107『明日への警告』

「さて、ずいぶん遠回りしちゃいましたけど。多分石井さんの気にしている『その女の子』も、この時の私と同じだと思うんです」


 『女の子』という部分に独特のアクセントを付け、彼女美影さんの現状にアタリをつける課長に、俺は沈黙を持って同意を返す。

 些細な違いを覚えないわけではないがまぁ、追いつめられているという点ではかなり近しいといえるだろう。


「仕事に気を回す分、自分が今どれだけが見えてない。結構危ない状態でしょうね」


 恐らくこちらの反応を見る前から、課長の中にはある程度正解の確信があったのだろう。大きな合間もなく続けられた言葉は淀みがなく、その語り口は仮説を立ててみたという言い表しに収まりきらない確信のようなものが伺えた。


「特に独り身で働いてる女の子って、責任感が強すぎる傾向ありますから」

「あー……抱え込む癖、っていうのはある気がしますわ」


 ――こないだようやっと、本心を聞き出せたばっかりだし。


「やっぱり。これでも何店舗かで結構部下を見て来てるんです。信用には足るはずですよ」 


 得心し、胸を張る課長。

 その即答は俺の返す相槌を聞いてというにはいささか食い気味だった。変わったこちらの表情を見た時点で、自分が正解を導き出せていた確証を得ていたんだろう。


「……なら、俺には何ができますかね」


 少しだけ、言葉が沈む。意図したわけではないが、課長の身の上話を前菜にした上に、畢竟ひっきょう聞きたいのはその一点に過ぎなかった。

 ……恐らく、それも彼女は見抜いているだろう。にも関わらずそれをおくびにも出さず親身になってくれている。

 相談をしろと切り出してきたのは向こうだとしても、多少良心が痛んだ。無意識に目線まで伏せがちになっていく。


「気になっていたんですけど」


 彼女と足と床しか見えていない視界の外で、不意に課長の声がぐっと近くなった気がした。それに引っ張られる形で顎を上げると、そこにはずいっと身を乗り出した彼女が、何か含むものを持たせるように頬に手を当ててこちらを見つめていた。


「随分と親身になっているみたいですね。そのひとに。それこそ、目の前の仕事に身が入らなくなるくらい……それが、ちょっと意外で」

「意外、ですか?」


 そのまま、こちらを見上げるような姿勢で続ける課長。あくまでその眼つきは普段と変わらない、小動物を思わせるくりっとした丸みを帯びたまま。そこに悪意も、ましてや敵意なんてものは感じない。

 だがその視線に俺は、気のせいや勘違いでは済まされないレベルの妙な迫力を覚えていた。


「ええ。本社ここに移動になる前、私が受け持つことになる部下はどんな人か、って聞いたことがあるんです。ある程度あらかじめ把握していた方が、色々とスムーズに進むでしょ」


 それは周りをよく観察している彼女らしい、いわば上に立つ者の適性ともいえる気遣いだろう。僅かに身を引きながらも首を縦に振る俺を、逃すまいといった様子で、課長は視線を一切動かさないまま再び口を開く。


「そこで聞いた石井さん像は、周りを全く気に留めない――よく言えばマイペース、悪く言えば空気を読まない人っていう評価でした。特別な事情があるっていうことを抜きにしても、ね」


 ……いやマイペースってそのタイミングで使って誉め言葉になる?

 もうちょっとこう、手心というか。抗弁を差し挟みたい気持ちはあれど、おおむね正解なのでこちらとしては表情を濁らせるくらいしか出来る事がない。

 そんな俺を見て、課長は「でしょ?」と念を押すように一度頷く。


「あくまで他人は他人、自分は自分……実際に出会、私がってしばらくの石井さんに抱いた印象も同じものでした。なんか、らしくないなって」

 

 『俺には関係のない事だし』

 久しく口に出していなかった、そんな口癖が頭をぎる。

 確かにここ最近は俺らしくない事の連発だ。それこそこんな風に誰かを助ける手筈立てや、果ては命のやり取りそのものまで。


「……大切な人なんですか?」


 前のめった上半身に引き寄せる形で腰を戻し、改めて背筋を伸ばす課長。今や互いの顔と顔の間は、椅子半分以下にまで縮まっていた。この距離間、昔無気力過ぎて将来が不安になる、と教師に生徒指導室で激詰めされた時以来だ。

 すなわち切り込んだその問いに対して、適当なはぐらかしで済ませてやるつもりはないってはらだろう。


「石井さんが仕事に意識を割けなくなるまで、気を揉む様な?」

「うー……ん、大切というか、自分の為というか……」

「自分の為なんですか?」


 改めて他人の口から訊き返され、どういうわけか首をすぐに縦に振る事が出来ない俺がいた。美影さんの不安要素を取り除くのは、この後控えている戦いに対する憂いを無くすためだ。それが俺自身の命を長らえる事に繋がる。

 俺が彼女に『その後の生きる道』を用意してやるのはあくまでその為の手段だ。極端な話、自暴自棄な考えさえ捨ててくれれば後は本人がどうなろうが、俺の今後にはきっと関係のないこと。

 その、ハズだ。


「そう、なのかな」


 本当に、それだけだろうか。

 記憶が蘇った時、美影さんの顔を見ないまま便所に向かい、ひとり顔を歪めていた事を思い出す。同じ顔だからという理由で美恵先輩と、俺を案ずる彼女をダブらせるのがひどく失礼に思えていたからこそ、顔をそむけたまま部屋を出た。

 なら俺はあの時、一体と思っていた?


「いや、別に困っている知り合いを見たら、どんな間柄でも多少は力になりたいって思うのが普通じゃありません?」


 長い沈黙を挟み、代わりに口から出たのはそんな虚言だった。我ながら見事なまでに上滑りしていくこの文句。課長の言う通り、これほど本来の性格とかけ離れていることばもないだろう。

 すくなくとも、そんな良識や使命感だけを原動力として動いている自覚は全くない。だけど、その正体に説明は付かない。

 自分を長い暗闇から救い出してくれた美恵先輩と、たった一時の協力関係に過ぎない美影さん。

 どうして俺はその間に不等号を、明確な序列をつけられないのか。その問いに対する明確な答えを用意するのが難儀だった。

 こいつは再び、答えを先延ばしにするための置き石としての一般論――


「そこに対する答えは、しっかり用意しておいた方がいいですよ」


 当然のことながら、若き海千山千はそんな事をあっさりと看破し、厳しい口調で警告を向けてきた。


に立っている人を助けようとするなら、少なからず自分も大きな持ち出しを覚悟する必要がありますよ。それが仕事――お金や利益の絡まない事なら、なおの事ね」

?」


 首を傾げる俺を見て、課長は軽くため息を吐きながら再び背もたれに体を預ける。

 鸚鵡おうむに返すその様が、まるで白痴にでも見えていたのかもしれない。

  

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