待て! 目的がすりかわっているっ!

 




 ホテルの中は、外観からイメージしていた通りだった。


 落ち着いたアンティーク調の家具を見ながら、

「此処、宿泊料高そうだな」

と呟くと、深鈴が、


「大丈夫です。

 犯人からお金、もらったじゃないですかっ」

とそれもどうなんだか、と思うようなことを力説する。


「ただいま」


 自分たちが今、入ってきた扉から、長い黒髪の少女が現れた。

 セーラー服を着ているので、恐らく、中高生だろう。


浅海あさみさん、お客様がいらっしゃるときは、裏口から」


 城島が窘めようとすると、

「なによ。

 なんで自分の家にこそこそ帰らなきゃいけないのよ」

と言って、こちらを一瞥したあと、一階奥へと入って行ってしまう。


「……美人だが、きついな」

ともらすと、すみません、と城島が自分のことのように謝る。


「このホテルの主人、綾坂の娘さんです。

 あんな風ですが、そう悪い人でもないんですよ」

とよくわからないフォローを入れてくる。


綾坂あやさかさん。

 美人の女主人って、旅サイトのレビューに書いてありましたよ」

と深鈴が微笑むと、は、と城島は照れたように笑う。


「ありがとうございます。

 ただいま、綾坂は所用で出かけておりますが、戻りましたら、ぜひ、ご挨拶を」




 




 それぞれの部屋に案内されたあと、ベランダに出た晴比古は、外を眺め、

「……本当に樹海しかないな」

と呟く。


 他にもぽつぽつ客が居たようだが、と思ったとき、かしましい声が廊下に響いた。


 あのOL御一行様が戻ってきたのかな、と思う。


 静けさを楽しんでくださいって言っても、こういう客が居ると、台無しだな、と思ったが、自分は都会の喧騒も嫌いではないので、彼女たちの騒がしさも、此処ではそう嫌ではなかった。


 懐かしい感じがしてくる。


 そのとき、OLたちが、挨拶するのが聞こえてきた。


 誰かと思えば、深鈴のようだった。


 先程の女子高生とは対照的に、誰とでもうまく合わせる深鈴は、彼女たちと幾つか言葉を交わしたあとで、こちらに来たようだった。


 ノックの音がする。


「はい」

と答えると、深鈴がドアを開けて笑い、


「先生、誰か確かめないと。

 ぶすっとやられて、先生が死体になっちゃいますよ。


 で、手紙を送ってきた犯人が、やはり、止められなかったなって言うんです」

と素敵な愛くるしい笑顔で言う。


 困った助手だ……。


「私の声が聞こえたから開けたんでしょうけど。

 足音を忍ばせた別の人だったかもしれませんよ」


「そんなに日々、緊張感を持って生きられるか」


「探偵の台詞とも思えませんね」

と言ったあとで、ベランダに来て、横から外を眺め、


「私の部屋と同じですね。

 樹海しか見えない」

と笑い出す。


「ほんと、本を読むのに適した場所ですね。

 一冊しか持ってきてないですよ、私。

 残念」


「下に本棚があったぞ。

 っていうか、お前、なにしに来た?」


「そりゃもちろん。

 先生の名誉を傷つけようとしている犯人を探しに来たんですよ」


「なんだそりゃ。

 俺に事件を止められないと思ってるのか」


「既に死体、ひとつ出てますしね。


 大体、止めてみろって、先生に止められないと思ってるから、手紙、寄越したんじゃないんですかね?


 だって、先生、事件が起きたあとしか活躍できないじゃないですか」


「……探偵ってのは、大体そんなもんだろ。

 それに、もしかしたら、犯人は、俺に止めて欲しがってるのかもしれない」


「そんな心当たりでもあるんですか?」

「いや、ないが……」


「本当に止めて欲しかったら、警察に予告状を出すんじゃないですか?

 でもまあ、本気にはしないでしょうけどね」


「さっき、警察でこの話、するべきだったかな」


「いえ、言っても言わなくても同じですよ。

 警察は事件が起きるまでは動きません。


 或る意味、先生と同じです」


「お前が一番失礼だぞ」


「そういえば、城島さん、此処のマダムがお好きなようですね。

 私がマダムを褒めたら、赤くなってお礼を言ってましたし」


 わかりました、と深鈴が手を打つ。


「美貌の未亡人と結婚したい城島さんが、結婚に反対している娘が邪魔で殺そうとしてるんです。


 そんな自分を先生に止めて欲しいと。


 城島さん、ミステリーマニアみたいですから、先生のことも何処かで知ったのかもしれませんよ」


「……此処のマダムは未亡人なのか?」


「いえ、私の妄想です。

 美しい未亡人に憧れる使用人の犯罪。


 英国貴族の屋敷とかで起こりそうで、いい感じじゃないですか」


 犯罪にいい感じとかあるか、莫迦、と思った。


「まあ、未亡人なのかもしれないな。

 その女主人が此処を仕切ってるんだろうから。


 それに俺がそのマダムとやらの旦那だったら、自分の美人妻に懸想しているような運転手は追い出すぞ。


 危なっかしい」


「本当に綺麗な人ですよ。

 一緒に写真撮ったって人がブログにアップしてましたけど。


 艶っぽい美人です。

 娘さんみたいに、きつい感じではないですね~」


「あの娘はなんであんなに愛想がないんだ」


「さあ、なにか嫌なことでもあったんじゃないんですか。

 ねえ、先生、城島さんの手を握ってみてくれませんか?」


「まだ娘は殺されてないぞ」


「違いますよ。

 あの干からびた死体の方の話です。


 まだ身許のわからないあれ、此処のご主人かもしれませんよ。


 随分昔に、此処のマダムに恋した城島さんが、ご主人を殺して。


 その死体を納屋で見つけた娘が、あの車に放り込み、人に発見させようとするんです」


「お前、二時間サスペンスの脚本でも書いたらどうだ。

 物凄く長いサブタイトルでもつけて」


「そういえば、程良く、OLさんたちが居ますね。

 あと必要なのは湯けむりですよ」


「そういえば、此処、温泉は出ないのか?

 富士山の近くなのに」


「この付近にあるみたいですよ。

 此処は、ホテルの造りからして、シャワーだけでしょう?


 確か大浴場とはサイトにも書いてなかった気がするし。

 そんなに客室もないようですしね」


 そういえば、私、タンクローリーで運んでくる温泉に入ったことがありますよ、としょうもない話を深鈴は始める。


「かなりエコな感じのホテルで」


 エコといえば、聞こえはいいが、いろんなものが簡略化されたホテルなのだろう。


「フロントで鍵借りて、家族風呂みたいなのに入るんですが、それが実は温泉の湯なんです。


 遠くの温泉からタンクローリーで運ばれてくるみたいで。


 私は楽しかったんですが。

 人に話すと、どんな、なんちゃって温泉だって。


 温泉の素入れてるよりマシですよね」

と笑う深鈴に、


「お前はいつでもなんでも楽しそうだよ」

と溜息をついた。


 樹海を吹き渡る風は、マイナスイオンが含まれているせいか、意外に心地いい。


 それを髪に受けながら深鈴は言った。


「今も楽しいですよ。

 私、探偵事務所の事務員になるのが夢だったんです」


「事務員?」


「そうです。

 先生たちの事件を間近で見ながら、お茶を淹れる。


 そんな感じの日常を送りたかったんですが。


 まさか、自分で推理するはめになるとは思いませんでした」

と言う。


「悪かったな。

 しかし、ミステリー好きなら、そこは探偵になりたいものなんじゃないのか」


「いえ、そこはやはり、ちょっと責任のない立場で楽しみたいと言うか。


 江戸時代なら、茶屋の看板娘になって、同心や岡っ引きから事件の話を聞いていたかったです」


「自分で看板娘とか言うなよ」


 茶屋の人気看板娘ともなれば、浮世絵も刷られ、ほぼ今のアイドルと変わらないくらいの扱いだったらしい。


「先生は、子供の頃から探偵になりたかったんですか?」


「いや、俺はアルセーヌ・ルパンに憧れてたんだ」

と目を閉じ言うと、


「犯罪者じゃないですか」

と言う。


「お前、ルパンを犯罪者とか言うなよーっ」


 深鈴は、あはは、と笑い、

「私は奇巌城が好きですね」

と言った。


 やっぱり、お前も好きなんじゃないかと思った。


 深鈴とこんな話をしているのは楽しい。

 だが、遊びに来たのではなかった。


 と、気を引き締めてみても、推理するのは深鈴だが。


「先生、とりあえず、此処に居る人たち、全員の手を片っぱしから握ってみてはどうでしょう」

と深鈴が言い出す。


「……どんな変質者かと思われるだろ」


「大丈夫です。

 特に女子。


 その普段はあまり役に立たない顔を、今こそ、役立たせるべきです。

 先生はやれば、出来る子ですよ。


 夕食後、さりげなく話しながら、OLさんたちの手でも握れば、イチコロです」


「待て。

 イチコロにするのが目的だったか?


 そんなのさっきの刑事の方が向いてるんじゃないか?」


「あの人が手を握っても、なんにもならないじゃないですか。


 第一、あの刑事さんが全員の手を握って歩いたら、女子たちの間で新たな殺人事件が起きます。


 ミステリー好きの城島さんには、彼が気に入りそうなミステリーの話をしてください。


 さっきみたいに。

 貴方もですか、私もですよーと、そこで握手するんです」


「……もうお前がやれよ」


「だから、私たちがやっても意味ないんですってば」


 さあ、頑張ってください、と背中を叩かれた。





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