第1章 出会いと始まり

第1話 パボ・レアル

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 いよいよだ。ここまで長かった。

 彼女には申し訳ないが、「我が子」のためだ。

 今夜は始まりを祝して、久しぶりに酒でも飲み交わそうじゃないか。


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 目の前に広がる光景に思わず面食らう。光を反射するほど綺麗な床。太陽光を取り込むための壁面の窓。窓に沿うように置かれた幾つかのソファ。そこに座り資料やタブレットを確認する人やスーツ姿で行き交う人。商談を終えたのか、満足気な表情で出入り口に向かって歩いている人。そこは正に、大企業のロビーという感じで。ドラマなんかの舞台になっていそうな、そんな雰囲気を纏っていた。

「スーツとか着てくるべきだったかな……」

  普段着で着たことに若干の後悔を覚えつつ、受付で一ヶ月前に届いたハガキを提示した。

「あ、モニターの方ですね。当ビル内では、こちらを常に首から下げていただきますようお願いいたします。説明会の会場は14階にある会議室Aとなっております。あちらの通路奥にございますエレベーターから14階までお上りください」

 受付の人の丁寧な仕草で渡された、「新型アイチップモニター」と書かれた紙の入った名札を首から下げ、説明された通りに14階にあるという会議室を目指す。しかし、会議室ということは其処まで広くない場所なのだろうか。若干緊張しながらも、「説明会場」と書かれた紙の貼られた扉を引く。

「こんにちは。こちらで案内のハガキと資料の交換を行なっております」

 セミロングの黒髪に可愛らしい顔の女性社員に声をかけられる。俺は、ポケットからハガキを取り出すと彼女に渡した。彼女は名簿と照らし合わせ、俺の名前の欄に線を引くと、奥から資料の入っているであろう紙袋を持って来た。

とび様の資料はこちらになります。空いてる席で時間までお待ちください」

「ありがとうございます」

 俺は紙袋を受け取ると、会場の真ん中あたりの空いた席に座る。想像していたよりも多いのだろうか。会場内には20脚ほどの椅子が用意されていた。アイチップに表示していた時間を確認する。

「まだ、少しあるな。資料でも見て待ってるか……」

 紙袋から一番薄い資料を取り出す。どうやら、会社説明のパンフレットのようだった。アイチップメーカー、「エピドート」は10年ほど前、業務用新型端末として華々しく世の中にデビューしたアイチップ。専門的な現場で試験的に取り入れられ、その有用性から政府主導によるアイチップの研究・開発が行われて来た。この会社では、その頃からアイチップ本体やアプリケーションの開発に着手していたらしい。

「それでは、時間になりましたので、説明会を始めさせていただきます」

 そう言って、出て来た女性は、パンツスーツ姿に髪を後ろで縛っており、芯 の強そうな女性という印象を受けた。どうやら彼女はこの新型アイチップの広報担当らしい。

「まず、資料の確認からさせていただきます。モニター説明会配布資料と書かれた用紙をご用意ください」

 そうして、新型アイチップ「パボ・レアル」の説明会が始まった。

「このように、スマートフォンとアイチップのシェアが逆転し始めた、2年前より弊社では、複合現実対応型のアイチップを開発して参りました。本日より皆様にお試しいただくのは、この複合現実対応型のアイチップとなります。業界内では既に発売されている他メーカー様もいらっしゃいますので、ご利用になられている方はぜひそちらとの違いをレポートしていただけると、良いかと思います」

 確かに、現行の複合現実対応の端末はアイチップとの相性が悪くアイチップの対応が望まれている。「パボ・レアル」はどうだかわからないが、コンシューマー向けに発売中の複合現実型アイチップは、値段が高く、アイチップとしての駆動時間も短いため、なかなか一般化していない。今回の「パボ・レアル」が時間の問題がクリアされているだけでも、かなり有用性が高まるんじゃないだろうか。

「では、ここで10分の休憩を取らせていただき、その後開発主任より新型アイチップ『パボ・レアル』についてより詳しい説明をさせていただきます」

 会場がざわつき出す。席を立つ人、飲み物を飲む人、様々だ。ふと、視界の端に新着メッセージの通知が届いた。慣れた手つきでメッセージを中央に表示させる。

『新型アイチップどんな感じなんだ?』

 このモニターに一緒に応募したゲーム仲間からのものだった。

「結構面白そうだぞ。複合現実対応型らしい」

『複合現実か。じゃあ当然、ゲームするときにも使えるんだろうなぁ』

「だと思うけど。詳しい説明は休憩明けてかららしい。今、休憩中なんだ」

『なるほど。また、使い始めたらどんな感じか教えてくれよ』

「ああ」

 俺はメッセージ画面を閉じる。クリアになった視線の先に受付をしてくれた女性社員の姿が映った。彼女は、受付のあった場所を片付けながら、先ほどまで壇上に上がっていた女性と談笑しているらしかった。時折見える笑顔が花のように可愛らしい。その笑顔につられて、口角が上がるのを感じる。

「そういえば、あれどこまで読んだっけ」

 ニヤけた顔を振り払うように、うつむき、読みかけの教科書を開いた。


「それでは、皆様お戻りいただいてるようですので、説明会を再開させていただきます。ここからは、先ほど申しました通り、開発主任より「パボ・レアル」の特徴、操作方法などを中心に説明させていただきます 」

 広報の女性がそう言って壇上から降りると、中年の優しそうな男性が話し始めた。

「えー。紹介にあずかりました、開発主任の大友です。人前で話すのは、あまり得意ではないので、お聞き苦しい点もあるとは思いますが、私より説明させていただきます」

 どこか自信なさげに、大友さんは話し始めた。基本システムは従来品となんら変わりはないらしい。ただ、拡張現実型のものよりも自由度が高く、奥行き、リアルタイムな変化・変更などを中心に立体模型の中に入ったり、視覚情報から推測した、視覚空間を作り出したりと言ったことが出来るらしい。もちろん、専用アプリケーションを用いれば、仮想現実の簡易端末としても利用できる。今後、期待されるアイチップの利用法の一つでもある、仮想現実。今回のモニターテストでは、その専用アプリケーションもインストール済み。どれぐらい遊べるのかはわからないが、帰ったらゲームでもして試してみたい。

「次に操作方法ですが、従来品の基本動作で操作していただけます。ただ、 拡張現実型アプリケーションを多重起動させる場合は、スムーズな反応を確保するため、拡張現実型のモードに切り替わります。アプリケーションの起動数で自動切り替えとなりますので、必要な場合は右側メニューバー下部にあるMRを選択してください。仮想現実専用アプリケーションが入っている場合は、左側メニューバー下部にVRと表示されるようになっております、こちらも同じく選択していただくことでモードの切り替えが可能となります」

 どこか面倒そうに感じたが、おそらく慣れてしまえば大したことではないのだろう。今のアイチップのシステムも最初こそ違和感があったものの、すぐに慣れた。きっとそういうものだ。

「最後に、万が一不具合及び、『パボ・レアル』が体に合わなかった場合は、すぐにご連絡いただきますようお願い申し上げます。では、以上で本日の説明会を終わります。長い時間、ありがとうございました」

 資料を紙袋に直し帰り支度をし、会場を後にしようとした時だった。

「あの」

 背後から聞こえた声に振り返る。声の主はあの受付の時の女性社員だった。

「これ、落としましたよ」

 そう言って、差し出されたのは音楽プレイヤー代わりにポケットに入れていたスマートフォンだった。

「ありがとうございます」

 俺は、彼女の手からそれを受け取る。その刹那、彼女の目が赤く光った気がした。

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