第17話 鴇ゆりあ(2)

 「何のようかね」

私を一瞥すると不機嫌そうに、そう言った。目の前でパソコンに向かっている、中年太りの男性。メガネに反射するモニター画面は、とても仕事とは思えないゲームの様子だった。と言うか、アイチップつけてないんだ……あ、視力矯正系じゃ無いのかな。光ってないし……。

「はい。先ほど送信させていただいたメールにも書かせていただいたのですが、AIの挙動がおかしくなったというモニターレポートが届きました。その件で報告と、大友主任の意見を伺うようにとの指示で伺いました」

「メール? そんなもの届いていないが」

開発部の空気に変な緊張感が走る。威圧的な彼の言葉に心が折れそうになる。

「いえ、確かに送信いたしました。まだ届いて居ないようでしたら、直接のご報告となりますが、話をさせていただきます」

「それは、メールで済む話ではないのかね」

空気が凍った。ピシッと音を立てた気がした。ジロリとこちらの心臓を射抜くような鋭い視線が送られる。背後でアイコンタクトによる会話が行われているような気がする。

「報告自体はメールで済ませられます。現に、私はそのような文面で送信させていただきました」

「なら、後でよんどくよ。お疲れ様」

誰かが発言しようとしては牽制されている。そんな気配を感じていた……というより、何度か椅子をひいては戻す音が聞こえている。

「いいえ、話を聞いていただきます。先ほど話ましたように、私は大友主任に話を聞いていただき、意見を伺ってくるようにとの指示を受けております。ここで、引き下がるわけにはまいりません」

「……いや、いいよ後でメール送るから」

私の背後を睨みつけながら大友主任はそう言った。

「本当に送っていただけるのでしたら、先輩はメールでいいと仰るはずです。私もそのように提案いたしましたが、直接伺うようにとのことでした」

「意見など私に求めなくとも、そっちで勝手にすればいいだろう」

面倒だ。さっさと帰れ。言外に含まれた言葉に気づかないほど私も鈍感では無いし、すでに帰れるものならデスクに戻って、先輩に慰めて欲しい。だが、ここで帰ったら、怒られるだけなのだ。冷たくあしらわれ、怒られ、またここへ来ることになる……それだけは、いや! 何としても、話を聞いて、意見をもらって帰らなくてはいけない。

「いえ、それではモニターの方々を不確かな情報で混乱させることとなります。その上、それが企業への不信感へと繋がると思われます」

諦めて、大友主任への不敬も承知で反論することにした。

「不信感? この程度で不信感を生むかね」

「産みます」

「ほう。何を根拠に断言するのかな。君は今年入ったばかりの新人じゃないか。何がわかるっていうんだ」

今ほど、広報に配属されてよかったと思うことはない。この主任の元で仕事はしたくない!

「確かに、私は本年度入社したばかりで先輩の手伝いや雑務しか仕事をして居ないかもしれませんが、その分、この会社の先輩方と比べると誰よりもユーザーに近い目線を持っていると考えております。大友主任のように、何年も務められ、ユーザーやメディアと直接関わる機会の少ない方にはわからないかもしれませんが、重大だと思われることに関しての初動について、ユーザーは敏感です」

「例えば?」

……そうきたか。きっとこれが最後。ここで負けなければ話を聞いてもらえる。……はず。

「例えですか……そうですね、大友主任がご家族と外食をされたとしましょう。出された料理に、袋の一部のようなビニール片が入って居ます。これに気がついた主任は、ホールスタッフに苦情を入れました。その時に店員は謝罪の言葉だけを告げ通常業務に戻りました。取り替えることもキッチンへの報告なしに業務を続けている状態です。主任がこれを問題だと思わないのでしたら、私は一方的に話すだけ話して、メールをお待ちいたしますが、如何でしょう」

「……………」

気まずい沈黙が流れる。言い過ぎただろうか、怒られるのだろうか。後ろで開発部の社員がハラハラしているのが伝わって来る。

「話だけ聞こう。何か言えるかはそれからだ」

これまで重かった空気が一気に軽くなるのを感じた。

「ありがとうございます!」

私は、そう大友主任にお礼を言うと報告した。

「それで、このメールのリンクがそれか」

「はい! あ、メール届いたんですね! よかったです!」

笑顔で答えると、大友主任は至極不満そうな表情で「さっきな」と言った。背後からは、男性社員の「おお……」という感嘆の声が聞こえる。そんなにすごいことなのかな? よくわからないけど。

「ウィルスの類だろう。ただ、原因の究明とこの正体を突き止めるには時間がかかるだろうから、そっちでなんか文章考えて公表しといて。詳しくわかったらメールする」

大友主任は持ってきたモニターレポートとメールのリンクを幾度か見比べながらそう言った。私は「お忙しい中、ありがとうございました」と礼を言うと、開発部を後にした。

「お疲れ様」

背中をポンと軽く叩かれ、そう言葉をかけられる。振り返ると、男性社員が立っていた。

「お疲れ様です。どうかなさいましたか?」

「いや、あの大友主任相手にあそこまで食い下がったの、君が初めてだからすごいなと思って。怖かっただろ」

「あ、開発部の方ですか! モニター説明会の時は優しいおじさんと言う印象だったので、びっくりしました。でも、話聞いていただけたのでよかったです」

私がそう言うと、男性社員は「あの人、外面とか自分より権力ありそうな人には、優しい人に見せるから。俺、就活中それに騙された」と肩をすくめながら言った。男性社員は一瞬開発部の方向を向くと、「それじゃあ、また」と言って、戻っていった。

 自分の席に座ると、こちらに気づいた先輩が声をかけてくれた。

「おかえり! 怖かったでしょ! お疲れ様!」

先輩の笑顔と労いの言葉に思わず泣きそうになる。

「怖かったです……。でも、なんとか話を聞いてもらえました」

「ゆりちゃんならいけると思ったんだよね! よかった。モニターの方々に送る文章、考えてみる? もちろん添削するし」

「やってみます!」

先輩にそう答えると、早速文章の作成に取り掛かった。

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