歩く仏像

 

 コンビニ近くの何処か懐かしいような寂れた喫茶店に晴比古たちは来ていた。

 壁のメニューを見ながら、深鈴が呟く。


「……カップ麺」


 一瞬、沈黙したあとで、

「幻覚ですか?

 メニューにカップ麺があるような気がするんですが」

と深鈴は言う。


「たぬきときつねと焼きそばがあるよー」

と聞いていたらしいマスターがカウンターの中から言ってくる。


「珈琲飲みに来た近所の人がさあ。

 たまにカップ麺ないの?


 とかお湯だけちょうだいって言うから、もうメニューに入れちゃった。

 いる?」

と言う気のいいマスターに慌てて深鈴が首を振っている。


「ちょっと食べたいような気もするけどな」

と晴比古は呟いた。


 宿の食事もいいが、ふと、そういう食べ慣れたものを食べたくなる瞬間がある。


 恰幅のいいそのマスターが、

「お客さんたち、この辺の人じゃないよね?

 何処から来たの?」

と訊いてきた。


 どうやら、マスターも町に住んでいた人らしいのだが、定年後、田舎に帰ってきて、あまりに暇なので、閉まっていた喫茶店を借りて店を始めたという。


「カラオケもあるよー。

 野菜もある」


 なるほど、レジ付近に、とれたて野菜を売っている。


「みんな家で作ってるから、あんまり売れないけどね」

と言って、自分もそこから、ひょいとキャベツを取り、他の客に出す料理のために、切っていた。


 きっと、夜には酒もあるんだろうな、と思いながら、まあ、俺が気になっているのは、此処が結局、何屋なのかということではなく、深鈴と志貴が並んで座り、俺が向かいに一人で座っている、ということなんだが……。


「あの、少しお伺いしたいんですが」

とそういう憂いもない志貴は、本来の目的を見失うことなく、訊いていた。


「幽霊タクシーの話、ご存知ですか?」


 幽霊タクシー? とマスターは訊き返したあとで、

「ああ、ああ」

と言う。


「雨も降ってないのに傘さしてるって幽霊だっけ?

 雨が降ってる日はどうしてるんだろうねえ」

とマスターが笑うのを聞いて、深鈴が、


「先生と同じ発想ですね」

と言った。


「幽霊は知らないけど」

とそのマスターは珈琲を淹れながら、


「家もないあの通りを必死で走ってる傘持った人なら見たことあるね」

と言い出す。


「真っ暗な中、一生懸命走ってるのを見て、何処行くんだろうな、と思ったからよく覚えてるよ」


「それ、霊じゃないんですか?」

と深鈴が訊くと、ないない、と笑う。


「あんな必死の形相で走ってる霊とか見たことないよー。

 いや、そもそも霊なんて見たことがもないんだけどさ」

と言ったあとで、マスターは、


「ま、だから、私が見たんだから、霊じゃないよ」

と言う。


「タクシーの運転手さんなんかはさ。

 職業柄か、よくそういうの見るみたいなんだけど」


 そこで、少し考える風な様子だった志貴が言う。


「必死に走る霊、か。

 必死に人を殺してる霊なら見たことありますけどね」


 ひっ、とカウンターで焼うどんを食べていたおじさんまでが凍りついていた。


「お前のその真面目そうな顔から、そういう台詞が出ると、凶器だな」


 リアリテイがありすぎてと晴比古は呟く。


「必死で人を殺してる霊って、それ、私じゃなくて……?」

と小声で深鈴が言っていた。


 いや、お前は結局、殺せてないし、と思う。


「すみません。

 それ、いつ頃のことなんですか?」

と晴比古か訊くと、マスターは、うーん、と少し思い出すような顔をしたあとで、


「そうだ。

 あそこで、タクシーの横転事故があったあとだったかな」

と言う。


 菜切の事故のことだろうか。


「思い出した。

 幽霊乗せて引っ繰り返ったって噂になってたんで、それで、傘を持って走る男を見て、幽霊なのかなって思ったんだよ。


 その引っ繰り返ったタクシーの運転手さん、菜切さんって言うんだけどね」

と案の定、マスターは言い出す。


「あの通り、幽霊の噂があったのに、なんで、乗せたの?

 って訊いたら、


『だって、傘が見えなかったから』

 って笑ってたけど」


 そうだ。

 確かに菜切はそう言っていた。


 きっちりと巻かれた傘を男が持っているのに気づかなかったと。


「幽霊の噂が出てから、タクシーの運転手さんはみんな警戒してたんですかね?

 あそこで人を乗せるのを」


 晴比古がそう訊くと、

「この辺り、喫茶店あんまりないから、運転手さん、よくうちで休憩してくんだけど。

 みんな、あの通りで男が立ってると、ゾクっとするって言ってたから、そうかもね」

とマスターは言う。


「そうか。

 だから、菜切の乗せた幽霊は、きっちり傘を巻いて、見えないように身体の横にそわせてたんだな」


「……随分と策略的に動く幽霊ですね」

と言う深鈴も、それを幽霊だとは思っていないようだった。


「やはり、その現場に行ってみるか」

と言ったとき、志貴が言ってきた。


「まだ、俊哉くんが来てませんよ」


 そうだ。

 忘れるところだった。


 そういえば、此処で俊哉を待っていたのだったと思い出したとき、バイクの音がした。


 店の前に着いた大きなバイクから降りてきた男がフルフェイスのヘルメットを外す。


「……バイクのCMみたいにサマになってますね」


 口をきかなければ、と深鈴もそれを窓越しに見ながら、変に感心したように呟く。


 確かに口をきかなければ、ちょっと怖いがアイドル風な顔立ちだ。


 ……三十五だが。


「なんだ。

 西島の莫迦息子と友達だったのか」

とマスターがこちらを見て笑う。


 いや、友達っていうか……。


「兄貴です」

と晴比古は志貴を紹介する。


「やめてください」

と力なく志貴が言ったとき、俊哉が入ってきた。


「おう、俊哉」

と言うマスターに俊哉が、


「久しぶりっすー」

と返している。


 お前、年上にもそれか……。


 そういえば、宿でもそうだったな、と思い出す。


 だが、マスターは怒るでもなく、近くに来た俊哉の両のこめかみを拳でぐりぐりやっている。


「真面目に働いてるかー」

と笑顔だ。


 何処でも可愛がられるやつだなと思って、晴比古は見ていた。


「俊哉」

と晴比古が呼びかけると、


「ああ、兄貴の兄貴」

と俊哉は笑顔を向けてくる。


 少し考え、じゃあ、こいつは? というように深鈴を手で示すと、

「兄貴の姉御」

と言う。


「あっ、姉御は嫌ですっ」

と深鈴が訴えていた。


「でも、さすがは兄貴。

 兄貴の姉御は美人ですよねー」

とまったく気にするでもなく、俊哉は感心している。


 俊哉が座って注文するのを待って、

「ところで、俊哉。

 お前、歩く木の仏像の話知ってるのか?」

と訊くと、


「あー、誰かから聞いたんすよ。

 何処かから来て、何処かへ行く仏像の話ですね」

と言う。


 なにか含蓄がありそうな、なさそうな。


 ……ないんだろうな、と思い、聞いていると、


「そういえば、前は仏像あったかなあ、と思うんですけどね、草むらに」

と俊哉が言った。


「それ、場所覚えてるか?」


「覚えてるっすよ。

 たまに走る道だから。


 滅多に人間通らないのに、やたら広い道で走りやすいんすよ」


「俊哉くん、それってあれ?

 もしかして、焼き場と霊園がある通り?」

とマスターが口を挟んできた。


「そう、そこっす」


「……幽霊タクシーの道なのか」

と晴比古が呟くと、


「なんだか話が繋がってきましたね」

と志貴が言う。


 深鈴が、

「じゃあ、横転した菜切さんのタクシーが仏像を吹っ飛ばしたとか」

と言い出した。


「客が居なくなってて、仏像が落ちてたら、実は客が仏像だったとか言いそうだけどな、菜切なら」


 待てよ。

 そんな夢を見たぞ、と晴比古は思う。


『どちらまで』

と振り返ったら、仏像が後部座席に乗っていた。


「……菜切の車が横転した場所の近くに木製の仏像があって。

 じいさんのところの木製の仏像を持って逃げたのも菜切か」


「持田さんも仏像を見たと宿で言ってますよね。

 あれは木製かはわからないですが」

と深鈴が言ってくる。


「じゃあ、行ってみますかー?」

と軽い調子で、俊哉が言ってきた。


「現場百回って言いますもんねっ」


 いや、一回も行ってないうえに、なんの現場かもわからないんだが。


 ああ、菜切の転倒現場か。

 新たな仏像の持ち去り現場か。


「タクシー呼びましょうか」

と言ったあとで、深鈴は迷うような顔をする。


「菜切さん以外がいいですか?

 それとも、いっそ、菜切さんの方が?」


「ホテルから呼んでもらうときならともかく、タクシー会社に直接、電話かけて、また菜切以外でとは言いにくいだろ」


 菜切の仕事態度が悪くて、客が断っているように思われかねない。


「なにも言わずに呼べ。

 菜切が来たら、そのときはそのときだ」

と言うと、俊哉が、アイスコーヒーを一気飲みしたあとで、立ち上がる。


「兄貴は俺の後ろに乗ってくださいっ」

と志貴に言って、


「いや、勘弁して……」

と断られていた。



 やってきたタクシーの運転手は菜切ではなかった。


 俊哉が前を走り、タクシーがその後ろを走る。


「運転手さん、幽霊タクシーの話、ご存知ですか?」

と後部座席から、晴比古が訊くと、


「それだと、タクシーが幽霊みたいですねえ」

と笑う。


「知ってますよ。

 私らもあの辺りで人を乗せるときは警戒してましたからね」

と運転士の話は過去形だ。


「最近はないんですね?」

と晴比古が確認すると、


「ないですねえ。

 幽霊乗せたってタクシーが横転してちょっとしたくらいから、見かけなくなった気がしますね。


 ……あのとき、死んじゃったんですかね、幽霊」

と言って微妙な笑い方をする。


 幽霊とはいえ、車が横転して客が死亡なんて笑えない話だからだろう。


「幽霊はタクシーに乗せてもらえなくなっていた。

 だから、傘を隠して、菜切のタクシーに乗った。


 そのタクシーが事故に遭い、傘を残して幽霊は消えた」


「傘がなくなったから、幽霊じゃなくなったとか?」

と深鈴が言い、志貴が、


「違う傘を持っていたので、別の幽霊か、ただの客だと思われたとか」

と言う。


 別の幽霊ってなんだ……と晴比古が思っていると、深鈴が、

「それにしても、幽霊はどうしてそうまでして、タクシーに乗りたかったんですかね?」

と訊いてきた。


「他に足がなかったからじゃないのか?」

と晴比古が言うと、志貴が、


「でも、その霊園へ行く前の、幽霊が車を止める辺りも、もう民家とかないんですよね?

 そこまではどうやって移動してたんでしょうね?」

と訊いてくる。


 まあ、確かに、と思っていると、運転手さんが、

「ああ、あの辺りですよ。

 幽霊が乗ってくると評判だった場所は」

と斜め前を指差してきた。


 本当になにもない。

 ずうっと木が生えたり、草原だったりする場所だ。


 ところどころ、なにかの施設らしきものはあるのだが、人の気配はない。

 そんな、なにもない道に、晴比古は、今は居ない男の幻を見る。


 その男は青白く、俯き、傘を差して立っていた。

 男の後ろに何故か、五百羅漢の幻が見える。


 男はなにを思って、傘をさしているのだろうか、と思ったとき、問題の霊園を過ぎた辺りで、俊哉がスピードを落とした。


 ちょっと走って止まり、バイクを降りてこちらに来たので、タクシーも止まる。


 俊哉は誰も乗っていない助手席の窓を叩いた。


 運転手が窓を開けると、

「この辺りっすよね、木の仏像があったの」

と訊いている。


「ああ、そうですね。

 そんなに長い間はなかった気しますけど。


 坊ちゃん、よくご存知ですね」

と運転手は俊哉に言った。


 坊ちゃん? と思っていると、運転手は、

「ああ、私、以前は、西島先生のところの運転手やってたんですよ」

とこちらを向いて笑う。


 ちらと名前のところを見た。

 大上おおがみさんというらしい。


 俊哉が仏像があったという場所は木が生い茂り、草にまみれた場所だった。

 よく見れば、そこから山の方に伸びる細い小道がある。


「この道は?」

「……そこは行かない方がいいですよ」


 ふいに大上の声色が変わった。


 よくある怪奇映画のようだ。


 田舎に行ったら、村人たちが愛想良く歓迎してくれるが、村の秘密に触れた途端、先程までの笑顔は何処へやら、手に手に鎌を持って集まってくる。


 そんな感じの変わりようだった。


 この村では、なにか怪しい宗教とかやってて、迷い込んだ人間は殺されるとか……。


 そんな妄想が駆け巡る。


 いや、じゃあ、あの宿に宿泊している大量の人たちはどうなるんだと突っ込まれそうだが。


「お、大上さん」

と晴比古はタクシーに乗ったままの運転手に呼びかけた。


「握手してください」

「はい?」


 手を出してくれた大上の手を助手席から手を突っ込み、強く握って振る。


 あ~、よかった。

 なにもない。


 自分がなにを思って、そう動いたのか察している深鈴に、

「……先生、なにやってんですか」

と呆れられた。




 なにか考えていた大上はタクシーから降りてくると、その小道の前に立った。


 山から吹き下ろす風が、大上の少ない髪と手入れが行き届かず蔓延はびこる草を揺らしていた。


「この先には、民家があるんです。

 もう誰も住んでいない廃村だったんですけどね」


 ですけど……? と思い、訊いていると、


「まあ、村ってほどでもない。

 小さな集落ですよ」

と言う。


「私の祖母もそこの出身で。

 人が住まないと家は荒れるからと、街へ出ている此処の人たちに許可を取り、西島先生がその集落の空き家に人を住まわせました」


「じいちゃんが?」

と俊哉が口を挟んでくる。


「私、ときどき、思うんです」


 大上は、その集落があるという山を見上げて、ぽつりと言った。


「傘をさした幽霊は、あの集落に行こうとしてたんじゃないだろうかって」


 深鈴が大上の背に向かい、訊いていた。


「……幽霊は、目的の場所にたどり着けたんでしょうかね?」


「わかりません。

 たどり着いたから出なくなったのか。


 それとも、幽霊だから、消えてしまったのか」


 そう笑ったその顔は、少し寂しそうでもあった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る