104『ベストメンバー文殊の知恵』

「なるほど……大切なお友達が仕事に没頭するあまり、身体を壊しそうになっていると」


 針外しを置いて10分ほど。ロビーで買ってきたホットのお茶をお供にじっと耳を傾けていた課長は、話し終えた俺に一拍を置いてそう要約する。

 時々その友達の正体が課長にとってもであることを隠すため、言い回しに悩んで淀む場面もあったものの、彼女はその度小さな頷きを返すだけで、ただ黙ってこちらの口が再び回りだすのを待ってくれていた。

 そこに一切、余計な突っ込みや茶々が入れない。こちらの悩みを下らないものと即断せず、真摯に悩みを受け止めていた何よりの証左。そこにありがたみと少しの申し訳なさを覚える。

 

「えぇ。に相談を受けましてね。もちろん、俺としても心配で」


 ボロを出さず、かつ問題の核がしっかり伝わるようにと集中するあまり、蓋を開けるのも忘れていたペットボトルを手に取る。

 すっかりホットというには熱を失い過ぎていたが、疲れた喉には却ってありがたい。


「あの考え……いや働きだと冗談抜きにいつかれる。出来ればもう少し、自分の身体を省みてほしいもんなんですけど……」


 ――そうじゃないと、こっちまで死んじまうし。

 思わず浮かべる、自己都合丸出しの続き文句。別に、全てが終わった後の彼女が全く心配じゃないというわけではない。だが美影さんのリスクというのは結局、自分に降りかかるリスクでもある。

 お茶を机に置きながら、ちらりと目線を伺うと、まるでそれが我が事のように沈痛な面持ちを浮かべている課長の顔があった。

 彼女には今、目の前の部下が仕事に手が付かないほど真剣に他人の事を思える人間に映っているのかもしれない。

 でも実際、結局わが身可愛さで手段選ばず動いているに過ぎないんですよ。

 不本意とはいえそこを隠して悩みを聞いてもらっているのもまた、罪悪感を加速させる。


「……すいません。私が少し短慮でした」


 ……だというのに。

 短い沈黙の末、予想すらできなかったその一言に思わず目が丸くなる。いったい今の話のどこに、課長が頭を下げる要因があるというのか。

 見返す目がその戸惑いをたっぷりと表に出していたのか、課長が少し重たい調子で再び口を開く。


「また、お友達を失いたくはないですもんね――鏑木さんのことがあったばっかりなのに」


 一瞬、言葉を失った。

 頭が真っ白になっていく中、咄嗟に課長から背けた顔が歪んでいく。


「石井さん?」

「いえ、自分も、配慮が足らなかったです」


 悪いのは課長じゃない、俺なんですよ。

 言葉を絞り出す喉の手前で、奥歯が音を立てる。やれ拉致だ蘇生薬だカダーヴルだで、あまりに日常へ死が身近になっていた事を改めて思い知る。何より鏑木の死をその『ありふれた事象』のひとつとして、いつの間にか心の隅に追いやっていた・

 そんな自分に覚える、嫌悪を通り越した寒気。

 わざとじゃない。

 まして当て付けでもない。

 だが最悪な方向に話の舵を切ってしまった。この部署でつい最近、ひとり喪ったばかりだろうが。それも表向きは、過労が招いた交通事故という筋書きで。

 本当は会社が殺したのだと、実行犯は今自分が据わっている椅子の主と、目の前の男のふたりだと知ったら、課長はどんな顔をするだろうか。


「課長、俺は」


 言いかけて、喉が詰まる。出かかった言葉をすんでのところで引っ込めたのか、それとも続き口にすることを無意識に憚ったのかは分からない。

 正直一瞬、この場で懺悔を済ませられるならどれだけ身軽になれる事かと惑った自分がいた。

 誰ひとり確信を以って責められる事のなかった鏑木殺しの咎を、この人ならば負わせてくれるかもしれない。

 だがそれも、一見荒唐無稽な話を信じてくれれば、の話だ。いくらこちらの話を笑わず聞いてくれる課長にも、真実と受け入れてもらえるはずがない。

 何より――、脳裏に秘密を洩らした前任、唐津課長の恨み節が蘇る。俺が楽になる代償として、社長の手が彼女に及ぶことだけは、避けなきゃいけない。


「……いえ、彼女を同じ目に遭わせるわけにはいかない」


 そして今わの際、鏑木は俺に怨嗟を向けてきたのではなく、生きてほしいという願いを託してくれた。

 だからこそ、無駄にするわけにはいかねえだろ。

 それが奴にとっての仇のひとりを守ることに繋がったとしても。

 そもそもが、俺に都合のいい想像でしかなかったとしても。


「課長なら、何て言います?俺よりもずっと人を見てきている、課長なら」


 強引に話を戻す俺の姿に、課長の顔色が変わる。

 それはこちらの真剣さが一段と伝わったからなのかはわからない。だがその顔からはいつも絶やさない穏やかな笑みが影を潜め、半分ほど降りた瞼に瞳の鋭さが増していた。


「そのお仕事というのは今、すごく大事な局面を?自分の進退が掛かっているような?」

「……俺にはよくわからんですけど、どうもそうみたいなんですよね」


 頷く。掛かっているのが身体ではなく自分の存亡そのものであることを除けば、おおむねその見通しは正しいといえるだろう。


「自分がいなければ進まない。今は一刻も早く終わらせる。その後の事なんて考えてられない、って感じ……俺からすりゃ、その後とやらが来る前に取り返しのつかないことになっちゃうんじゃないかって思うんですけどね」

「それはまぁ、なかなかの仕事中毒ワーカホリックで」


 苦笑しながら相槌を打つ課長に、うーんと言葉を濁す。

 仕事、ね。

 美影さんの思考を苛んでいるものが仕事ならば、あるいはもっと簡単に説得できるかもしれない。労使関係、ぶっちゃけてしまえば金だけで縛られているしがらみの中で生まれる『自分しかできない』って考え。そいつは大方半分が自意識過剰で出来ていて、もう半分は属人化の弊害。

 そいつは言うならば一種の比喩表現みたいものだ。よしんばそいつが半ばで倒れて離脱を余儀なくされたところで、ケツに火が付いたチームの誰かが貧乏くじを引いた挙句、当初より歪な形を取りながらも仕事は完遂され、組織としてのサイクルは続いていく。

 だが美影さんを突き動かすものは金ではなく使命であり、俺と一緒にカダーヴルを処理する人間は彼女ひとりしか存在しえない。

 自意識過剰でもなんでもなく、だからこそ属人化の極み。そんな現状を正しく認識で来ているが故に、その焦りを正すのが難しい。

 

「もうずーっと、実家にも帰っていないみたいなんですよね。遠いわけでもないのに」


 ――いっぺん家族の顔でも見れば、少しは自分を省みてもらえると思ったんですけどね。

 別に、美影さんを計画から外すことが目的じゃない。少し立ち止まってほしいだけだ。

 脇道へと逸れかかった目標を多少不自然にねじ込む。会話の急なハンドリングを訝しまれるかと思ってつい視線を脇に逸らしてしまったが、課長は何かを疑う素振りもなく、軽く握った手を顎に当てて大きく頷いていた。


「多分それは正解です……が、なんの切っ掛けもなければ絶対に取らない選択肢でもあるでしょうね」

「……?」


 具体的な事は何ひとつ明かしていない。相談を受ける者にとっては雲をつかむ様な話し方だった自覚はある。

 にもかかわらず、課長のどこか確信めいた返事と態度の理由がわからず、俺はただ眉根を寄せて続きを待つことしかできなかった。


「石井さん、私に話して正解だったかもしれませんよ。なんだかそのは、昔の私と似ているかもしれません」


 壁に掛けられた時計が22時を指す。

 夜はもう少しだけ、続きそうだった。

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