探偵さんに、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、と言われたかった……

 


 食事を終え、廊下に出たとき、菜切は志貴と話していて、晴比古は、そこから少し離れて俊哉と居た。


「俊哉。

 お前、まだ暇か?」

と小声で訊く。


「あ……」

といつもの大きな声で話しかけ、俊哉はそこから声を小さくしてきた。


「明日の朝までは暇っす」


「じゃあ、あとでなにか奢るから、ちょっと頼みがあるんだが」

と晴比古が言うと、待ってました、という顔をする。


「なんでも言ってください、先生っ。

 探偵さんか刑事さんに、そう言われるのが、子供の頃からの夢だったんすっ」


 その勢いにちょっと引きそうになるのを横で深鈴が見ている。


 そ、そうか、と言ったあとで、晴比古は、

「実は、そっと菜切の様子を見張ってて欲しいんだが」

と言った。


 自分たちのことは、菜切は警戒しているからな、と思っていた。


「任せてくださいっ」

と張り切って俊哉は言ったが、すっと近づいてきた声が、さりげなく言ってきた。


「西島にそっと見張るとか出来るわけないじゃないですか。

 こんな目立つ男。


 私が見張りましょう」

といつの間にか後ろに立っていた新田が言う。


 確かに。

 今の気配の殺し方、相当な手練てだれのようだ。


 さすが、本社から来た副支配人、と思った。


「ええーっ。

 ずるいっす、新田さんっ」

と俊哉が文句を言ってくる。


「先生に使ってもらって、今度事務所に遊びに行かせてもらおうと思ってたのにっ」


 なんか野望が小さすぎて泣けてくるが。


「わかった。

 今度暇なとき来い」

と言うと、俊哉は喜んだ。


 まあ、目立つ男だが、意外に聡いし、菜切も俊哉はその辺に張り付いていたところで、まったく警戒しなさそうなので、出来ないこともないだろうと思っていたのだが。


 新田がやってくれると言うのなら、それに越したことはない。


「……実は私もやってみたかったんです」


 新田は、ぼそりとそんなことを言ったあと、さりげなく前へ行き、菜切たちに微笑みかけ、通り過ぎた。


 うーむ。

 動きが自然だ。


 実は本社から従業員を判定するのに使わされているスパイだとか? と阿呆なことを思っていると、深鈴がぼそりと言ってきた。


「わかります。

 私も夢だったんです。


 探偵さんに、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、と言われて、その後、協力するとか。


 刑事さんに、あの車を追って、と言われるタクシーの運転手さんになるとか」


 じゃあ、志貴に言ってもらえ、と思っていると、

「深鈴さん、気が合うっすねー」

と俊哉は深鈴に握手を求めていた。


「菜切もそういうのが夢だったら、夢が叶ったことになるんだろうが」

と言いながら、晴比古は菜切の後ろ姿を見、


 ……ま、自分が犯人に加担してなきゃな、と思う。


 菜切の心は真っ黒に染まり、常にビクついている。


 しかし、犯罪者、という程、肝が据わっているようには見えなかった。


 うろうろと落ち着かない感じ。

 常に迷っている。


 さて、どうするかな、と思いながら、一旦、部屋へと帰り、菜切がどう動くのか様子を窺うことにした。




 そういえば、俊哉の姿が見えなくなったが、新田さんの邪魔をしてなきゃいいんだが、と窓際のソファに腰掛け、晴比古は思っていた。


 まあ、新田さんも忙しいから、ずっと菜切を見張っとくわけにはいかないだろうし。


 宿を離れられたら、どうしょうもないだろう。

 バイクを持っている俊哉の機動力の方が当てになるか?


 などと考えていたら、誰かがドアを叩いた。

 魚眼レンズから覗くと志貴だった。


「だから、鍵持ってけよっ」

と言うと、ふらりと部屋に入ってきながら言う。


「いえ。

 先生に優しく鍵を開けて欲しかっただけです」


「……どーした」


 今、まったく優しくなかったと思うが、と言いながら訊くと、

「いえ。

 深鈴がまた一緒に泊まってくれないって言うんですよ。

 今日がたぶん、最後の夜なのに~」

とベッドに腰掛け、志貴は愚痴る。


 うなだれる志貴のつむじを見下ろし、

「お前、飽きられたんじゃないのか?

 しつこいから」

と言うと、本気で落ち込む。


 す、すまん……とつい、謝った。


 なんで俺がお前を慰めにゃならんのだ、と思いながら、


「悪かった。

 俺の願望だ」

と言ったとき、また、誰かがドアをノックした。


「おい、志貴。

 深鈴じゃないのか?


 やっぱり、悪かったと思って……」


 一緒に寝ようと言いに来たんじゃないか、という言葉は出したくなく、飲み込む。


 ところが、魚眼レンズの向こうにいたのは、女ではあったが、深鈴ではなかった。


 水村だ。

 なにしに来たんだろうな?


 持田の話か? と思っていると、黙って観察している自分の横から、志貴が覗こうとする。


 場所を譲ってやると、同じように眺めたあとで、

「僕は深鈴のところに行って、居ないと言ってください」

と何故か言ってきた。


 なんでだ? と振り返ると、何処に隠れたのか、もう志貴の姿はなかった。


 あまり水村を待たせても悪いか、と思い、ドアを開けると、水村は、

「すみません。

 もうおやすみでした?」

と訊いてくる。


 いや、と言うと、

「先生、いろいろとありがとうございました」

と頭を下げてきた。


「もっと早くご挨拶に伺おうと思ってたんですけど。

 なかなか仕事を離れられなくて」


 まあ、持田が居ないから、そうなるだろうな、と思っていると、水村は少し中を窺うようにして、

「あの、志貴さんと深鈴さんは?」

と訊いてくる。


「志貴さんたちにもお礼を言いたかったんですけど」


『僕は深鈴のところに行って、居ないと言ってください』

と言った志貴の言葉を思い出し、なにか意味があるのだろうかと思いながら、志貴は深鈴のところに居ると告げた。


「そ、そうなんですか?」

と水村は何故か動揺し、頬を染める。


「すみません。

 先生、おひとりのところに伺ってしまって」


「いや、別にいいが……」

と言うと、水村はなにを思い出したのか、笑って言った。


「深鈴さんと志貴さんって、素敵なカップルですよね」


 まあ、いろいろと犯罪すれすれな連中だけどな、と思いながら、

「……そうだな」

と言うと、


「お二人を見ていたら、私もちゃんと恋がしたくなりました。

 持田さんや菜切さんに申し訳ないことをしてしまいましたし」

と言ったあとで、チラと上目遣いに、こちらを見、


「あの、今度また、なにかお礼をさせてくださいね。

 では」

と言って去って行った。


 ……なんだったんだろうな、と思っていると、後ろから、

「追わないんですか?」

と声がする。


 いつの間にか、志貴が戻ってきていた。


「水村さん、先生に気があるようですね」


「なんでだ。

 病院まで行ってやったの、お前らじゃないか」


「単に先生が好みなんじゃないですか?

 いいじゃないですか、水村さん、美人だし。


 深鈴に操立ててても、なんにもいいことなんてありませんよ」


 お前……、さっき慰めてやった言葉を返せ、と思ったが。


 まあ、志貴にライバル扱いされるのも悪くない。

 なにか深鈴をとりあっている気分になるからだ。


 実際のところ、彼女はまったくこちらを見てはいないのだが……。





「それじゃ、失礼しまーす」


 宿から駅までの客がちょうど居たので乗せていくことになった菜切は、フロントにそう挨拶して、車に戻ろうとした。


「菜切くん」

とフロントに居た新田が話しかけてくる。


「はい?」

と言うと、


「また今日、戻ってくる?」

と新田は訊いてきた。


「え? どうしてですか?」


「いや、もしよかったら、持田さんとこに乗せてって欲しいんだけど。

 まだ見舞いに行ってないから」


「いいですけど。

 あそこ何時まで面会できるかわからないんですよね」


 まあ、また連絡します、と言うと、


「そう、ありがとう」

と新田は微笑む。


 そのまま、何処かへ電話をしていた。


 仕事に戻ったのかな、と思い、菜切は客を待たせないよう、車に向かう。


 発進してしばらくして、それに気づいた。


 あまり街灯のない山の道、ときどき笑いながら、二人で仲良さげに話している老夫婦の後ろ。


 少し離れて、バイクのものらしき光がついてきている。


 最初は麓に降りるんだろうと思って、なんとなく見ていたのだが、他にあまり車を通らない道なので目立つ。


 実は、片方ライトが壊れた車だったりして、などと暇なことを考えている間に、明るい道に出た。


 かなり距離を置いているが、そのバイクには見覚えがあった。


 ……西島俊哉?


 町に行くのかな、と思ったが、何処までも何処までもついてくる。


 駅に行くのだろうか。


 ……バイクで?


 菜切は俊哉のバイクの動きを時折、確認しながら、客を駅で降ろした。


 そのまま、すうっと夜の町に入っていく。


 町といっても、この辺りは、夜は真っ暗だ。


 そのあと、宿の方ではない山の方にハンドルを切っても、俊哉はついてくる。


 やはり、おかしいな、と思った菜切は、少し広くなっているところで、車を止めた。


 離れてついて来ていた俊哉のバイクが蛇行する。


 ええっ? と叫んでいるように遠目でも見えた。


 俊哉は通り過ぎることを選んだようだ。


 こちらに気づかぬふりをして、通り過ぎようとする。


 いや、待って、と菜切は思った。


 他に車が走ってない山道で、いきなりタクシーが脇に避けて止まったら、なんだろう、と思うはずだよね。


 全然、こっち見ないの、変だろうに。


 休憩か、幽霊の客でも乗せようとしていると思われたのだろうか、と苦笑しながら、通り過ぎた俊哉に向かい、挙げた両手を大きく振った。


 俊哉のバイクが急ブレーキを踏む。

 バイクの頭を少しこちらに向けようだった。


 菜切は息を吸い、大きな声で叫ぶ。


「何処行くのー? 俊哉くんっ」




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