ミイラとりが、やはりミイラに……
俊哉はゆっくりバイクを走らせ、戻ってきた。
菜切は笑って手招きをする。
「ちょうどいいところに、俊哉くん」
「偶然っすね、菜切さん」
と二人で空々しい会話を始めた。
「俊哉くんはさー、ほんと人がいいよねー」
「そんなことないっすよー」
「晴比古先生たちのお手伝いもよくしてるじゃない」
「それは菜切さんもですよねー」
腕を組んだ菜切は笑いを止めて、俊哉を見つめる。
「俊哉くんはさ、困った人を良く助けてるよね。
ほんとに人がいいんだと思うよ。
だからさ。
ちょっと僕のことも手伝ってくれない?」
「え、なんすか?」
警戒半分、心配してくれているの半分、という顔だった。
急になにを言い出したんだろうと思っているようだった。
「晴比古先生を捕獲して欲しいんだ」
「へ?」
と俊哉は間抜けな声を上げた。
「今、晴比古先生に言われて、僕を見張ってたよね?
それは許してあげるから、今度は僕に協力してよ」
晴比古先生を捕まえて、と菜切は言った。
「僕と先生、どっちが困ってるかといえば、僕の方が困ってるんだよ。
見てもわかるでしょ?
困った人は助けねばだよね、俊哉くん。
お祖父ちゃんも、いつもそう言ってない?」
選挙のときのスローガンだもんね。
そう言い、車もあまり通らぬ夜の道で、菜切は大きな俊哉を見上げた。
これからどう動くかわからないが、入れるうちに、風呂に入っておくか、と晴比古は志貴と大浴場に行くことにした。
ところが、中本から電話がかかってきたらしく、志貴は、
「先生、すみません。
先に行っておいてください」
とスマホを手に言ってきた。
わかった、と外に出た晴比古は大浴場までの薄暗い廊下を歩いていて気づく。
廊下の途中、外に出られる従業員用のドアが開いていて、外に浴衣の上に羽織る、茶羽織が落ちているのが見えた。
女物の小豆色だ。
何故、こんなところに?
誰かの落とし物か? と晴比古は身を乗り出す。
すると、点々と、裏山に向かって、茶羽織が落ち、帯が落ち、浴衣が落ち、また茶羽織が落ち、帯が落ち、浴衣が落ちている。
おいおい……と思いながら、それを覗いてみていた。
浴衣、までならわかるが。
そこからまた一式落ちているのはなんだ。
裏の林に誰かをおびき寄せようとして、途中で衣服が足らなくなったから、また同じものを置いたように見えるのだが。
誰かって……俺か?
「どうかしましたか?」
ひょいと新田が後ろから覗く。
晴比古は新田を振り返りながら、
「こんな風に宿の人間が通りかかったら、あれ、なんですかねー。
拾っておきましょうってなる可能性が高いだろうにな……」
と呟いた。
新田は暗い中に落ちているそれを見ながら言う。
「なんですか、あれ。
ヘンゼルとグレーテル?」
晴比古は溜息をつき、新田に言った。
「ちょっと罠にかかってきますから。
志貴に様子を見てから動くように言ってください」
わかりました、と新田は頷く。
……なんだかちょっと楽しそうだった。
こんな阿呆なことをするのは、俊哉か、菜切。
……俊哉かな。
ミイラとりがミイラになったか、と思いながら、晴比古は月明かりと宿からの光しかない裏手に進む。
黒い影のようにしか見えない林に踏み込んだ。
「俊哉、菜切、出てこいっ」
そう叫んだ瞬間、バザッと頭からなにかを被せられた。
視界が暗くなる。
この紙の匂い。
何処かで嗅いだ……
クラフト紙の紙袋か。
昔からある、商店とかでくれる茶色い紙袋のデカイやつのようだった。
最近では、一周回ってお洒落な袋として扱われているが。
「俊哉っ」
と叫んだ瞬間に、荷物のように担がれた。
「えー?
なんでわかったんすか? 先生」
と言いながら、俊哉は動じることなく、晴比古を小脇に抱え、運ぼうとする。
俊哉ほどではないが、晴比古もまた、小さい方ではなのに、物のように、ひょいっと抱えられていた。
「こんな莫迦なことを思いつくのはお前くらいだし。
菜切みたいに小細工きかさない奴にでも、あっさり丸め込まれるお人好しはお前くらいだからだよ!」
俊哉はザクザクと下草の茂る場所を歩きながら言う。
「いや~、じっちゃんがいつも困ってる人は助けてやれって言ってるから」
「俺も今困ってるぞっ」
この体勢は苦しいっ、と晴比古は文句を言った。
俊哉の筋肉質な腕に洗濯物が引っかかっているようにぶら下げられ、腹を圧迫されている。
「じゃあ、お姫様抱っこで」
「……何処まで本気だ、お前は」
しかし、俊哉は本当に晴比古をお姫様抱っこで抱え直した。
ゴツイ男二人で、これはない。
人が見たら、さぞかし不気味だろうとは思ったが、晴比古はもう諦めたようにじっとしていた。
「俊哉」
「なんすか?」
「お前は、きっと、大物になるな」
「ありがとうっす」
この動じないっぷりと、すぐさま行動に移す実行力。
或る意味、凄い、と思いながら、
「政治家になれよ。
爺さんの後を継いで」
と言うと、俊哉はそこで黙った。
「まあ、すぐ主義主張が変わるのが問題だが」
「いや、自分の中では揺らいでないっす。
困ってる人を助けたいだけっすから」
……なるほど。
「先生を連れてきて欲しいと言った菜切さんには、なにか考えがあると思います。
菜切さん、先生たちみたいに頭良くないけど」
おいおい。
「誰かのために一生懸命考えられる人ですから」
「うん……そうか。
やっぱりお前は、政治家にならなくていいよ」
と言うと、ええっ? と言ったようだった。
度胸はあっても狡猾さのない俊哉には政治家は無理かもしれないなと思う。
俊哉には、このまま純朴なままで居てほしい、と思っていた。
ザクザクと俊哉が草を踏む音を聞きながら、紙袋の匂いを嗅ぎ、山の夜風の冷たさを肌に感じる。
晴比古が、
「なんか楽だな……お姫様抱っこ」
と言うと、俊哉は、また、ええっ!? と言ったようだった。
「プライドとか世間体とか、いろいろ投げ捨てると楽になるな」
と呟くと、
「俊哉くんのお姫様抱っこで悟りを開かないでくださいよ」
と苦笑する声がした。
菜切だ。
さっきから居るのはわかっていた。
途中から別の足音がし始めていたからだ。
「先生、ちょっと失礼します」
と菜切は紙袋の中に無理やり手を突っ込んでくる。
「なにすんだ、こらっ。
くすぐったいじゃないかっ」
菜切の手が耳許でなにやらゴソゴソしていた。
紙袋の中のことなので、菜切自身にも手許が見えないらしく、手間取るので耳の辺りを撫で回され、くすぐったい。
そのうち、片耳ずつイヤホンらしきものを押し込められた。
「先生、ちょっと音楽でも聴いててください。
それでは」
いきなり爆音で、俊哉のセレクトではないかと思われる曲が鳴り始めたので、文句を言ったが、自分の声さえよく聞こえない。
鼓膜が破れたら、どうしてくれるっ、と思っている間に、俊哉が一度歩みを止めた。
菜切となにか話しているようだ。
そして、また歩き出す。
しかし、凄いな、と思っていた。
俊哉は大の男をお姫様抱っこして、結構な距離歩いている。
自分だったら、きっと、あのホテルの部屋の中でさえ、ベッドまで運ぶのがやっとくらいだろうに。
それも、俊哉みたいな大男じゃなく、せいぜい深鈴程度の体重の人間を。
……まあ、この先もそんな予定はないので、どうでもいいことだが。
そんなことを考えている間に、肌に触れる空気がやけにひんやりし始めた。
先程までの夜風の冷たさとはまた違う感じだ。
イヤホンのせいで、外の音はなにも聞こえてこないので、目を閉じ、気配で感じようとする。
何処だ? この冷たく湿気を含んだ空気。
二人が頭の上でなにか話しているようだった。
「……い」
「せ……い……」
そのうち、菜切が叫ぶ声が聞こえてきた。
「なんで返事してくれないんですかっ。
先生ーっ」
「お前らが爆音流してるからだーっ」
と晴比古は叫んだ。
もう、なんなんだ、こいつらは、と思っているうちに、晴比古は下に降ろされた。
仕方なしにだろうが、イヤホンの音も消してもらえた。
「先生、動かないでくださいよ」
と菜切が言うので、
「銃でも持ってんのか?」
と訊くと、いいえ、と言う。
「じゃあ、ナイフ」
「危ないじゃないですか、こんなところでそんなもの持ってたら。
すっ転んだら刺さるでしょう?」
いや、まあ、そうなんだが。
「じゃあ、お前は、凶器もなしに動くなと俺を脅してるのか?」
と訊くと、菜切は、
「いえ、ですから、お願いしてるんです」
と大真面目に言ってくる。
お願いして聞くと思ってんのか、人がいいな。
いや、まあ、聞いてやるけど。
って、これ、単に俺の性格を読まれてるだけかもしれないな……。
まあ、深鈴ならともかく、この二人だから、そこまで考えてはいなさそうだが。
現に今も、幾つも愚行を犯している。
話が出来ないので、イヤホンの音を止めたが、おかげで彼らが心配していたように、周囲の音が聞こえるようになっていた。
菜切や自分の声が反響しているがわかるし、なにかが滴る音も聞こえてきている。
それに、降ろされて感じた靴底の感触。
あまり動かなくとも、下が水気を含んだ岩盤で、靴底によっては、滑りそうな状態なのもわかる。
菜切も今、こんなところでナイフなんぞ持っていたら、すっ転んで刺さると言っていたので間違いないだろう。
そして、足許が特にひんやりしている。
冷気が流れている感じがあった。
あの林からお姫様抱っこで歩いたことといい、林から更に人気のない山に向かい歩いたことは明白だった。
そんなことして、宿方面か道に向かえば、誰かが騒ぐに決まっているからだ。
此処が何処だかはすぐにわかったのだが、とりあえず、黙っていた。
すると、菜切が言い出す。
「先生、その紙袋を被ったまま、こっちに来てください」
と菜切は自ら手を掴んできた。
もう二度も掴んでいるので、別にいいようだった。
滑らないよう警戒しながら、少し歩くと菜切が止まる。
「先生、お願いがあります」
そう菜切は真摯に訴えてきた。
「この人の手を握ってみてください」
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