仕事は? 仕事は大丈夫っ?


 戻った宿で夕食をとりながら、深鈴が言った。


「タクシーって不思議な乗り物ですよね。

 全然知らない人を車に乗せて、その人の物語の一端を担う」


「運転手はみんな、乗せた客のその物語に、おや、と思うことがあっても、いろいろ飲み込んでいるんだろうな」


 そう呟き、晴比古はお食事処の大きな窓から見える山に夕日が落ちていくのを見ていた。


「幽霊タクシーは、本当に幽霊を乗せたんだろうか」


 そう呟くと、志貴が言う。


「最初に幽霊を乗せたのは誰だったんでしょうね」


 急速に広まった幽霊タクシーの噂。

 噂を辿っていくと、いつか真実に――


 最初のひとりに辿り着くのだろうか。


「そういえば、都市伝説の出処を探る研究とかやってるところありますよね」

と深鈴が言った。


「まあ、とりあえず、あいつに訊くか」


 赤く染まった窓ガラスに映る人影を見ていた晴比古は、後ろを振り返る。


 菜切が立っていた。


「菜切」

と呼びかけたあとで、


「どうした。

 また暇つぶしに来たのか? 紗江も居ないのに」

と言うと、


「いえ、客待ちですって」

と言いはしたが、元気はなかった。


 だいたい、客待ちでなんで、お食事処に来るんだよ、とは思ったが、敢えて突っ込まなかった。


「ちょっと訊いてみるんだが。

 お前、タクシーに乗ってくる幽霊の話、誰から訊いたんだ?」


 さっきからこちらの話が聞こえていたのだろう。


 先程から考えていたのか。


 すぐに、

「それがいろんな人から聞いたので」

と言ってくる。


「岬さんとか、播磨さんとか、幕田さんとか、妙見寺さんとか」


「待て。

 誰だって?


 幕田?」


「幕田さんですよ。

 幕田校長先生」


「まさか、幕田のばあさん……」

 失礼、と言い換える。


「ハルさんか?」


 迂闊にばあさんと言おうものなら、飛んできて、殴られそうな気がしたからだ。


「そうか。

 タクシーの運転手仲間から聞いたとは限らないよな」

と言うと、


「いえ、運転手仲間ですよ」

と菜切は言う。


「え?」


「幕田さんは、学校を退職したあと、タクシードライバーやってらしたんですよ。

 運転好きが高じて」


「……は?」


「白内障がひどくなったとか言って、やめちゃいましたけどね。


 結構評判よかったんですよ。

 運転も正確だし、トークも気が利いてて」

と菜切が言う。


「ハルさんも幽霊を乗せたのか?」


 さあ、は菜切は小首を傾げた。


「僕が聞いたときは、人からの伝え聞きみたいな感じでしたけどね。

 それで、一緒に聞いてた大上さんが」


 大上さん?


「そりゃ、亡霊かもしれないなって」

「亡霊?」


 ちょっと古めかしい言い方だが、それだけではないものを感じたのは、あの大上の表情を見ていたからかもしれない。


『私、ときどき、思うんです。

 傘をさした幽霊は、あの集落に行こうとしてたんじゃないだろうかって』


 大上は恐らく、なにかを知っている。


 ちらと携帯を確認した菜切がさりげなく廊下へ出て行こうとする。


 立ち上がる自分に、深鈴たちは、何処へ行くのかとも問わなかった。




 菜切は古びた赤い絨毯の敷かれた廊下に立ち、スマホを確認していた。


「誰からの連絡を待ってんだ?」

 そう晴比古が言うと、振り向く。


 ああ、先生、と言った菜切は、もうあまりなにかを隠したい風にも見えなかった。


「なんで、僕が連絡を待ってると思うんです?」


「いや、スマホを見てたから」

と言うと、少し笑い、


「連絡待ってたのもあるんですけど。

 ちょっと時間確認してたんですよ」

と言われる。


「時間?」


 思わず、なにか爆発するとか? と思ってしまったのが、顔に出たようで笑われる。


「いえ、単に、時間が気になってただけなんですよ」

 そう言う菜切は何処か寂しそうだった。


「菜切」

 はい? と菜切は晴比古を見た。


「もう全部喋らないか?」


 菜切は俯き、絨毯を見つめたあとで、

「いえ。

 それは出来ません」

と言った。


「じゃあ、女絡みだな」

と腕を組んで、菜切を見下ろし、言い切ると、


「なな、なんでですかっ」

と少しいつもの調子が戻って、菜切が叫ぶ。


「いや、お前がそんな頑なに、なにかを守ろうとするなんて、女絡みだとしか思えない」


「いやいやいや。

 僕だって、他のことで真剣になることもありますよーっ」

と言ってくるが、無視した。




 菜切を追っていく晴比古を見送りながら、深鈴は呟く。


「先生、上手く菜切さんから訊き出せるかしら?」


 返事がないので、振り向くと、志貴は機嫌悪く、晴比古が消えた方を見ていた。


「どうしたの? 志貴」


「いや、なんか面白くないだけ。

 亮灯が、先生にばっかり期待して、先生ばっかり見てるように見えるから」

と言ってくる。


 ……子供か、と思いながら、深鈴は、なだめるように言った。


「そんなことないわ。

 もちろん、志貴のことも信頼してるわよ。


 此処まで来てくれて、嬉しかったし」

と言いながら、実は気になっていた。


 いいの? 志貴、まだ此処に居ても。


 仕事は?

 仕事は大丈夫っ? と思っていたのだが、今言うと、更に拗ねそうだと思って黙っていた。


「亮灯……」

と志貴は、深鈴の手におのれの手を重ね、深鈴を見つめていたのだが、スマホが鳴る。


 視線を逸らさないまま、携帯を手に取った。


「はい」

と志貴が出ると、騒がしい声が深鈴の許まで聞こえてくる。


 どうやら、中本刑事のようだった。


『まだ帰れないってどういうことだ、志貴っ』


 ……やっぱりな、と思っていた。


 警察官が県外に出るのには許可が居る。


 志貴は今日ぐらいまでしか申請していなかったはずなのだが。


「事件です、中本さん。

 まだ帰れません」


『それ、他所の管轄の事件だろうがーっ!』


 ごもっともです、中本刑事……。


「中本さん、他所の事件だから、見過ごしていいとか、そういうのはないと思います」


 正論なようだけど、違うよ……、と深鈴は漏れ聞こえてくる二人の会話に突っ込む。


「それに、此処には、もっと大きな事件があるんです」

『なんだ?』


「深鈴……亮灯が、晴比古先生に、気があるようなんですっ」


 ないからっ、と深鈴が思うより早く、中本が叫んでくる。


『あの男前の先生かっ?

 それはまずいぞっ』


 なんで、貴方まで、志貴と同じテンションになるんですか、中本さん……と思いながら聞いていた。


『まあ、今は珍しく忙しくないからな。

 だが、いつなにが起こるかわからないから、早く戻れ。


 こんなときに、書類も片付けておいた方がいいし』


「わかってます。

 落ち着いたら、戻ります」


 なにが落ち着いたら?


『頑張れよ、志貴っ』


 だから、なにを?

と突っ込んでいる間に、話は終わり、スマホを置いた志貴が手を握ってくる。


「というわけで、明日まで僕も居るから。

 明日の午前中までに、全部の事件を解決しようねっ」


「……わ、わかった。

 わかったから、志貴」


 は、恥ずかしいんだけど、こんなところで手とか握られるとっ、と思いながらも、なにやら必死な志貴も可愛らしく、振りほどくことは出来なかった。


 ま、何故、志貴の都合で、事件解決のリミットが決まるんだ、と思いはしたが……。







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