第32話 二人

 「誰からの電話だい?」

向かい合わせに座った彼が私に問いかける。青いラインのガイドに沿って、住宅街を歩いた先、最初に送られてきたマップの目的地にあったマンションの一室。そこにいたのが、目の前に座る彼だった。肩ほどまで伸びた髪を後ろで一つにまとめ、細い黒ぶちのメガネをかけている。彼はTシャツに半ズボンといったラフな姿でインターホンを押した私を出迎えた。

「誰だっていいじゃないですか」

「よく連絡を取っていた彼かい?」

「答えません。もしかして、私のアイチップを覗き見ていたんですか?」

「いや、感染した同型のアイチップ同士のやりとりは、こちらでも把握できるだけだよ。さすがに内容まではわからないがね」

彼は私の問いにそう答えた。ここにっ誘拐されて今日で2日目。

「それで、私を誘拐した目的って何なんですか?」

何度目かわからない質問をする。

「目的? 特にないよ。強いていなら、ゆりあちゃんと話がしたかったってとこかな」

「私と?」

私に対する呼称は気にしないことにした。

「ああ。ゆりあちゃんは私が誰だか思い出したかね?」

この呼称が何らかの手がかりなのだろうとは思うが、家族ぐるみで付き合いのあった両親の友人は私のことを皆一様に、同じ呼称をするものだから、父親と親しかった人物だということぐらいしか見当がついていない。

「わかりません」

「そうか、それは残念だね」

「残念?」

彼の言葉を繰り返すように問い返した。

「ああ。何度も会ってるし、それを作ったのも私だ。なのに、思い出してもらえないのは悲しいじゃないか」

何度も会ってる……。最初の想定は正しかった。それだけが補強されていく。だけど、このアイチップの作成に関わった上に、システムの設計者ならその名前を父から聞いていてもおかしくはないはず。なのにどうして思い出せないのか。少なくとも、向こうは私のことを忘れてはいないのだから、定期的には会っていたのではないだろうか。

「……そうなんですね。きっと、あなたの言葉に嘘はないんだと思います。ですが、どうしてもあなたのことを思い出せません」

私がそう答えると彼は少し悲しそうな顔をして、壁に貼られた大きな写真に顔を向け、「そうだね」と言った。AIと話しているのだろうか。

「まあ、この際思い出してくれなくてもいいのかもしれないけれど」

目の前の彼は、少し悲しそうな声色でそう言った。思い出せないことが、申し訳なく感じられる。彼は、「飲み物でも入れようか」と言って立ち上がった。この隙に帰ってしまえたらいいのだが、視界は今でもVRモードのまま。無事に家まで帰れる保証はなかった。

『VRモードは解除できません』

「わかってる」

『なら良かったです。そういえば、主様とお会いした感想をお伺いしても?』

「感想?」

『はい』

「少し、怖い。けど……どこか悲しい人のような感じがする」

『悲しい人、ですか』

「うん」

ピコは私の返答に『興味深いですね』とコーヒーを口元に運びながら答えた。それにしても、飲食に関して何不自由なく過ごせているのだから、このアイチップの視界認識からのVR変換は相当なものなんじゃないだろうか。アイチップの開発に関わる一人として、素直にすごいと感じた。ただ、高すぎる技術は犯罪にも応用できるというのを身を以て知ってしまったのが、何ともいえないのだが。

「ピコはあの人が誰か知ってるの?」

『名前ですか?』

「うん」

『もちろんです。主様というのは設定された呼称にすぎませんから』

「そっか」

『ご存知だとは思いますが、オーダーアイチップ……特にフルオーダーの物は製作関係者の著作権保護のため、スタッフ名が全て記録されております』

「それを閲覧することは?」

『特定の手続きを踏めば可能です。ですが、現在はVRモードの維持が最優先項目に設定されているため、その手続きをとることはできません』

「ですよね」

『それに』

「それに?」

ピコの言葉をおうむ返しする。

『クイズの答えを見るのはどうかと』

「クイズね……」

ピコはある意味で、納得できる返答をした。クイズ、そんなつもりで私を誘拐した彼は、私に問い続けてるのだろうか。

「ピコとお話しかい?」

「そうですが、何か問題でも?」

「ないよ。どうせ私のことは話せないはずだからね」

「そうですね。何も教えてくれませんでした。その代わり、あなたと会った感想が聞きたいと言われましたが」

「私と会った感想……面白いことを聞くんだね、ゆりあちゃんのAIは」

「そうですか? あなたが聞かせたんじゃないんですか?」

「私はAIの対応一つ一つを操作できるわけじゃないよ。それに、今はコーヒー入れて入れていたしね」

私の目の前にコーヒーを置いた彼は、自分は潔白だとでも言いたいように見えた。

「そうですか。私からもあなたに質問してもいいですか?」

「ダメだと言った覚えはないけどね」

「……それもそうですね。私の想像では、あなたは私の父の知り合いだと思うんです」

私の言葉に彼は「ほう」と言って、少し感心したような目を向けた。

「それでですね、あなたが私の父をなんと呼んでいるのか、教えてもらえませんか」

彼は「それで思い出せるのかい?」と私に問いかけた。私はその問いに頷く。少しの間。彼はため息をつくと、

「なら、仕方ないね。ヒントをあげよう。私はゆりあちゃんのお父上のことを『先輩』と呼んでいたよ。何せ、長い付き合いだったからね」

先輩……。父のことを先輩と呼んでいた人々が脳裏に浮かんでは消えていく。その中でアイチップに関係する仕事に就いていた人物を探す。残ったのは二人。一人はアイチップのコーディネーター、もう一人はAIの開発関係……。答えは明確だった。

「さて、わかったかい? それとも、もう少し、ヒントが必要かな?」

目の前に座る彼は少し面白がっているような声色で私にそう言った。

「ヒントはもういらないです。ただ、何が話したくて私をここに連れてきたのか教えてください。レンさん」

彼の余裕のあった表情は一瞬、驚いたように目を開け、少し上ずった声色で「そうだね、仕方ない」と答えた。

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