妖怪、祇園精舎

 

 しかし、よく考えたら、宿に行く用事が出来てラッキーかも、と思いながら、俊哉はバイクで宿に向かった。


 フロントに入るなり、副支配人に、

「あっ、なにしに来たっ、西島っ」

と言われてしまったが。


 まるで、面倒ばかり起こす息子が職場に遊びに来てしまったかのようだ。


「客っす」

と言ったが、


「なにが客だ」

と言われてしまう。


「風呂入りに来たっす」


 此処は銭湯かっ、という新田の前を通り、水村に、

「晴比古先生と兄貴は?」

と訊くと、今、夕食だと言われる。


「じゃ、飯食ってこう」

と呟くと、新田に、


「先生たちにご迷惑かけるなよ」

と言われた。


 だから、あんた、俺の父親か、と思う。

 まだ、そんな年ではないはずだが。


 だが、一見、クールそうな新田だが、古田支配人よりは面倒見は良かった。




 お食事処の前まで来ると、薄暗い廊下を何故か菜切が行ったり来たりしていた。


「……なにしてるんすか、菜切さん」

と訊いてみたのだが、


「いや、ちょっとね」

と言われてしまう。


「飯ですか?」

と問うと、ああ、そういえば、なにも食べてない、と言う。


「じゃあ、一緒に此処でどうですか?」


 菜切は、ああ……そうだね、と言いながらも、


「でも、なにも喉を通らなさそうだよ」

と言ったのだが、結局、食べることにしたようで、二人で暖簾をくぐった。

 



 もう食べ終わったんだがな……と思いながらも、珈琲を飲みながら、晴比古は、俊哉たちが食べるのを見ていた。


 幸いテーブルが広かったので、もう二人増えても大丈夫だった。


 自分の横には俊哉と菜切。

 向かいには、志貴、深鈴が座っている。


 真正面が志貴。

 綺麗な顔なので嫌ではないが、何故、男。


 志貴が深鈴を自分の前に座らせなかったからだ。


 そして、俊哉も志貴が端に座ってしまっているので、横に座れず、こちらに来ていた。


 少し菜切の顔を見て話したかったのだが、菜切は深鈴の横で食事をするのは恥ずかしいようで、俊哉の隣行ってしまった。


 それにしても……。


 見た目通り、食欲旺盛な俊哉と、食欲のない菜切の対比が凄い。


「先生、その茄子のやつ、食べないんならください」

と俊哉が晴比古が手をつけなかった小鉢を見て言ってくる。


「先生、茄子、食べてください」

と言う深鈴の言葉を聞かぬふりをし、俊哉に渡した。


 美味しそうな茄子の煮浸しだ。


 まあ、俺は茄子は食べないんだが……。


 もうっ、という顔を深鈴がしているので、見ないふりをした。


「俊哉」


 気持ちがいいくらい食べている俊哉を横目に見ながら呼びかける。


「お前、ほんとに食いにきただけか」


「うまいっす」

とまた皿をひとつ空にしたあとで、俊哉は言った。


 そうか。

 うまいのか……と思っていると、俊哉がふいに、

「先生、鍾乳洞に祇園精舎が出るみたいなんすよ」

と言ってきた。


「祇園精舎ってなんだ……」


 知りません、と俊哉は言う。


「翔太たちが見たみたいなんすよね」


 昼間の女子高生たちの兄が鍾乳洞でなにかを見たようだった。


「巨大な祇園精舎が出たから、先生に退治して欲しいらしいんすよ。

 先生、霊能者じゃないって言ったんすけどね」


「……霊能者だとしても、そんな訳のわからないものを退治できるか」


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 平家物語ですよね?


 そういえば、鎧武者の霊が鍾乳洞に出るんでしたっけ?」

と志貴が言う。


「鎧武者が出たのなら、そう言うだろ。

 それに、もともと出るってわかってるものなら、そこまで驚かないんじゃないのか?」


「先生、わかってても、霊が出たら、普通、驚きますよ」

と苦笑いして深鈴は言ってくるが。


 いや、志貴とか驚きそうにないんだが……。


 待てよ、と思う。


 俊哉の友達なんだよな。

 発想がまともじゃないと思った方がいいかもしれない。


 全員、連想ゲームみたいに、正解から随分遠いところにあるものを言っているのかもしれないし。


 恐らく、語彙の不足により、見たものを正確に表す言葉を知らないんじゃないだろうか。


「俊哉、そのお前の友達、今から呼べるか?」

「無理っす」


「なんでだ」


「あの家、門限があるんすよ」

と壁の時計を見て言う。


「……なんで、ヤンキーに門限があるんだ」


「なんで、ヤンキーって決めつけるんすか、先生。

 翔太たち、ちゃんと仕事してますよ」


 いや、ヤンキーの人も仕事するだろうよ……。

 遊ぶ金もいるし。


 それに、あいつら、或る日突然、孝行息子になったりするからな。


 早くに子供を作って、家業を継いで、立派な息子だとご近所さんからもてはやされたり、結構いいパパになったりもする。


 っていうか、なんで、既に働いている一人前の社会人に門限があるんだ、と思ったが、まあ、そこはそれまでの素行の悪さのせいかもしれない。


「翔太んちのオヤジとかめっちゃ怖ええし」

という三十幾つの俊哉の発言に、


 ……まず、こいつの語彙不足をなんとかしたいな、と思いながら、

「じゃあ、行ってみるかな。

 その鍾乳洞」


 なんか気になるし、と言ったのだが、菜切が止めてくる。


「やめた方がいいです、先生。

 あそこ、この前崩落して、今、立ち入り禁止なってるんですよ」


 俊哉越しにそんな菜切の顔を見た晴比古は、

「じゃあ、行こうかな」

と菜切に言った。


 ええええっ? と菜切が声を上げる。


「お前が止めるから行ってみよう」


 いや、待ってください、先生っ、とすがりつこうとする菜切に哀れを感じたのか、俊哉は少し考え、


「そういえば、此処へ来る途中に出会った奴から聞きましたよ」


 ちょっと立ってもいいすか、と断ってから、俊哉はその場に立ち上がり、

「こういうのが居たらしいっす」

と不思議な格好をした。


 片足で立ち、片足を膝に向かって曲げ、片手を祈るように立てている。


「……なんなんだ、それ」

と晴比古が言ったとき、他所のテーブルに汁物を運んでいたおばちゃんが俊哉を見、こらっ、という顔をしたので、俊哉はすぐに座った。


「わかんないっす。

 だから言わなかったんすけど。


 客が来たとこだったんで、それ以上、追求できなかったですしね」


「客?」


「豆腐屋の」

と言う。


 豆腐屋の息子か。

 っていうか、店先でそのポーズ取ったのか、と思う。


「バレエのパッセみたいですね」

と深鈴が言う。


 確かに似てなくもないが。

 バレリーナが鍾乳洞で踊っていないだろう。


「店先で、か」

と晴比古は呟いく。


 店先で、紺の店のロゴ入り帆前掛ほまえかけをかけ、柄杓を手に、そのポーズを取るヤンキーを想像してみた。


 ……客も居たんだよな、と思いながら。


 思わず、自分もやってみそうになり、

「先生、やめてください」

と深鈴に止められたが、やってみた方がわかることもある。


 仕方なく、頭の中で、そのポーズを取ってみた。


 紺の店のロゴ入り帆前掛けをかけ、柄杓を手に片足を上げ、片手で拝む。


 ……ぐらつきそうだ。


 待てよ、そうか。


 店先だから、片足で立たなきゃいけないから、バレエのパッセのようなポーズになったんで、本当は両足だったんじゃ。


 頭の中で、両足を曲げ、両手を合わせてみた。


 結跏趺坐のポーズで祈りを捧げる人のような形になった。


「おい。

 祇園精舎はこうやって祈ってたのか?」

と俊哉に訊くと、


「さあ?

 見えたの、影だけみたいなんで」

と言ってくる。


 そうか。

 では、祈っている部分は雰囲気なのかもれしない。


 結跏趺坐をしている人のようなものが見えたから、手は祈っている感じがしたのだろう。


 実際には、印を結んだりしていたのかもしれないが。


「そうか。

 祇園精舎って……。


 教科書に出てるよな、清盛像とか」


 鍾乳洞に、ああいう感じの像があったということなのでは、と思う。


 それが転がった懐中電灯かなにかで暗闇に大きく照らし出されたのではないだろうか。


 そう志貴たちに言うと、

「そうかもしれませんね。

 でも、座っている像だったのなら、例の木彫りの仏像とは違いますね」

 あれは立ってたんでしょう? と言ってくる。


「妖怪、祇園精舎とかじゃなかったんですね」

と深鈴が阿呆なことを言ってきた。


「広まりそうじゃないですか。

 そういう都市伝説になって」


 妖怪、祇園精舎ね、と思っていると、菜切がなんだか青褪めている。


「菜切……」

と言おうとしたが、思いとどまる。


 少し様子を見ようと思った。



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