樹海に沈む死体

だから、なんで探偵やってるんですか

 




 天堂亮灯てんどう あきほ


 晴比古はその名を口の中で噛みしめる。


 それがこの女の本名のようだった。


「先生、私を警察に突き出さないんですか」

と亮灯は訊いてくる。


「なんの罪だ。

 うちで横領でもしたか」


「補填はしても、横領はしてないです。

 この間のアイス代、返してください」


 そう言われ、黙った。


「お前、まさか、さっき、今すぐ警察に突き出されたら困ると思って、パン食いにいったのか」


「はあ。

 まあ、せめて、もう一個、あれ食べてから、と思って。


 本当に美味しいですよ、此処のサクサクパン」


 既に、サクサクパンって商品名みたいに言ってるし。

 晴比古は、ひとつ溜息をついて言った。


「お前と志貴は好みも似てるんだな。

 さっき、志貴もそれを取ってたぞ」

と言うと、あら、と少し嬉しそうな顔をしてむかついた。


「でも、先生。

 ただの同姓同名の可能性もあったのに、なんでとっさに私をかばうようなことを言ったんですか?」


 揺らすように椅子に背を預け、それはな、と言う。


「お前の演技は完璧だったが、ひとつミスがあったんだ」

「ミス?」


「いや、細かいのは幾つもあったかな」


 外で警官話している志貴が、ちらと心配そうにこちらを見る。


「でも、一番のミスは相方に志貴を選んだってことじゃないのか。

 今も既に……」


 バレバレだ、という前に振り返り確認した亮灯は志貴を睨んでいた。


 志貴が慌てて視線をそらしている。


「お前なー。

 ああいう実直そうな男を巻き込むなよ」


「志貴のなにが実直なもんですか」

とパンを千切りながら、文句をたれる。


「どの辺が実直じゃない」

と訊くと、


「……ま、多くは語れませんが」

と濁してしまう。


 だが、

「それだよ」

と人差し指を振ってみせた。


「え?」


「お前の演技は完璧だった。

 が、どうしても、人のさがとして、出来ないことがひとつある」


「なんですか?」


「長年付き合った相手を褒めちぎることだよ」


「……なるほど」


「お前は志貴に興味がない風を装ってはいたが、装いすぎだ。


 あの顔を初めて見たら、ちっとは驚くだろ、普通。


 お前は、ふーんって感じで流してた」


 ありえない、と言うと、

「いや、確かに最初は驚きましたけど。


 でも、その初対面のとき、相手の顔がどうとか言ってる場合ではなかったので、どのみち、そんな感慨もなかったんですけどね」

と言う。


「でもそう。

 志貴を見て、驚いてのぼせ上がるような真似は確かにできなかったです。


 だから、関心がない風を装ったんですが、無理がありましたか。


 そうか。

 そういうところからもバレるんですね。


 次回の参考にします」

という亮灯に、いや、もう二度とやるなよ、と思っていた。


「あと、他の細かいミスというのは?」


 今後の参考にか、亮灯はそう突っ込んで訊いてくる。


 ちら、と外を見、

「志貴は今、忙しそうだな。

 志貴は後にするにしても、場所を変えて話そう。


 一度に話した方がいい。


 お前と……


 陸にな」

と言うと、ぷっと亮灯は笑った。


「困った先生ですね」

と言う。


「ちゃんと推理できるじゃないですか。


 私を雇ってるのは、そうして、自分はなにも出来ないと、敵を安心させるためですか?


 ボンクラのふりして」


「ボンクラは言い過ぎだろ。


 そんなふりしてないから、本当にそうってことになるじゃないか」

と言うと、亮灯は笑った。


 あまりにも、いつも通りの彼女で、つい、深鈴、と呼びそうになる。


 だが、俺の助手だった深鈴はきっともう居ないのだ。


 暴くべきでない秘密はこの世にはたくさんある。


 なにも知らず、言わない方がきっと俺は幸せだった。


 ……なんか、大人になって、初めて泣きそうなんだが、と思っていた。


 だが、亮灯の言う通り、本気で、ボンクラなわけではないので、彼女の変化になにも感じてない風を装う。


 コーヒーを飲むふりをして、口許にカップをやったが、もうなかった。


 なんか、本気で泣きそうだな、と思いながら、外を見る。


 志貴が中本たちと話している姿が見えた。


 





 部屋に戻った晴比古は、ついてきた亮灯を振り返り、

「さて、そろそろ種明かしをしてもらおうか」

と言った。


 亮灯が笑う。


「先生、さて、だなんて、まるで名探偵が口上を述べる前みたいですね」


 お前な、と思っていると、

「私と志貴がグルだと思った理由はわかりました。


 でも、あれだけでは、ちょっと根拠が薄いような気がしてるんですが」

と言い出した。


「……『私たち』って言ってるんだよ、お前」

と言うと、えっ? と言う。


「お前は出会った最初から、志貴と自分のことを私たちって一纏めに語ってるんだよ。


 完全に仲間か身内をかばう感じで」


「あ~、そういうとこは意外と気づかないですね。

 なるほど、さすが」


 いや、さすがじゃない、と思っていた。


 言ったのが亮灯で、相手が志貴だったから、気になっただけだ。


 その推理は、ただの嫉妬の副産物だ。


「陸もグルだって思ったのはなんでですか?」


「そういや、陸は何処行った?」


 来いと言っておいたのに、と言うと、

「逃げたのかもしれませんね」

と後ろを振り返りながら、亮灯は言う。


「あっちは犯罪者ですから」

「……止めろよ」


「私も犯罪者予備軍なので、人を咎めたりとかしづらいんですよね~」


 晴比古は溜息をついて言う。


「犯罪者だの、犯罪者予備軍だの。


 そういや、お前らの手を握ってないような。

 いや、握ったな」


「握ったんじゃなくて、私から先生の手に触れたんですよ、此処の食堂で。


 そしたら、先生が逃げました。

 そうするとわかっていたからです。


 先生、意外とシャイだから。


 でも、それで、先生の頭には、私の手には触れたけど、なにも見えなかった、と刷り込まれるはずですから。


 まあ、まだ、なんにも犯罪自体は犯してないので、どのみち、なにも見えないとは思いますが」


「ろくなもんじゃないな、お前は。

 その調子で志貴も手玉に取ったのか」


「志貴は手玉に取ったんじゃありません。

 ただ好きなんです」


 俺を殺す気か、と思った。


 しれっと言った亮灯の言葉に、ショック死するかと思った。


 いや、わかっていたことなのだが、改めて言われると、心臓が痛くなる。


「まあ、今は、好きかなって思うけど。

 好きとか嫌いとか、考える暇もなかったです。


 最初に会ったとき、志貴はまだ警官で。

 雨の中、樹海の事件現場に立つ私を見つけた。


 もう現場検証も終わったそこを見回りに来ていた警官だったんです。


 血まみれのままうろついていた私は、既に生きていないと思われていた被害者家族の一人だった。


 だから、志貴は幽霊を見たと言ったんでしょう。


 私は警察には名乗り出ず、自ら犯人を探して殺そうと思った。

 私の家族を殺した犯人を。


 だから、志貴に言ったんです。


『今見たものは、決して言わないで――』

 って」


 亮灯は当時を思い出すように、ひとつ大きく息を吐いて黙った。


「お前と志貴との付き合いはそこからか」


「そうですね。

 志貴は私の決意を聞いて、今は誰も住んでいない彼のおばあちゃんの家に私をひっそりと住まわせてくれました」


「いい奴だな。

 警官としては、どうかと思うが。


 でもまあ、最初は、お前の犯罪には、協力する気はなくて、ただ、気が済むまで付き合ってやろうってだけだったんじゃないか?」


 亮灯はそこで、冷ややかに言う。


「どうですかね?

 志貴は、私に協力する代わりに私を――。


 あれは顔が綺麗なだけの普通の男ですよ」


 待て、普通の男は協力する代わりにとかいって、そんなことを要求したりしないぞ。


 あいつ、思い込むと怖いな、と思ったが、志貴のために涙を飲んで黙った。


「それに、私、顔だけなら、先生の方が」


「えっ」


「志貴は綺麗すぎて引くっていうか。

 女として、ぶちたちくなるっていうか。


 私より綺麗だから。


 だから、私は男の人は男らしい顔の方が好きなんです。


 先生の方が好みだったんですけど。

 でも、もう一緒に居るうち、耐性ができました」


 そ、そういえば、それらしきことを此処に来てからも、何度も言っていたのに、志貴とのことを感づかれたくないために言っているのかと思って流してしまった。


 いや、何故、耐性ができる前に、こいつになにか言っておかなかったんだ、と己れを責めたが、すべては後の祭りだった。


「私は志貴の顔以外のところが好きなんです」

と亮灯は語り出す。


「見慣れたから、今更、顔、変わられても困るんですけど。

 情けないとことか、器が小さいとことか、気が小さいとことか。


 頼りないけど……優しいとことか」


 そう静かに語り、亮灯は少し微笑む。


 その表情を見ながら、顔が好きとか言われた方がマシだと思っていた。


 亮灯はこちらの表情を見、

「あら、先生、お疲れですか?」

と訊いてくる。


 壁にすがり、晴比古は言った。


「お前のせいでな。

 どんな目的があって、俺を此処まで連れてきたのか知らないが。


 お前じゃなくて、志貴が俺に近づいて話を持って来ればよかったのに」

ともらすと、思いっきり引かれる。


「いや……。

 そういう意味じゃないから」


 男の方がいいとかいう意味ではない。


 無駄に亮灯に心を奪われて、辛い想いをしなくて済んだのに、という意味だ。


 それにしても、皮肉なものだ。


 もう手に入らないと気づいてから、自分が彼女に対して、本気だったと気づいてしまったのだから。


 そんな想いにはまるで気づかずに、こちらを向き直り、亮灯が言う。


「さて、先生。

 残りの種明かしをしてもらいましょうか?


 陸は逃げてしまったかもしれないですけどね」


「やっぱ、お前が、『さて』と言ってるじゃねえか」


 仕切る亮灯にそう愚痴って見せた。


 晴比古は溜息をひとつ、ついて言う。


「まあ、なにがどうなってるのかは俺にもよくわからないんだが。


 ともかく、お前と志貴になにか関係があるのがまず、わかった。


 それから、陸のことだが。


 なにか小さいことがいろいろ積み重なって、怪しいな、と思ったというか。


 まあ、大きなところで言うとな。


 ……昨日、殴られて冷凍室に詰められてたのに、なんで、あんなに機嫌がいいんだ?」


「私も確かめたわけではないですが、ちょっと想像がつくんですよね。


 だから、もう陸も居なくなってるかも、と思ったんですよ。


 たぶん……探した方がいいと思います。


 いつか辛くなるから」


 そういう言い方を亮灯はした。


 本当に自分からは手の内を明かさないな、と思いながら言う。


「陸が怪しいと思った理由は他にもある。


 あいつ、実は、ひとり静かに読書や散歩を楽しむタイプじゃないだろう?


 人恋しくて、話しかけないと気が済まないタイプだ。


 一人で、こんなところになにしに来てたんだ?」


 ま、そうですよね、と亮灯は苦笑いしていた。


「それから、陸は殴られて、冷凍室に詰められていたが。


 相手は殺意があるんだかないんだかわからない感じだった。


 子供じゃないんだ。


 目を覚ませば、冷凍室開けて出てこられるだろう、男の腕力なら。


 犯人のやったことはおしおきに近いな」


「おしおきにしちゃ、やりすぎですけどね、あの殴り方」


 そこで、亮灯は渋い顔をする。


「お前、厨房に行ったあと、冷蔵庫はないだろう、とわざと言ったろう。


 そちらに注意を向けさせるために。


 そして、辺りをキョロキョロと見渡し、鍋の中を探したりしていた。


 あるはずのものがなかったからだ」


 へえ、と亮灯は笑う。


「なんですか?

 あるはずのものって」


「冷凍食品だよ。

 それが放り出してあるはずだったんじゃないのか?


 それで、俺がおかしいと思って、冷凍室を見るはずだった。


 なのに、予定通り、それがなかったから、お前は焦った。


 最初から陸は冷凍室に入ってる予定だったんだよ。


 お前はそれを知っていた。


 早くに開けないと、本当に凍死したらまずい。


 予定は中止になったのかもと思ったんだろうが、俺が開けた冷蔵室に冷凍食品とゴミ袋が詰め込まれていた。


 だから、お前は、慌てて、自分で、冷凍室の扉を開けた。


 怪しまれないよう、俺に開けさせたかったんだろうにな。


 お前は此処で、陸ともう一人の間で、仲間割れが起きたことを知った。


 予定より長く陸を冷凍室に閉じ込めるために、意図的に、冷凍食品を隠していたことに気づいたからだ。


 そういえば、陸の部屋の鍵は開けっ放しになってたな。


 だから、俺たちは、陸が居ないとすぐに判断できて、下に下りた。


 そこもおかしいんだよ。


 陸は街の人間のようだった。


 知らない人間がうようよ居る場所で、鍵を開けっ放しにしてること自体、おかしい。


 陸が部屋に居るんだか居ないんだか曖昧なままにしておくと、俺が陸が来るのを待とうとか言い出すかもしれない。


 下りるまでに時間がかかったら、冷凍室に居る陸が凍る。


 だから、陸が居ないとすぐに判断出来るよう、開けてあったんだ」


「ま、そうなんですけど。

 でも、部屋の鍵、志貴とかも開けてますけどね」


「そりゃ、お前が来るかもしれないと思ってのことだろう。


 そう、鍵を開けてる奴は、誰かが訪ねてくる予定のある奴かもしれないわけだよ。


 それと、お前は、俺たちが、わあわあ大きな声で喋りながら下りてきたから、犯人が焦ったと言ったが、俺もお前もそんなに大きな声で喋ってはいなかったぞ。


 深夜だからな。


 犯人は、最初から、お前があの時間に来るのを知ってたんだ。


 だから、焦った。


 お前はそのことを知っていたが、言うわけにはいかないから、ああいう言い方をしたんだ。


 俺の推理がおかしな方向に外れていかないように。


 つまり、お前たち。


 お前と志貴と、陸、それと、もう一人は、なんらかの理由で、陸が殴られて、冷凍室に詰められている状況を作ろうとしていた。


 もちろん、軽く殴るだけのはずだった。


 ところが、此処でなにかの手違いか、諍いがあり、陸は本気で殴られ、冷凍室に詰められ、死にかけた、と。


 仲間割れか?」


 そこまで聞いた亮灯が笑い出す。


「ほんと困った先生ですね。

 ちゃんと推理できるじゃないですか」


 まあ、知ってましたけどね、と言う亮灯に、


「今回はお前がしてくれそうにないからだ。

 俺は推理するのは面倒臭い」

と言うと、


「だから、なんで探偵やってるんですか」

と言われる。





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