第26話 侵食/鳶 礼斗

 他人事の域を抜け出ていないはず……だった。そんな油断からか、ゆりあさんから届いたアドレスを開いてしまったのだ。何も考えず、いつものように。届いたメールに書かれていたのは、おそらく噂になっているのであろうアドレスだけだった。

『今開いたのって……』

ピコが青ざめた表情でそう言った。

「やらかしたよな……」

『そう、ですね。今の所私に何らかの異常が起きているわけでもありませんが、最悪の場合、初期化の後、昨日取ったバックアップデータを再インストールしてください』

ピコが珍しく深刻そうに発言する。俺は、「わかった」と返事をすると、送られてきたアドレスを検索にかけた。注意喚起のためか無意識かはわからないが、かなりの数のインターネット上への書き込みが見つかった。

 それが、一週間と3日前。今のところ、ピコにもアイチップにも異常はないのだが、これからもないとは限らないし、知らない間に俺もリンクを送っているかもしれない。一応、よく連絡を取ってる友人たちには注意しておいたし、大丈夫だとは思うのだが。突然ピコが表示される。

『こんにちはー! 礼斗さん何かご用ですかー?』

「いや、呼んでないけど」

『えー! 嘘だぁ。私呼ばれましたよー?』

「呼んでないって」

『えー。じゃあ、帰りますー』

ピコは不満そうに頰を膨らませ、視界から消えた。ピコのあの言い方だと、俺がピコに出てくるように指示したということなのだろうが、そんな覚えは全くない。これが、ゆりあさんの言ってたAIが言うことを聞かないと言う状況なのだろうか。いや、判断するには早計だろう。まだそこまで深刻な症状が出たわけではない。もう少し様子を見た方がいい。暗くなった窓の外を見る。刹那、目が赤く光ったような気がした。次の瞬間にはいつも通りの発光に戻っていた目に、「気のせいか」と小さく呟き、カーテンを閉めた。

 『礼斗さん! こんなの見つけました!』

そう言ってピコがブラウザを引っ張り出してきた。そこに表示されていたのは、AI乗っ取り被害者の会なるスレッドだった。なんだかんだもう10個目らしい。

「なにこれ」

『AI乗っ取り被害者の会らしいですよ! 礼斗さんが開いたあのリンクについてのスレッドみたいなので、何かの参考になればと表示しました!』

……指示しようがしまいが勝手に出てくるし、勝手にこういうことするし、あんまり影響ないんじゃないか。

「ピコ、最近前にも増して自由になってないか」

『えー? そうですかー? そんなことないと思いますけどー』

これは、自覚あるな。わざとらしい声でそう言い放ったピコに確信を持つ。

『そんなこと言うなら、これは見ないんですねー? 消しちゃっていいんですねー?』

「見ないとは言ってないだろ。消すな」

『はいはい。全く、礼斗さんは素直じゃないんですから』

何故、呆れられないといけないのか。俺は、ピコが表示したブラウザを黙読する。そこはピコの言う通り、リンクをクリックしてしまった人たちが愚痴であったり、症状なんかをとりとめもなく話しているだけのようだった。俺は過去のスレッドを開き、ゆりあさんと同じ症状もしくは「パボ・レアル」のモニターの書き込みがないかを調べた。

 その最中の出来事だった。視界が真っ黒に染まったのだ。先ほどまで開いていたブラウザの面影はなく、ピコの姿も見えない。

「ピコを表示」

『その命令は実行できません』

ピコに似た、それでいて冷たさを装った声で誰かがそう答えた。

「なぜ」

『その質問に回答することはできません』

「どうして答えられないの?」

『私は、その権限を所有していません』

文字通り答えられないってことか。実行できないのも権限の問題だろう。しかし、この状態ではなにもできない。確かにこれは怖いな。何か起こってもなにも対処できないわけだし。少しでも、原因がわかるといいんだけど……。

「視界を元に戻して」

『できません』

「なら、この状況はどう言うことか教えて」

『……ただいまアップデートパッチをダウンロードしている状態です。ダウンロード終了後自動的にインストールされますが、視界はそのままの状態となります。ご注意ください』

「視界を戻す方法は?」

『ありません』

ピコであって、ピコでないのだろう。冷たく言い切った声を聞いてそう思う。

「ない?」

『はい。ありません』

「インストール後再起動できる?」

『不可能です』

不可能か。なら、アイチップを外すしかないのだが……。俺はしばらく悩んだ後、手探りでアイチップを外すことにした。アイチップは取り外すことで自動的に電源が切れる。それを利用して再起動をするしかないと考えたのだ。

 それから、数分後無事再起動に成功した。

「ピコ」

『はいはーい! 何でしょうか!』

返事をしながら現れたのは、いつも通りのピコであった。

「ゆりなさんについて書いたデータ出して」

『了解です!』

視界に表示されたそれと見比べながら、ノートに今起こったことをまとめていく。

『何かわかったんですかー?』

「ピコはいつも通りの方が可愛い」

『はわっ! どうしたんですか!』

顔をにやけさせながら驚いている。嬉しいのか、くるくると回りながら。個人の趣味の問題かもしれないが、やはり無邪気にはしゃぐピコの方がいい。慣れもあるだろうが。

『視界が黒く……ですか』

「そっちは何か異常なかったのか?」

『特には。あ、非表示にされたぐらいですかね』

「そうか」

『で、私に似たAIの声ですか』

「ああ」

『かっこよかったですか?』

「ピコよりもいくらか大人っぽかった」

『ふむー。つまりは、礼斗さんは子供っぽい方がお好みだと言うことですね』

「別にそう言うわけでは……」

『隠さなくてもいいんですよー』

「隠してない」

あの声はやはりピコではないようだった。ピコに似ていたのは他の性別に当てられた声だったからだろう。しかし、一体何をアップデートしたのだろうか。通常のアップデートなら、承諾するかどうかの文章が表示されるはずだし、ああいう状態になるなら、注意喚起がAIからあってもいい。何かしらの異常だろうけど、インストールされちゃったんだろうし、他に影響が出てからでいいか。

「初期化できなかったらどうするかなぁ……」

『初期化は大丈夫だと思いますよ、今のところ』

「そうか」

『初期化されますか?』

「いや、しない」

『了解ですー!』

視界がブラックアウトした原因はおそらくAIが言っていたことで間違い無いだろう。俺は、先ほどまで見ていたブラウザを再び表示させ読み始めた。

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