犯人ヲ 見ツケテクレ

 




「おはようございます」


 志貴が朝、階段を下りて行くと、女の子たちが振り返り挨拶をする。


 亮灯は素知らぬ顔で、OL軍団の中に居た。


 僕の勝手な好みだけど、やっぱり、亮灯がダントツ可愛い。


 内心、そう思いながら、

「おはようございます」

と彼女らに笑顔を向ける。


 また彼女らが、

「おはようございます」

と笑って挨拶を返してくるなか、亮灯だけが、


「おはようございます」

と事務的に返してきた。







 晴比古は、大欠伸をしながら、階段を下りていた。


 昨夜、よく眠れなかったからだ。


 階段下に居た浅海と目が合う。


「おう、浅海。

 どうした、すっきりした顔して」

と言うと、浅海は苦笑し、


「やっぱり、私、貴方は怖いな」

と言った。


「なにがだ?」


 OL軍団や深鈴、それに老婦人は、年の差を越えて、窓に張り付き、きゃっきゃ、と言ってる。


「なんだ、あれは」

と言うと、クールなんだか、見慣れてるんだかわからない浅海が、


「知らない。

 リスかうさぎが出たみたいよ」

と言い去る。


 リスとうさぎじゃ、随分違うだろうが、とその後ろ姿を見送った。


「リスか? うさぎか?」

と深鈴の後ろからひょいと覗くと、


「今は猫ですっ」

と言ってくる。


「猫?」


「猫ですっ」

と右手を軽く猫のように丸め、外を見たまま頷いた。


 ……なるほど。


 まるで、彼女らにサービスするように、目の前で立ち止まった猫がくりくりと顔を洗って見せている。


「仕込んでるのか?」

と呟くと、


「いやあ、違うでしょう。

 でも、いい気分転換になったみたいですね」

と言ったのは、志貴だった。


 少し離れた位置から一緒に見ていたようだ。


「おはようございます」

と言う彼に、


「……おはよう」

と言うと、どうかされましたか、と訊いてくる。


「なんか寝不足なんだよ。

 夢に干からびた手が出てきてさ」


「干からびた手?」


「子供の頃、拾ったんだ、山で。

 ぽとっと落ちてて。


 みんながオモチャだろうって。


 みんなは枝の先とかでつついてたんだけど、俺だけ、ひょいっと手に持ったら、全然オモチャじゃなかった。


 その感触がまだ手の先に残っててさ」


「人間の手ですか?

 猿とか?」


「……人間だよ」


「町まで持って下りて、確かめたんですか?」


「いや、上にさ。

 あったんだ。


 手じゃない部分が」


「手じゃない部分?」


「干からびた人間の身体が、高い木の枝にぶら下がってた。


 首吊りにしちゃ位置が高すぎたな。


 ちょうどその人が死体になったときの気候が良かったのか、まるで即身仏みたいに干からびてた。


 空中に浮かんでるように見えるそれから、カラスがつついて腕を落としたみたいだったよ。


 俺たちは悲鳴を上げて逃げて」


「それから?」


「それきりだ。

 大人たちに言ったんだけど、捜索してもそんな死体、何処からも出てこなかったらしい。


 俺たちはそこに行く途中、小さな沼みたいなのを見たんだが。

 それもなかったって言うんだよな」


「不思議な話ですね」


「まあ、単に大人が見つけられなかっただけなんだろうけどな。


 でも、それから俺の夢に、あの干からびた手が出てくるようになったんだ。


 いつも、その手が何処からともなく現れて、俺の足を掴むんだ。


『犯人ヲ 見ツケテクレ』って。


 死体も出てこないのに、子供にどうしようもないよな。


 でも、それからだよ。


 それからしばらくして、両の指に、あの仏眼相が出来たんだ」

と己れのそれを眺める。


「そういえば、お前の手相は見てないな」

「あ、本当に見られるんですか?」


「見てやろうか」


 志貴は少し迷い、

「お願いします」

と手を出した。


「ま、浅海の子供の頃の本による一夜漬けだがな」

と言うと、


「それ、僕がその本読みながら見たのでもいいってことじゃないですかね」

と苦笑いしているが。


「お、志貴。

 お前、仏眼相がうっすらあるな。


 霊とか見たことあるか?」


 何気なくそう問うと、

「……ありますよ」

と言い、志貴は今まで見せていた手を握りしめた。


「さて、朝食の時間のようだな」


 晴比古は素直にその手を離す。


 深鈴がこちらを窺っていた。





 




「サクサクですね、このパン」


 うーん、満足、と深鈴は小さなパンを口にしながら笑っている。


 朝食はちょっとしたバイキングになっていた。

 そんなに品数があるわけではないが、どれも文句なく美味しい。


 あのあと、目敏い深鈴がすぐにやってきて、

「志貴さんの手相見たんですね。

 どうでしたか?」

と訊いてきた。


「志貴は長生きだな。

 そして、仏眼相があった」

と言うと、


「誰が手相のことを訊きましたか」

と言われる。


「わかってるよ。

 手を握っても、志貴からは、なにも感じなかった」


「そうですか」

と言う深鈴は何故か少し残念そうだった。


「志貴が犯人なら良かったと思ってるのか?」


「まさか。

 それより、先生、食べないんですか?」


 食べてる食べてる、と言うと、

「食欲なさそうですね」

と言うので、


「さっき志貴にも言ったんだが、悪い夢を見てな。


 夢の中で、干からびた死体の手を握るかどうか迷ってるんだ」

と言うと、


「へえー、正夢ですかね」

と適当な感じの返事をしてくる。


 訊いておいて、この女、と思った。


 そのとき、ガラスの向こうに中本が走ってくるのが見えた。


 入り口から入ってきた彼は、志貴のところに行くのかと思いきや、自分を手招きする。


 俺? と行くと、二、三説明してきたので、笑って答えると、


「ですよね」

と苦笑いし、中本は、そのまま、志貴のところに行った。


「何処に行ってたんですか、中本さん」

と皿を手に、深鈴と同じ、サクサクパンを取ろうとしていた志貴が訊いている。


 それを横目に見ながら、席に帰ると、深鈴が、

「どうしたんですか?」

と訊いてくる。


「いや」


 深鈴、とまたいつの間にとってきたのか、新しいヨーグルトを食べている彼女に言った。


「俺がなんで、お前を助手に決めたかわかるか」


「他に来なかったから?」

「……それもある」


「好みのタイプだったから?」


「それもあるが違う。


 ちょっと待て!

 誰だ今、口挟んだのっ」


 陸が笑いながら、テーブルの横を通り、焼きたてパンを取りに行った。


「まあ、生きてパンを食べられてなにより。

 減らず口だが」


 昨日、殴られたばかりの陸の後ろ頭を見ながら、晴比古は言った。


「俺の前世は即身仏じゃないかって言っただろう。

 夢の中で、俺は即身仏になって、身体が固まり、動けない。


 そこに、読経とともに、ちりんちりんと音が聞こえてくるんだ。

 鈴の音だ」


「金縛りみたいですね。

 身体が動かなくて、読経と鈴の音が聞こえてくるらしいですから」


「そうなのかもしれん。

 身体が疲れて、金縛りになったときに見る夢なのかも。


 身体が動かなくて、もどかしいからな。


 でも、そんなときに、自分が鳴らしてるんじゃない鈴の音が聞こえてくるんだ。


 すると、ふうっと楽になる。


 お前が現れたとき、実は、名前を見て、採用しようと決めた。


 『深鈴』って名前が気に入ったんだ。


 なんだか俺を導いてくれそうな気がして。


 お前が側に居るようになってからは、夢の中に、ときどき、お前が現れるようになった。


 暗闇の中で、お前が、ぽうっと光る鈴を手に持ち、揺らしてる」


 その姿はいつか見た、白く艶かしい肌質の観音像のようだった。


 観音に性別はないが、その像は女性的で慈愛に満ち溢れている。


「先生、なんで今、そんな話をするんです?」


「告白じゃないんですか?」

「陸っ」


 また、ろくでもないタイミングで通った男の尻をバターナイフで刺す。


 陸は、いてっ、と尻を抑えながら、小さく跳ねたが、パンは落とさなかったようだった。


 そのまま、窓際の席に行く。


「昨日、殺されそうになったのに、呑気なやつだ」

と言うと、深鈴が笑う。


「もう殺されるあてがなくなったのかな」


「え?

 あれ? 先生、パトカーが」


 陸が見ているガラスの向こう。

 樹海の前に、パトカーが着いた。


 食事をしていた中本と志貴が立ち上がり、そちらに行く。


「樹海で死体が見つかったようだ」

「えっ? 誰のですか?」


「……新村早希にいむら さきじゃない。

 安心しろ」


「そうですか」

 ほっとしたような顔をした深鈴に言う。


「見つかったのは、白骨死体だ。

 早朝、遊歩道をうっかり外れた観光客が樹海の中で迷って見つけたらしい」


「それは災難でしたね」


「衣服は朽ちて、ボロボロ。

 なにも身許のわかるものは所持してなかった。


 若い女性らしいという話だったんだが。


 さっき、その近くの枯れ木の下に保険証が落ちていたのが見つかったらしい」


「そうなんですか。

 よかったですね。


 家族の許に遺体が帰れますね」


「まあ、問題ある家族で自殺したってこともあるだろうから、なんとも言えないが。


 どのみち、この女性に身内は居なかったらしいよ。

 天涯孤独の身の上だったようだ」


「さっき、中本さんはそれを言いに来たんですか。

 先生、なにを言って笑ってたんですか?」


「……『ですよね』って言われたよ。

 俺が、関係ない、別人だと言ったら」


 深鈴は立ち上がる。


「何処行くんだ?」

「サクサクパンをもう一個」


 コーヒーを飲みながら、待っていると、深鈴は、パンを手に、OLたちと談笑したあとで、戻ってきて、


「それで?」

と言った。


「話す気なくなるなあ」

と呟くと、


「いえ、食べておこうかと思いまして、もうひとつ」

と言う。


「……見つかった白骨死体は、渋谷深鈴、二十四歳。


 お前と同じ名前と年なんで、一応、中本刑事が訊いてきたんだ。


 うちの深鈴は出身地も違うし、全然関係ない、と言うと、ですよね、って笑ってた」


「先生、私の出身地なんて知ってましたっけ?」

と深鈴は笑う。


「知るわけない。

 履歴書も住民票も持って来させてないし。


 うちの事務仕事は、お前が来てからは、全部お前がやってるからな」


「先生は、なにも見ずに、サインして、印鑑押してるだけですもんね。


 『渋谷深鈴』は先生を導いてくれる、か。


 残念でしたね、先生。


 導いてくれるはずの人はもう亡くなられてたんですね、何年も前に」


 そう言いながら、彼女は残りのヨーグルトを口にしていた。


「……お前は、深鈴の幽霊か。

 そういえば、志貴が幽霊を見たことがあると言っていたが」


「あの人、そんなこと言ってました?」

と彼女は可笑しそうに笑ってみせる。


 だが、ふっとそこで表情を変え、言ってきた。


「でも、先生。

 ちりんちりんじゃないんですけど。


 霊って、居るのかもしれませんよ。


 あの日、泣き声がきこえたんです、樹海の中で。


 でも、私がその声を追って、たどり着いた先にあったのは、渋谷深鈴の死体だった。


 まあ、他の誰かの泣き声が反響して、そう聞こえたのかもしれないですけど。


 死体を見つけても、まだしばらく聞こえていた気がするんですよね」

と目を閉じ、思い出すように言った。


 湿った樹海で彷徨い死体を見つけた深鈴、いや、彼女の姿を思い浮かべてみる。


 不思議に幻想的で恐ろしいとは思わなかった。


「霊が居てくれるといいですね。

 そしたら、私はもうなにもしなくていいから」


 幽霊か、と彼女は呟く。


「まあ、そうかもしれませんね。

 志貴に会ったとき、私は、既に死んでいるはずの人間でしたからね。


 でも、先生。


 私は、渋谷深鈴の幽霊じゃない。


 天堂亮灯てんどう あきほの幽霊ですよ」


 いつもの深鈴とは違う。


 艶かしい女の顔で笑って、『亮灯』は言った。



 






『今見たものは、決して言わないで――』

 

 

 

 


 




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