第33話 種明かし

 彼はコーヒーの入ったマグカップを口元へ運び一息つく。薄暗い部屋の中で彼が飲み物を飲む音だけが響いていた。

「さて、どこまで話したんだったかな……ああ、そうだ確かこう言ったんだったね。『君のお父上にはよくしてもらった。だからこそ、君を利用させてもらった』と」

彼が紡いだ言葉は私がここに連れてこられる前、まだ自分の意志でここへ向かっていた電車の中で聞かされたものだった。私は、淡白に「そうですね」と返答する。彼は私の返答を聞いているのか、聞いていないのか、話を続けた。

「君を利用させてもらったのだと言ったね。君のお父上は私に愛娘の就職祝いであるアイチップを任せるほどには、信頼を置いていた。会社を辞める直前だったのもあって頼みやすかったのだろうとは思うが」

「父の部下だったんですか?」

私の問いに彼は「そうだ」と答える。

「その時私は、ある人物への復讐を企てていた」

彼はそういうと、壁に貼られた写真へと哀れむような、懐かしむようなそんな視線を向けた。

「その男は私の友人に酷い仕打ちをしたのだ。あの男がいなければ……いや、今更そんなことを言っても仕方がないのだが……」

怒りの混じった複雑そうな声色だった。

「ともかく。私はその男への復讐を企てていたのだよ。ゆりあちゃんのお父上が私に君のアイチップの制作に関わって欲しいと言ったのはそんな時だった。これは利用できる。すぐにそう思った。そこにお世話になった先輩からの頼みだとか、何度もあったことのある君が使うことになる。なんて考えは、全くなかったと言っていい。ただ純粋に利用できると思った」

罪を告白するように、でも、何一つ自分は間違っていないのだ。というような目をした彼は、淡々と言葉を発する。私は、彼の言葉に相槌一つ打てなかった。

「お父上は、君のアイチップを社内でも秘密裏に行われていた、新型アイチップのベースにしたいという思いがあった。これについては、君はよく知るところだとは思うが。だからこそ、私に尋ねたのだろう? 同型機である『パボ・レアル』にも同じ現象が起こるのかと」

私は無言で頷いた。

「君のアイチップがベースになるのだとしたら、それに組み込んだシステムは、製品版もしくは、モニター版にも組み込まれるということだ。私はこの機を逃すことはできなかった。AIのシステム強化を重点に、様々な新要素を取り入れることを提案した。その一つがVRに対応させることだった」

「何のために?」

私は思わず、問い返した。

「表向きは、アイチップの可能性を広げるため。他社で、開発が進んでいるという噂もあったからね」

彼は、一息ついて「私の意図は、VRによって人々を混乱させることができることを示すため」だと言った。

「どういうことですか?」

「男は言ったのだよ、VRに意味はないと。自分が好きじゃないから、そんな程度の理由で言い切ったのだ。そんなもの何のためになるのかと」

彼は続ける。

「私たちは反論したがそれを聞き入れることはなかった。だからね、VRがユーザーの利益になることを知らせなければいけないと思ったのだ。もちろん、VRだけでは何の意味も持たせられなかった。AIシステムを……いや、AIにリアリティを持たせるには、VRは必須だった。そしてそれらは相互作用でより高い水準のアイチップに導くことができるはずだ。実際、私はそれを利用して君をここまで誘拐した上に、未だに帰れない状況を維持している」

「……じゃあ、他にも可能性があると?」

「そうだね。そうかもしれない。私は暴走したAIがVRモードをどう使うのか見たかったのだけれど、そうはうまくいかないようでね。残念だよ」

私の問いかけに、彼は心底残念そうに、肩を落としながらそう答えた。

「なら、AI吸収システムは……?」

「ああ、あれかい? あれはAIの学習データを引き継ぐことを発展させたのだよ。以前までのAIデータを食べることによって、性格、言葉遣い、振る舞い、趣味趣向などを取り込み血肉とさせることを目的としたシステムになっている。君のピコもそうなっているだろう?」

確かに、あの部屋で最初にあったピコは以前まで使っていた——仕事用に使っている——AIの振る舞いとほぼ同じだった。時折垣間見えるピコが違和感を感じるほどに、逆転していたが。

「どうだい、あれは。いいシステムだろう?」

彼は私に問いかける。

「どうだか。そもそも、普段はピコが強いし、以前のAIが優勢になるのはあの部屋の中だけですから」

「……そうなのか?」

驚いた様子で問いかける彼に私は無言で頷く。

「それは……あまりうまくいかなかったのだね……」

哀れむような声色で彼はそう言った。その声色にどこか違和感を感じた。

「想定していたものとは違うということですか」

「そうだね、そうなるよ……ということは失敗したのか」

「失敗……かもしれませんが、私のアイチップは以前のAIに切り替えることはできません。そういう意味では成功しているのでは」

あまりに落ち込んだその様子に、フォローを入れてしまった。だが。

「失敗? そんなはずはないし、君に心配されるほど落ちぶれちゃいない」

静かだが、確かに怒気をはらんだ声色でそう言った。目があった彼の瞳には確かに怒りの色が浮かんでいた。

「すみません、余計なことを言いました」

思わず、怯んでしまう。何をされるかわからない。そんな恐怖がよぎった。

「いや、いいんだ。子供みたいなものだから、ついムキになってしまった」

そう言った彼の瞳には先ほど浮かんでいた怒りの色は消え、穏やかさを抱いていた。私は、その変わりように驚き、思わず体を強張らせた。

「それで、何の話だったかな……」

思い出そうと目をキョロキョロとさせる。

「VRに対応させるのが目的だったとか、そういう話を……」

恐る恐る、助け舟を出す。

「ああ、そうだったね。もちろん、それ以外にもあるんだよ。ピコは君の知っての通り、優秀なサポートAIだ。感情表現はより豊かだし、以前までの『エピ・ドート』のAIには考えられないほどの初期モーションの豊かさ。もちろん、端末自体の視界・音声認識の精度も以前と比べ物にならないほど上がっているから、本当の意味で自分専用のアシスタントと常時一緒にいる状態を作り上げられている……はずなんだが、どうだい」

彼は、語尾を下げながら、そう言い、不安げな視線を私に向けた。

「そうですね。より人間らしくなっているとは思いますし、レンさんのおっしゃる通りに動いてくれてますよ」

「そうか、それは良かった。実はね、ピコや『パボ・レアル』と同程度の処理能力を持ったAIはここにたどり着けるように仕込んであるんだよ」

「ここにたどり着けるように……?」

「すまない、嬉しくてつい話し過ぎてしまった。忘れてくれると嬉しい」

彼は目を泳がせながら、そう言った。私は、再び怒らせるのも怖く「わかりました」と返事をした。彼はそんな私に「ありがとう」と言った。

「ああ、それとね長々とシステムについて話したのだけれどね。君をここに連れてきたからにはもう一つ話しておかなければいけないことがあるのだよ」

コーヒーを口に運びながら彼は続けた。

「もう一つ?」

「そう。まさか君も、こんな解説をされるために連れてこられたなんて思っていないだろう?」

図星を突かれた彼の言葉に「それは、そうですが」と答える。

「良かった。なら、あと一つ話しておこう。今、世間を騒がしているリンクがあるだろう?」

「はい」

「あれの発信源の一つは、君だよ」

マグカップを持ち上げようとしていた私の手は、動きを止めた。

「はい?」

思わず、聞き返す。


「だからね、謎のアドレスの発信元、最初のインフルエンサーで最初の感染者は、ゆりあちゃん、君なのだよ」


衝撃だった。可能性として考えたことがなかったと言えば嘘になるが……。

「だけど、それは……本当に、もしかしたら程度の可能性だと……」

私は思わず、口に出して呟く。

「もしかしたら? おかしいと思わなかったのかい? 誰よりも早く症状が出ていた君なら、同じ症状だと。知らないところで全く同じ症状が出ていることに」

「それは……」

「思ってはいたのだね。信じたくなかったというところか……」

彼はそう呟いた。私は、全身から血の気が引くのを感じた。

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