた人間がずっと結跏趺坐の形でじっとしてるんですか?」
そう深鈴が確認してくる。
「なにか薬でも打たれてるのか。
そもそもなにかで意識不明なのをそういう形にしてるのか」
「放っといて大丈夫なんですか?」
と志貴が訊いてきた。
「……わからないな。
菜切ももうバレないでいることは、諦めているようではあったから、行ってみてもいいかなと思ってるんだが、鍾乳洞。
というか、菜切自身、祇園精舎の命の危険を感じたから、ずっと俺たちの前をウロウロしてたんだろ」
「ってことは、菜切さんは首謀者じゃないわけですよね。
彼には決定権がない感じがしますから。
じゃあ、妖怪 祇園精舎をあそこに閉じ込め、菜切さんに協力させてるのは……持田さんってことですか」
そう深鈴は結論づけて言う。
「……まあ、そうなるかな」
菜切は鍾乳洞に居る人物の身を案じているようなのに、自分では動けないでいる。
菜切がそこまで気を遣う相手と言えば、自分たちの知る限りでは、持田しか居ないだろう。
「あいつ、女に弱そうだしな」
そのとき、誰かがドアをノックしたと思ったら、幕田だった。
「ただいま、戻りました」
はい、差し入れです、とアイスを持ってくる。
「どうした、幕田。
気が利くじゃないか」
と言うと、
「いや、おばあちゃんが持ってけって」
と言う。
問題のハルさんか、と思ったが、今は言わなかった。
みんなに好きなアイスを取ってもらうよう、ビニール袋を広げて向けながら、幕田は言う。
「地元警察から聞いてきたんですけど。
古田支配人って、糖尿病だったらしいですね」
「まあ、今、糖尿病の人、多いよな」
幕田は自分もソーダアイスを齧りながら手帳を見て言った。
「支配人も副支配人と一緒で元々、此処の人じゃないんで。
病院は自宅のある地域でかかってたらしくて、わかるの遅れたんですけど。
インスリンを打ってたらしいんですよ。
他のものと併用したり、今はいろいろやり方があるみたいなんですけど。
ペン型のインスリンを使ってたらしいんですよね。
比較的血糖値は安定していたので、一日一回でよかったみたいなんですけど。
それが一本も残ってなかったんですよ」
それも発覚が遅れた原因のひとつだと言う。
「あまり周りにも知られないようにしてたみたいで」
と幕田が言ったとき、志貴が言った。
「そういえば、俊哉くんが、支配人はお菓子を食べないから、職場で配られるお菓子をよくくれてたって言ってましたね。
糖尿病だったからなんですね」
「先生」
と深鈴が心配そうにこちらを見る。
「先生は、祇園精舎の正体は、古田支配人だと思ってますか?
もし、低血糖昏睡だったら」
充分な食事をしていないのにインスリンを打つと低血糖昏睡を起こす。
早く手当をしないと、後遺症が出たり、死に至ったりするのだが。
もう時間が立ち過ぎている。
「いや……どうだろう。
あれからかなり経っているし、あの手の持ち主は、体温は下がってはいたが、生きていた」
それにしても、消えたインスリンは何処に行ったんだろうな、と思う。
夏、鍾乳洞に入ると涼しく感じるが、せいぜい十六度前後。
インスリンを保管するには、暖か過ぎる。
まあ、廃棄したのかもしれないが。
「まだ事件かどうかもわからない。
住み込みの従業員の部屋を探したりはしてないんだろ?」
「軽くは見せてもらってるとは思いますが、こちらから強制して調べられるような状況ではないので」
と幕田は言う。
「先生」
と深鈴が立ち上がった。
「とりあえず、鍾乳洞に行ってみましょう。
話は行きながらでもいいと思います」
「そうだな。
よし、わかった。
幕田、志貴、懐中電灯を借りて、此処を出よう」
と晴比古は言った。
はい、と幕田も志貴も言ったが、志貴はなにか違うことを考えている風でもあった。
幸い、今なら、菜切は新田が連れて出てくれている。
菜切の立場的にもその方がいいだろうと思い、フロントで懐中電灯を借りた。
大きめの懐中電灯を三つも借りたせいか、水村が心配そうに、
「先生、何処行かれるんですか?
大丈夫ですか?」
と訊いてくる。
「いや、ちょっとその辺りを調べてくるだけだから」
そうなんですか……と水村が言ったとき、奥から出てきた俊哉が、
「あ、俺も行くっす」
と言ってくる。
何故か手には食べかけの最中を持っていた。
「西島くん、先生について行ってあげて」
「え、いや」
と水村の言葉を遮ろうとするが、俊哉はもうすっかりついて来る気だ。
「先生、俺きっと役に立ちますよ」
と俊哉は笑顔で言うが。
「いやそれ、なんの根拠があるんだ、お前……」
そう言いながらも、こんな裏のない笑顔で言われると、そうなのかなという気がしてくるな。
やっぱこいつ、政治家に向いてるのかな、と晴比古は思っていた。
「美女に心配されていいことですね」
鍾乳洞に行く道道、深鈴が嫌味を言ってくる。
俊哉の持つ懐中電灯の光で晴比古は歩き、志貴の光で、深鈴は歩く。
幕田はひとりだ。
「水村さんはすっかり先生に夢中のようですね。
菜切さんはどうなったんでしょうね」
少し面白くない風に深鈴は語るが、別に自分に気があるからではないのを晴比古は知っていた。
いや、お前……。
俺に気があるというのなら、そういう態度をとっても望むところだが。
特に気もないのに、そういうことをやられると、ただただ俺の命の危険度が増すだけなんだが、と後ろの志貴の気配を感じながら、ひやりとする。
自分は深鈴が志貴の許を離れて初めて深く交流を持った人間だ。
親のように慕っているのに違いない。
まあ、深鈴に言おうものなら、
「え? 先生の方が親なんですか?」
と言われそうだが。
恐る恐る後ろの志貴を窺うと、彼は今のやりとりなど耳に入っていないかのように、
「しかし、仏像は何処に行ったんでしょうね」
と言ってくる。
「そういえば、仏像探しに来たんでしたね」
と幕田が笑う。
そうだな。
お前のせいでな、と思っていると、
「先生に頼むことになったのは、やっぱり、仏眼から仏像を連想しちゃったんですかね」
そう言う幕田に、深鈴が、
「そういえば、先生は、自分の前世は即身仏だったとか言ってましたよ」
だからちょうどいいんじゃないですか、と言って笑っていた。
お前ら、基本、俺を莫迦にしてないか? と思っていると、背後で志貴がぼそりと言うのが聞こえてきた。
「……仏像って、年代を確かめるのに、頭をかち割ったりするらしいですよ。
即身仏は割らなくていいんでしょうかね……」
気のせいだろうか。
即身仏じゃなくて、俺の話をしている気がするんだが……。
もやもやとしたこの事件の犯人より、後ろに居る刑事の方が余程怖い。
なにかあるかもしれない前方より、後方の志貴に注意を払いながら、晴比古は進む。
ときたま振り返ってみたりしていた。
そうしないと、後ろにナタを振り上げた志貴が居るような気がしてしまうからだ。
横には筋骨隆々とした俊哉が居るのだが、志貴の信望者である俊哉が助けてくれるとも思えない。
笑いながら、
「どうしたんですか、先生。
頭カチ割れてますよー。
年代測定してみましょうか。
俺、やり方知ってるんすよ」
と時折見せる無駄な知識を披露してきそうで怖い。
幕田は当てにならないし、深鈴だって、ただ残念がって終わりそうだ。
もしや、此処には俺の味方は俺一人!?
助けて……
と頼りになりそうな人物を頭の中で探すが、誰も彼も一癖あるうえに胡散臭い。
定行は論外だし、ハルも怪しい。
なにか知ってそうな大上さんも。
……た、
助けて、新田さんっ!
幕田が二時間サスペンスなら、間違いなく犯人だと言った副支配人に助けを求めてしまう。
どんだけ周りに人が居ないんだ、と自分で思いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます