私、人を殺したの……

  




 その後、中本とも合流して捜索したが、陸を殴った犯人も、早希も見つからなかった。


 部屋へと戻る階段を上りながら、晴比古は深鈴に訊いた。


「これだけ探しても、誰も見つからない理由。

 わかるか? 深鈴」


「ええ?

 樹海ですかね、やっぱり」


 そう言った彼女に、

「寝る前に、一杯呑むか」

と言ってみたが、多少の下心を見透かされたように、おやすみなさいー、と深鈴は逃げてしまう。


 仕方ないと、呑まずに一人、寝ることにした。







「刑事さん」


 晴比古たちと別れたあと、もう一度、冷蔵庫の前に行き、考えていた志貴の側で声がした。


 振り向くと、浅海が立っていた。


「ああ、大丈夫ですか?

 眠れませんか?」


「また、なにかあったの?」


 浅海たちの住まいは、一階の離れなのだが。

 騒ぎで起きてきてしまったようだった。


「冷蔵庫に死体でも入ってた?」

と訊いてくるので、


「よくご存知ですね。

 いや、生きてましたけどね」

と言うと、


「実は、さっき、中本さんに出会って聞いたの」

と言う。


「そうですか。

 でも、もうお休みになられた方がいいですよ」


 そう言うと、浅海は、中央にある大きなステンレスのテーブルを指で弾いて言った。


「刑事さん、私を逮捕してよ」


「えっ」


「……私、人を殺したことがあるの。

 あの探偵さんに言おうかとも思ったんだけど、なんだか怖くなって。


 夜、外に立っているあの人の姿を遠目に窺ってたら、なんだか、なにもかも見透かされそうに感じて」


 恐ろしくなったのよ、と言う。


「罪を告白しようとしてたのに、変ね」

と苦笑する浅海に、


「……わかります」

と志貴は言った。


 浅海は、その実感こもった言い方をどう受け取ったのか、少し、緊張がほぐれたように笑ってみせる。


「貴方か、あの探偵さんになら、話していい気がしたの。


 中本さんって人は苦手かな。


 二人の方が、若くて話しやすそうっていうのでも、格好いいからでもないのよ。


 なにかこう、罪も許容してくれそうな感じがするから」


 そう言ったあとで、浅海は、腕に触れてくる。


「私、昔、人を殺したの。

 死んだかどうかは見てないんだけど。


 今覚えば、あのあとからなのよ。

 ちりんちりんと聞こえなくなったのは……」


 えっ、と思ったとき、浅海に抱きつかれていた。


「ごめんなさい、刑事さん。

 ちょっとだけ、このままで居て」


 ママが居ないから……。


 小さな声で、そんな子供のようなことを言う。


 




 部屋に戻った志貴は、シャワーを浴びたが、浴室を出て驚く。


 ベッドに亮灯が腰かけていて、なにやら読んでいたからだ。


 彼女は顔も上げずに言う。


「鍵くらいかけといたら?

 殴り殺されても知らないわよ」


「いや、君が来るかな、と思って」

と亮灯に笑いかけたが、機嫌が悪い。


「どうしたの?

 余計な事件ばかり起こるから?」


 それもあるわ、と本を閉じたあとで、こちらを見て言う。


 彼女が読んでいたのは、下にあった本のようだった。


 自分がそれを見たのに気づいたように、

「昔、図書館で読みかけて、そのまま引っ越してしまったから」

と言う。


「そう。

 じゃあ、今度、僕が同じ本を買ってあげるよ」

とその表紙に触れながら言ってみたが、亮灯は機嫌が悪いままだった。


「大丈夫だよ、きっとうまくいく」


 そう言いながらも、どうも腹を立てている理由は違うようだ、と思ったとき、亮灯が言った。


「……さっき、女子高生と抱き合ってなかった?」


「せ、千里眼だね、亮灯」


 違うんだ、と言い訳をしようとするが、他所を向いてしまう。


 だが、本当に言い訳を聞きたくないわけでもないようだった。


 此処を出て行ってしまったりはしないから。


「こんなこと、話していいのかわからないけど。

 あの子、子供の頃、人を殺したことがあるって言うんだ」


「へえ……」

とは言うが、振り返らない。


「小さい頃の記憶で、よくは思い出せないみたいなんだけど。

 このホテルの近くに、小さな洞穴があって、そこに人が住んでたんだって。


 木の扉が打ち付けてあって、下が少し空いてて。

 時折、そこから、食事を差し入れるように言われて言ってたって」


「言われてたって誰に?」


「そこの記憶も曖昧らしい。

 なんだかわからないまま、持ってってたんだけど。


 そこが近くなると、ちりんちりんと音が聞こえていたから、その中に居る人が鳴らしてるんだと思ってたらしい。


 あるとき、その下の穴から、枯れ枝のような手が出てきて、ガッと小さな自分の手を掴んできて。


 恐ろしくて逃げ出して。


 それからもう、食事を届けてって言われても、途中で捨てて届けなくなったんだそうだよ。


 そうしたら、しばらくして、ちりんちりんと聞こえなくなった」


 亮灯は考えている。


「それから?」

と問われ、


「それで終わり」

と答えた。


「なんだか霧と樹海の中を進んでいくような不思議な記憶で、夢か現実かわからなかったらしいんだけど。


 でも、あるとき、その穴を見つけたんだそうだ。


 大人になって見てみると、そこは防空壕で。

 扉は開いていて、中には、干からびた死体と、鈴が落ちてたらしいんだ。


 恐ろしくて逃げ帰って、それきり行ってなかったらしいんだけど」


「それで自分が殺したと思ったの?

 自分が食事を届けなかったから。


 もしかして、今回の車のトランクから転がり出てきたのがそれだと彼女は思ってるわけ?


 それにしても、なんで、その穴に、随分後になって、たどり着けたの?」


「古い糸を見つけたらしいよ。

 白い糸」


「白い糸……」


「そう。

 そこまで続いてらしい。


 昔は、ホテルの近くから続いていたらしいんだけど。

 浅海さんが見つけたときには、もう手前の方は朽ちてなくなってたんだって」


「ちりんちりんって鈴の音、か。

 まるで即身仏ね。


 木食行の食事でも届けてたのかしら。


「それが、量は少なかったらしいんだけど、普通の食事だったみたいだよ。

 だから、余計に気になったんだって。


 自分は誰が隠れていた人を殺してしまったんじゃないかって。


 でも、母親に聞いても、そんなこと知らないって言うらしいんだ」


「私の聞いたところだけで考えると、その人を殺したのは、浅海さんじゃないと思うんだけど」


「そう?

 僕もそう思いたいけど」


「いいえ、そうよ。

 あの干からびた死体の死因はわかってるの?」


「ああ、古いもので、随分損傷も激しかったから、死因の特定には、手間かかったんだけど。


 たぶん、頭を強打したせいじゃないかって」


「餓死じゃないじゃない」


「浅海さんの言ってた死体があれだったのなら、確かに、彼女のせいじゃないね」


「お腹空いて、ふらついて、すっ転んだのが死んだ原因じゃないならね」

と言う亮灯に、


「また、もう~」

と言う。


「彼女、晴比古先生にも同じこと言うつもりだったみたいだよ」


「ふうん。

 あの推理しない先生にね。


 ……なにがおかしいの? 


 そこ、笑うとこ?」

と言う彼女に、


「いや、君がすぐそこに居ることが嬉しくて」

と言うと、さすがの彼女も赤くなり、なに言ってるの、と小さく言った。


「此処は幻想的な空間ね。

 樹海の中の雰囲気あるホテル。


 それに、即身仏が二体」


「二体?」


「あの転がり落ちてきた死体と、阿伽陀晴比古。


 占いのとき、自分は即身仏の生まれ変わりだって言って、みんなを笑わせてたわよ、聞いてなかったの?」


「聞いてないよ」

と志貴は眉をひそめる。


「不思議な人よね。

 此処に居る人たちも、みんなそう。


 何処かみんな、後ろ暗そうで。

 ねえ、全部幻かもしれないわよ」


「幻?

 なにが?」


「此処も、此処に居る私も。

 いいえ、もしかしたら、私と出会ったところから全部」


「じゃあ、僕の人生も全部幻だ。

 君が居なかったら、僕は今、此処には居ないし」

と抱き寄せようとすると、額をはたかれる。


「莫迦なことしてないで、真面目に考えて。

 余計な事件が次々起こるせいで、私たち、なにも出来てないわ」


 亮灯はそこで、少し考え、

「本当に厄介なのは、仏眼探偵じゃない。

 渋谷深鈴かもね」

と呟く。


「そう?」

となんの感慨もなく言うと、亮灯は顔をしかめ、


「聞いてる? 志貴」

と言ってくる。


「いや、あんまり聞いてない」

と白状した。


 亮灯とこうして会える日をずっと心待ちにしていた。


 他のことなんて、今はなにも考えたくない。

 真剣に聞いているふりをしなければ、彼女は怒るだろうけど。


 そんな演技、すぐにバレるだろうことも知っていたので、白状してみた。


「君は僕と居ても嬉しくないの?」

「嬉しいけど、今はそんな場合じゃ……」


 そう言いかけ、亮灯は言葉を止めた。


「そうか。

 そうね。


 全部終わったら、どのみち、私、貴方と居られないかも」


 そう言い、そっと胸に頭を寄せてくる。


「貴方が私を逮捕してね」


「……そんなことのために、僕は刑事になったんじゃないよ」


「あらそうなの?」

と亮灯は自分を見上げて微笑む。


「私を手伝ってくれるために刑事になったのかと思ってたわ」


 私の復讐を、と言う。


「違うよ」

と言い、そっと彼女に口づけた。


 少しそれを受けたあとで、亮灯は身をよじるようにして逃げる。


「また鍵開けてると、いきなり人に入って来られるわよ」


「そうだね。

 じゃあ、鍵をかけたら、続けていい?」


 いや、そういう意味じゃ、と亮灯は言うが、志貴は鍵をかけに行った。


 そして気づく。


「亮灯」

と呼んだ。


「この懐中電灯。

 土がついてる」


 入り口にある棚の上に、さっき使った懐中電灯があるのだが、縁に泥がこびりついている。


「貴方が持ち出したとき、ついたんじゃないの?」


「違うよ。

 僕は土なんてつけてない」


「待って。

 触らないで、志貴」


 嫌な予感がする、と側に来た亮灯は触れないまま、腰を屈めてそれを見る。


「佐藤陸を殴ったの、これだったりしてね。

 これ、結構重いから」


 えっ、と思わず、その懐中電灯から離れると、


「そうじゃなきゃ、刑事の部屋のそれとすり替える意味がわからないじゃないの」

と言う。


 犯人、とっちめてやる、と言う亮灯に、

「とっちめるのは、後にしなよ」

と言った。


「逃げるじゃないの」

と自分を見上げ、不満げに訴える亮灯に、


「逃げないよ、大丈夫」

と言って、ひょいっと彼女の腰を抱え、肩に担ぐ。


「志貴っ!」

「大きな声出したら、隣の部屋に聞こえるよ」


「両隣、空き部屋よ」


「じゃあ、大きな声出していいよ」

とベッドにもう一度、座らせると、


「なに言ってるの」

と亮灯は赤くなる。


「君は放置しとくと、ろくなことしないから、やっぱり、縛り付けとこうかな」

と言うと、亮灯は、


「……思ったんだけど。

 あの、落ちてきた死体を縛ってた縄。


 貴方のじゃないの?」

と訊いてきた。


「そうかもね」

「あのとき、貴方が落とした奴よね」


「君がおとなしく縛られててくれないから、悪いんだよ」


 あの死体が落ちる少し前、空き部屋に亮灯を引っ張り込んだ。


 騒がれないように、口を塞いで。


 少し二人で話したかったからだ。


 無茶な計画ばかり立てる亮灯に不安を覚えて、ベッドに縛りつけようとしたのだ。


「縄を持ってきてるなんて、確信犯だわ。

 最初から私を縛り付けるつもりだったのね」


「そうだけど」


「あれ、何処から持ってきた縄?」

「刑事課」


「……灯台下暗しもいいとこね」


「でもあれ、此処の可燃粗大ゴミ縛る指定の縄だから、何処にでもあるよ。

 少し縛りにくいんだ。


 君も覚えておくといいよ」


「なんでよ」


「僕と結婚したら、この辺に住むから?」


「そんな予定はないけど?」


「……なんでっ。

 なんのために、僕が刑事になったと思ってるんだよ」


「なにか高邁な精神のもと、なったんじゃないの?」


「君が犯罪を犯しても、逃すためだよ」


「そのあとも、安定した公務員のままで居ようする貴方がすごいわ」

と亮灯は呟いていた。


 だが、ちょっと笑う。


「……真面目なのかと思ったら、そうでもなくて。

 考えなしなのかと思ったら、そうでもなくて。


 神経細いのかと思ったら、やっぱり、そうでもなかったり」


「なに?」

と言うと、亮灯は、屈託なく笑い、


「いや、そういうところが好きなのかも」

と言う彼女の手に触れ、口づける。


「やっぱり縛ってもいい?」

と囁くと、


「……なんで?」

と言う。


「いや、このまま、なんの犯罪も犯さずに、僕と結婚しようよ。

 仕事もなにもかも止めて」


「なんでよ。

 約束してくれたじゃない、あのとき。


 私を助けてくれるって」


 雨が降っていた。


 腐って落ちた小屋のトタン屋根に、雨の塊が強く弾いた。


 ぞっとするくらい壮絶で奇麗だった。


 セーラー服を着た血まみれの少女が自分を振り向いて言う。


『今見たものは、決して言わないで――』


「愛してるよ、亮灯」


 あのときから、僕の人生はすべて君のものだ。


 そのまま、亮灯の上になり、口づける。


 




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