第2話 ピコ/セットアップ(1)
帰宅後、部屋に入るなり「パボ・レアル」を装着した。その名前の通り孔雀の羽の色である、ピーコックブルーに視界が染まる。起動に伴って視界が中央から徐々に開けていく。エピドートの特徴的な、四角いフォントで起動完了が知らされた。部屋の窓から見える街並みに重なるように、初期登録のアナウンスが現れる。
『初めまして。私は、「パボ・レアル」初期AIピコです。これからよろしくお願いいたします』
「よろしく」
『はい。性別の選択ができますが、どうされますか』
いくつかの性別が表示される。その中で、俺は女性を選択した。
『はーい! では、これから私が対応いたします!』
明るい女性という印象だった。おそらく、性別によって少しずつ性格が違うのだろう。これも、メーカーによって差がありアイチップ選びの一つのポイントにもなっていたりする。
『それでは早速ですが、セットアップ登録を開始いたします。質問です。私を視界に表示させますか?』
「表示させる」
迷わず答えた。ポンッと、煙のエフェクトと共に10cmほどの大きさで視界の下部に表示された、ピコのモデルは10代後半だと思われる。ピーコックブルーのショートヘアにラフなTシャツ、裾の広いハーフパンツを身につけている。
『ありがとうございます!』
ピコは嬉しそうにくるくると回っている。
『あ、それではセットアップ画面を表示しますね! えいっ』
彼女は右端に移動すると、右側に手を伸ばし、セットアップ用の画面を中央に向かって引っ張り出すように投げた。最初に表示されたのはインターネットへの接続番号とパスワード、セキュリティシステム情報の入力だった。
『こちらは、通信会社より発行されている固有番号カード及びセキュリティシステムのシリアルナンバーを視界認識できます』
携帯キャリア各社は、アイチップ用にデータ通信のみのプランを発売しており、多くの人がそれを利用している。俺が今まで使用していたアイチップでは、それらに関わる、固有番号——携帯番号のようなもの——の手動での入力が必須であった。いつの間にやら、視界認識できるようになっていたらしい。これは、大文字小文字の違いで接続できないだとか、滑舌が悪いために、 アルファベット複数文字入力されるなどの手間が省けていい。
「視界認識の方法を教えて」
『カードを机などの平らな場所に置いていただき、視界認識と入力ください。現在表示中のセットアップ画面が、視界認識用に視界の中央部の透明度を100%に切り替えます。その後、カードが視界中央部に収まるように瞬きしてください』
「わかった。一時的にセットアップ画面の透明度を60%に」
『了解です!』
カードを机の引き出しから取り出すために、指示を出す。AIの元気な返事とともに、視界のほとんどを遮っていたセットアップ画面が薄くなり、俺の部屋が透けて見える。机の上にカードを置くと視界認識を試した。数字を認識する緑色の枠が表示されたのち、読み取った番号が数字の上に表示され、確認できるようになっている。
「一致確認」
『了解です! それでは、接続を行います』
そう言うと、ピコがタブレットを操作するモーションに切り替わる。やっぱり、AIを表示させる醍醐味はここだと思う。無機質な砂時計や丸ではなく、表情豊かなAIが一生懸命自分のために働いてくれている。その特別感がなんとなく、俺にとってはとても嬉しく思うのだ。もちろん、AIのそういったコミュニケーションモーションが不要だと言う人もいる。
『……接続完了です! それでは、名前と生年月日、個人番号の登録をお願いします。こちらは、本人確認のため、個人番号カードの画像データと手動での入力が必要になります』
「キーボードの接続はできる?」
『はい! もちろん可能です! キーボードの接続番号をお願いします』
「Ax-708-918-vT」
『検索中です、少々お待ちください! ……照合完了しました。入力方法を一時的にキーボードに切り替えます』
「ありがとう」
視界の上端にキーボードのアイコンが表示される。俺は、表示されていく順に個人登録を済ませた。
『ありがとうございます。照合いたします』
明るく丁寧な対応。初期状態のAIとしては、いささかキャラクターが濃い気がするが……。
『照合完了しました。では続いて電子メールをはじめとする、使用アカウント の登録をお願いいたします。オススメは、以前まで使用されていたアイチップのバックアップがあるクラウドのアカウントです。そこから、各種アカウント情報を自動登録できます』
「のアカウント入力」
『ですね! わかりましたー』
表示されていた、いくつかの主要クラウドから自身のバックアップデータのあるクラウドを選択する。見慣れたシンプルなアイコンが出てきた。しかし、このAI時々、軽く受け流すのは如何なものなのだろうか。
『接続完了しました。バックアップデータをインストールしますか?』
ピコが俺の顔を覗き込むような仕草をとる。
「ああ」
『承知しました! ダウンロードに数十分、インストールには数十分から1時間程度かかります。その間、こちらのセットアップ画面はバックグラウンドに移行し、視界中央上端にパーセンテージとアイコンで進行状況を常時表示いたします。よろしいですか』
おそらく、気になって仕方ない人に向けた配慮だろう。二時間も視界が塞がれてしまっては、寝る以外にできることもなくなる。そのため、バックグラウンドでのダウンロード及びインストールなのだ。従来品では、画面の端に小さなウィンドウで表示されていたから、視界上端にシンプルに表示されると言うのは、かなり助かる。
「もちろん」
『では、ダウンロードを開始いたします。ちなみに約二時間の間、「パボ・レアル」のチュートリアルを実行することができますがどうされますか』
「いらない。君と話はできる?」
『そうですか。はい! 私は鳶様に非表示を選択されない限りこうして視界上でやりとりすることが可能です!』
少し、しょんぼりとしたのち、満面の笑みを浮かべてくるくると回り出す。どうやら、このAIは嬉しいことがあれば回るらしい。
「誕生日はいつ?」
『私の誕生日は、鳶様が初めて使用した日に設定されます。つまり、今日ですね!』
そう言って、クラッカーを表示させる。
「パーティとか好きでしょ」
『あ、バレました? 実は私、「パボ・レアル」の初期AIの中で、一番お祭り好きなんですよ』
舌を出しながら、いたずらっ子のような表情でそう言う。しかし、こうも小さいと表情が読み取りづらい。テキストをもう少し大きく、彼女をせめて3倍に表示できないものか。
「ピコって拡大できる?」
『できますよー。セットアップ画面があったので、このサイズでしたが、ピンチアウトピンチインで拡大縮小が可能です。テキスト部分の変更がご希望でしたら、テキスト部分のみを、テキストと私の比率維持でしたら両方入るサイズでピンチアウト、インで操作してください』
なるほど。つまり、指の範囲が選択範囲ということか。俺はまず、彼女を大きくすることにした。
『あ! そんなに私のことじっくり見たかったですか?』
嬉しそうにいうが、やはり些か、主張が激しい。テキストを彼女とバランスを取るようにサイズ調整する。
『おお! お気に入りの比率があるんですね! 登録しておきますか?』
「頼む」
『了解です!』
嬉しそうに、メモ帳を取り出すとそこに書き留めていた。このモーションは独特な気がする。今まで、AI関連データを登録する時は無機質な吹き出しが出るだけだったのだが、これは面白い。
『いいですねー、その反応! 何せ「パボ・レアル」は新型ですから、こういう細かいところもこだわってるんですよ。この比率、名前つけますか?』
「名前は2と。先ほどの比率はオリジナルか?」
『2ですね、番号でつけるタイプの方なんですね! そうです! さっきまでの比率は、”AIオリジナル”で引き出せます』
「ピコなら、なんて名前つけた?」
『私ですか? んー……そうですね、初めて記念日とか? あ、微妙な反応ですね。じゃあ、おしゃべり用とかですかね。私はシュチュエーション登録型ですから』
「なるほど」
AIによって自動登録の癖があり、パソコンなどでよくある「名称未設定」を量産するAIもいれば、数字で自動振り分け、内容データから適当につけるタイプ、ピコのようにシュチュエーションや日時でファイル名を自動登録するタイプなど様々だ。俺は、なぜかシュチュエーション型AIを登録することが多いが。友人は、名称未設定型を使っている。ファイル名を入れ忘れて、課題がどこに行ったかわからないとよくぼやいている。業務用アイチップではそれぞれの業種に会った登録型が使用されているらしい。
『鳶様は、シュチュエーション登録型のAIは初めてですか?』
「いや。前もそうだった」
『そうですか。では、シュチュエーション登録型についての説明は不要ですね』
「ああ」
どこか機械的な返答。初期AIは特にシステム的な対応が多くなる。インターネットの閲覧やアプリケーションのインストール傾向などから、対応が個々人にあったものに変化していく。それまでは、こうして地道に会話をするしかないのだ。暇つぶしにもなっていいのだが。
『そういえば、キーボードは接続中ですがよろしいでしょうか。接続を解除しても“キーボード“で再接続可能です。』
「バックアップインストール後、手入力が必要な項目は?」
『ありません』
「なら、接続解除して」
『了解です!』
「バックアップしてある以前のAIデータはどうなる?」
『環境設定のAIの項目から切り替えが可能です。個人的には、私をずっと使ってくれると嬉しいですが』
「そうか」
頰をわずかに染めながらそういう。最新のAIらしく細かいところまで表現豊かで話していて楽しい。と、視界上部にダウンロード終了の旨が通知される。
『ダウンロードが終わりましたね! このペースですと、インストールは30分程度で終了できると思います』
「ありがとう」
俺はピコにそう告げると、アイチップの色を確認しに洗面所へと向かった。モニター用のアイチップは、発光色が製品版と違うという噂を聞いていたからだ。どうせなら、今の内に確かめておきたい。
『もしかして、発光確認ですか?』
「視界認識システムか……」
『あ、もしかして余計なこと言っちゃいました?』
そう言って、眉尻を下げてこちらを見た。俺は、「そんなことない」と彼女に答える。しかし、歩きながら彼女を表示させていると、彼女が宙に浮いているように見え、いま見えているものが虚像であると実感させられる。一階にある洗面所で鏡に向かう。……そこに映っているのは、ただコンタクトをつけただけのような瞳だった。
『発光させますか?』
「発光、きれるのか」
『はい! それが、この「パボ・レアル」の目玉の一つ! ナチュラルアイをアピールできるのです!』
「誰にアピールするんだよ……」
『彼女とか?』
「…………」
『あ、すみません。えっと……とりあえず、発光させますね!』
AIに気を使われてしまった。彼女がいないことはAIにまで気を使われることなのか……。鏡を見ていると、「パボ・レアル」の発光が始まった。
『えーっと。見ていただいたらわかるように、「パボ・レアル」全体を通して、共通カラーを用いています。モニターテストの後、売れ行きなどを加味してカラーバリエーションを増やすことも検討中です』
彼女は、メガネをかけ台本のようなものを読み上げている。なるほど。モニター用アイチップの発色が違うというのは、正式に製品化される前に手直しが入る可能性もあるからか。
『ちなみに、ちなみに! 発光を切ることで、カラーコンタクトとしての使用も可能です!』
嬉しそうに台本を読む。彼女が女性だから、その目線でコメントされるようになっているのか。これは、女心を学ぶ一端になるかもしれない。学んだところで、それを使う機会になど恵まれそうもないが。俺は、部屋に戻ると今日貰った資料を広げた。その中に、スマートフォンと一枚の名刺が入っていることに気づく。
『すごい量ですねー。あ、ちなみにその説明書の中に各性別の性格とか書いてありますよ、鳶様は読まなかったみたいですけど』
嫌味のように言われてしまった。確かに、説明書を開いて注意事項の次のページから数ページに渡って、初期AIの性格や登録名の分類などが記されていた。パラパラと読んでいたが、おそらく俺はこれを見た上ででも彼女を選んでいただろう。なんとなく、そう感じた。分厚い説明書を読む気もせず、注意事項だけに目を通す。
『インストールが終了しました。再起動しますがよろしいですか?』
機会的なアナウンス。
「ああ」
俺はそれに承諾した。視界に居たピコが消え、ディスプレイのない視界が広がる。 この状態に切り替えもできるのだろうか。ピコと話すことに疲れている自分がいることに気がついた。ぼーっとしているうちに、インストールの仕上げを兼ねた再起動が終わって居た。AIの設定画面が出る。今までの子とは前のアイチップを使用すれば、会える。そう思い、先ほどまで話して居た彼女を選択した。
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