事件を混乱させる刑事
警察署の廊下の古びたソファに座った深鈴が言った。
「私、先生と旅するのはもう厭です」
「待て。
俺のせいか? あれ」
「だって、あの死体、手を突き出してきたじゃないですか、先生に向かってっ。
死者がなにか先生に訴えかけたかったんじゃないですか?」
と言い出す。
「たまたまだろうっ。
ってか、お前も、城島さんも手の方角に居ただろうがっ」
「だって、先生が一番近かったじゃないですか。
なにか言いたいことがあるのかもしれませんよ」
先生、手を握ってみてくださいよっ、と呪いを祓いたいかのように深鈴は言う。
「あれ、被害者だろうがっ。
なにもわかんねえよっ。
だいたい、死者がなにか訴えかけてきたりなんかするもんか。
人は死んだら終わりだ」
「……ま、いっそ、潔い考えだとは思いますが。
先生、あんなおかしな力使われておいて、それはないと思いますが」
と深鈴は眉をひそめて見せる。
「俺の力は、お化けと関係ねえだろうが。
手が嘘発見機みたいなもんだ」
手、貸してみろっ、と腕を引っ張ると、
「嫌ですよーっ」
と深鈴は跳ね除ける。
「なんかやましいことでもあるのかっ?」
「ありませんけど!?
そんな宣言されて、手を握りたい人間なんて居るはずないじゃないですか。
もう~っ!」
揉めていたそのとき、階段を下りてきた若い男がこちらに来た。
同性なのに、びくつくくらい綺麗な顔をした男だった。
「初めまして、
すみません。
もう一度、死体発見当時の様子を聞かせてもらえますか?」
先に話を聞かれていたらしい、OLたちは部屋から出てきて、用もないのに、志貴の周りをうろうろしていた。
まだ話を聞いて欲しそうだった。
ありもしない話までし始めそうな勢いだ。
「えーと、渋谷深鈴さん?
お手柄でしたね。
貴女がナンバーを覚えていてくださったお陰で、すぐに車が発見できました。
ありがとうございます」
と志貴が素敵な微笑みを見せると、深鈴は針のむしろに居るような顔で苦笑いしながら、
「あ……ありがとうございます」
と言った。
女たちの視線が怖かったからのようだ。
車は樹海ホテルのものだった。
彼女たちも休暇であのホテルに泊まっていたらしい。
物好きなことだ、と晴比古は思った。
だが、普段、雑踏の中で暮らす人間には、樹海の静けさが落ち着くのかもしれない、と思う。
「車はホテルで借りて、駅前に置いてたんです。
だから、なんにも知らないんです」
女の一人が志貴にそう訴える。
「そうですか。
ありがとうございます」
志貴は何度も聞いたのであろう言葉にも、愛想よく答えていた。
愛想良すぎて、適当に流しているようにしか見えないのだが、女たちはそんなことどうでもいいようだった。
ともかく、志貴に話しかけたいようだった。
ただ、顔が整っているというのではない。
志貴は人を惹きつける不思議な雰囲気を持っていた。
人当たりが良く、普段は精悍な感じなのに、笑うと少し幼く。
そこはかとなく色気がある。
……俺にはないな、と晴比古は思った。
「ホテルの車か。
だから、あんな車だったんですね。
華やかなOLさんたちに相応しくない型の古いセダンでしたもんね」
特に深い意味はなく呟いたのだろう深鈴の言葉に、あら、とOLたちは嬉しそうな顔をする。
華やかな、と志貴の前で褒めてもらったからのようだ。
確かに華やかだ。
だが、かしましい。
死体が転げ落ちたのにも気づかなかったのは、もともと道が良くなくて、車に振動があったせいもあるが。
どうやら、旅に浮かれて、ずっと歌っていたからのようだった。
「本当に、あの死体のことは、全然知りませんから」
と言いかけた女が、ん? という顔をしてから言った。
「あっ、いえ、あの人、何処かで見たことあるかもしれません」
晴比古は小声で言った。
「何処かで見たって……
干からびてたよな、あの死体。
あれで判別できるのか?」
事件のことをなにも知らないと言えば、連絡先だけ訊かれて、志貴とはこれで終わりだと気づいたようだった。
「この女は、この刑事と話ができれば、捕まってもいいのか?」
と言う晴比古のつぶやきを、深鈴は、
「イケメンを捕まえるには、そのくらいのガッツが必要かもしれませんね」
と軽く流す。
どうやら、志貴は、深鈴の好みではないようだった。
思わず、ほっとしてしまう。
「わ、私もそういえば、なにか見たかも」
と別の女も言い出した。
「えっと……っ。
車に近づく人影とか」
「ほんとですか?」
と本気にしているのかしていないのか知らないが、ともかく情報はなんでも欲しいのだろう、志貴が訊いていた。
「誰か見ました。
えーと……」
困った女は、辺りを見回し、晴比古を見、深鈴を見、城島を見た。
「こんな感じの人ですっ」
ええっ? といきなり指差された城島が声を上げる。
「そうです。
見たんですよ。
私たちの車に、どっかのおじさんが近づいてました」
え? そうだっけ?
と他の女が空気を読まずに言って、別の女に足を蹴られていた。
「……おじさんってだけで、一括りか」
と晴比古は呟く。
だが、志貴は、その女にもきちんと応対していた。
「貴女は、何処からそれを見てたんですか?」
「何処……何処って。
何処行ったっけ?」
「何故、自分が何処で見たか思い出せないんだ……」
思わず、大きな声で呟いてしまい、女たちに睨まれる。
深鈴が横で溜息をついていた。
こんな捜査の撹乱がしょっちゅうあるんだろうか。
この刑事も、これはこれで大変そうだな、と思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます