『タイニーフラップエフェクト』

 

「んー、まぁ、あれじゃんすか?」


 ……なら、まぁこれも人助けでしょう。ノーコストならやらない理由もない。

 わざとらしいあくびを混ぜて、口元を手で隠す。うつむく彼女に用意いるのは決して歯の浮くようなセリフではないが、それでも臆面なしに正面切って口にするには少し厳しいものがあった。


「その意識の高さはソンケーしますけど、何も四六時中気ぃ張ることもないんじゃないっすかね」


 気恥ずかしさが逃げ場を求めて、勝手に変な敬語を織り交ぜ出す。それが気に掛かったからなのかはわからないが、三吾さんは弾かれたように顔を上げた。


「見てわかると思うけど、俺や一志は先のことなんて大して考えてねっすよ。とりあえず今が楽しけりゃそれでよし」

「不安に、ならないんですか?」

「明日の事は明日の自分がなんとかするっしょー」


 あっけらかんと返す俺に、三吾さんは目を丸くする。半開きの口を閉じることも忘れてこちらを見ているが……あれ、これ驚かれているのか?呆れられているのか?


「……言いたいのは、にもそういう場所が一つくらいあった方がいいんじゃないかなって事」


 まぁ、どちらでもいい。

 こういった事は、自分より頭悪いと思っている奴に言われた方が効き目がある。


「……先輩?」


 しまった、つい口に出していたか。

 向こうにとっちゃ突拍子もないあだ名付けに聞こえただろう。向けてくる疑問符も当然なのだが、こいつの種明かしはまだ先。

 とりあえずスルーしながら一度目を外し、午後の陽光に温められたタンクを撫でてやる。


「最初のバイトが長続きしなくってねぇ……中古しか買えなかったんすよ。それも結構年代モンで、あんま状態も良くなかった」


 突然話題を変える俺に、三吾さんはその意図がわからず首を傾げた。


「でも走っている途中に壊れたりとかは、今日まで一度もないんですよコレが」


 ――なんでだと思います?

 訊ねてみても、彼女は相変わらず煙に巻かれたように、訝しむ表情を緩めない。


「なんで、って……大切に扱っているから、ですか?」


 それでも一応考えて答えを出してくるところに、三吾さん元来の性質のようなものが伺えた。だが普段の聡明さに似合わず、その答えはあやふやで的を射ていない。

 ……それこそ、わざと外してんじゃないか?とこちらに疑わせるほどに。

 何かを勘繰るような、それでいて何かを期待するようなその顔を見れば見るほど、頭の中でそんな論理なき確信が深まっていく。


「こまめにメンテしてるからですよ。ゆーていじる方の知識はあんまないんで、もっぱらバイク屋と一志任せですけど」


 良くある言い回しっちゃあそうだろう。口にしていてどうにも既視感が拭えない。

 だがありきたりかどうかは大した問題じゃない。寓話を語る上において大事なポイントは誰に、いつ話すかというタイミングだけだ。


「ノーメンテでずーっと走り続けられるマシンなんてどこにもないっす。人間も一緒。どっかで休まねーと」

「それは、理解してますけど……」

「ルームシェアしてるんでしたっけ。友達にもそのことは?」


 泳ぐ目線と続く沈黙が答えだった。どうやら三吾さんにとっては、帰る家も完全にリラックスできる場所というわけではないらしい。その友達とやらも、彼女が止まれば困る側の人間なのだろう。

 ともあれこれで確証を得た。

 要するに、彼女はどこでも張り詰めっぱなしなのだ。今にして思えばあの講堂でアルバムをわざとらしく俺に見える角度で置いていたのも、無意識のSOSだった――というのは、さすがに少し自意識が過ぎるだろうか。

 かといって、全くの無関係とも思えない。


「俺……と一志にとっちゃ」


 あれ、なんで今少し言いよどんだ?

 無意識のうちに一志の名を出すことを躊躇した。その意味を自分でも理解できないまま、目で続きを促してくる彼女に急かされて、ふたたび勝手に口が開く。


「アンタはちょっと世間とズレた、アルレディフリークの先輩ってっす。学校の外で何やってるのかは、別に俺には関係ないし」


 察しのいい彼女の事だ。ここまでくればみなまで言わずとも、俺が言わんとしている事がなんなのか、その実像は掴み切っているはず。

 そう思って少しばかり間を開けてみたのだが、何のリアクションも返ってはなかった。

 それこそ意を得たという肯定も、情けを掛けるなという反論も。

 だがそれは当然察しがつかないからというわけではない。

 ……多分、待っている。そして求めているんだ。

 

「だから、俺達といる間くらいはでいいんじゃないっすか。ここで少し休んで遊んで、他で頑張る、みたいな感じで」


 自分が先んじずとも。

 ちゃんと自分の望むものが、正しく相手からもたらされるという事実を。

 それは俺達の歳でやるには幼稚に過ぎる挙動と言えた。なんせおもちゃ売り場でおねだりの声ひとつ上げないまま、わざとらしく指を咥えて親と棚を見比べる子供とおんなじだ。

 だがおそらく、彼女は長い事――それこそ幼い時からかも――そんな甘えの許されない立場にいたんじゃないだろうか。

 あるいはずっと、もたらす側にだけ立ち続けていたのかもしれない。

 何も俺たちの前でまで、そうやって肩肘を張る必要はない。それをわかりやすく示すために用いたのが、さっき口にした『先輩』という渾名あだなだ。

 いわば『この場でのあなたは他と明確に違いますよ』というラベリング。本当はここで初めて呼ぶつもりだったけど……いくら身内の会社内でも、インターン生でこんな呼ばれ方はするまい。


「……あは」


 意味を成す声の必要すらない。一拍の間の後に消え失せた顔のこわばりと、ふにゃりと緩んだ頬が返答の代わりだった。

 ……伝わったようで何より。そしてタイミングを見計らったかのように、バスが無遠慮な排気音を近づけながらロータリーを曲がってきた。

 俺にワンテンポ遅れて接近に気付いた三吾さんが顔をそちらへと向け、視線が外れた隙を見計らってシートにまた借り直す。


「じゃーまた。もうちょい涼しくなったら、ツーリングご招待しますわ」


 メットを被り、グローブを嵌め直した片手を上げる。未だに彼女の体温と湿気が残っちゃいるが一志のと比べりゃ万倍マシ。

 前期に学校へ向かうのは、今日が正真正銘最後の日だ。ここで別れれば次に喫煙所で会うのは秋の入り口。一志が遠乗り遠乗りやかましくなる時期にさしかかる。俺のオンボロクラシックですらこの上がりようなのだから、一志の単車に乗れば感動もひとしおだろうに。


「……あの」


 そんなことを考えながらサイドスタンドを跳ね上げ、体重を真ん中に移動する――前に、彼女が肩に手を置く。


「はい?」


 バイザーを上げてクリアになった視界で、彼女がハンドルの中央に鎮座する俺の端末を指差しているのが見えた。


「ああ、なるほど」


 顎下を除く四隅が遮られているためその顔こそ伺えないが、何を言わんとしているのかは伝わってきた。端末をホルダーから取り外し、赤外線通信を起動させる。

 ――こりゃ、喫煙所の他でも会うことになりそうだ。

 彼女の要望の先を見据えながら、考えをすぐさま改める……が。

 その思惑を全て汲み取り切れていなかったということを、この時はまだ知らなかった。

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