『辿り着くは熱の覚める音か?(1)』

「あいっかわらずあの先生、無駄話が長いよなぁ」

「無駄じゃなくても大して聞いてないだろ。お前は」


 文化祭を間近に控えて浮足立つ喧騒すら、たった3人分の足跡でかき消されてしまう。それほどまでに相変わらず、今日もここは切り離されたような扱いを謳歌していた。

 もともとゼミもサークルも所属していないトリオには、まさにおあつらえ向きの場所といえる。差し込む気の早い西日に目を細めて足を止めると、僅かに割れた銀杏の実が放つ独特の臭いが鼻をつく。いつもの喫煙所にも庇から落ち葉が舞い込むようになり、炭酸片手に半袖で延々話すのもだんだんしんどくなってきた。


「あー、先に買ってきていいぜ。お掃除はやっておく」


 リュックのサイドポケットから飲みかけのペットボトルを出した一志が、先んじてベンチ向かう。その後ろ姿……というか、奴の半袖ポロシャツを控えめに指差して、美恵先輩は心配そうに視線を向けた。


「肌寒くないんですかね……?」

「ほら、あいつバイクガチ勢だから」


 苦笑を返しながら、一志の左腕を指差してやる。

 鼻歌交じりの上機嫌で塗装の禿げたベンチに積もるイチョウの葉を払う右手とは対照的に、腹の前で直角に曲げられたその腕にはリュックと一緒に、真っ黒なライディングジャケットが提げられていた。


「それでいて本人暑がりなんだから、気の毒っつーかよくやるっつーか……」


 うっすらと浮かび始める汗を見ていると、まだ何も飲んでないのにこっちまで体温が上がった心地を覚える。

 ……張り切ってんなあ、あいつ。

 今日はたまたま休講になった関係で、3人一緒に連れ立ってここへ赴く事が出来るのがよほど嬉しかったいのか、妙に派手なアクションで掃除を続けている。あの分なら温かいもんを奢ってやる必要もないだろう。

 額を拭うしぐさまで見て納得した先輩が向き直り、改めて俺達は自販機の前に立つ。季節の移ろいに合わせるように、レパートリーもホットドリンクが占める割合を増してきていた。


「ん」


 俺のカフェモカに続いて出てきたブラックのコーヒーを振り向いて差し出し、美恵先輩は目だけで礼を述べて受け取る。

 言葉を差し挟まないこのやり取りも慣れたものだ。

 バイクの一件からこっち、大体2週間に1度は向こうから連絡が来て飯を食ったりなんだりするようになっていた。しかし彼女はよほど多忙らしく、しっかり腰を落ち着けて対面するより、駅近くでジュース片手に10分喋るだけなんてことの方が多かった。

 というかそもそも、待ち合わせの場所もてんでバラバラなもんだから、苦心しなかったかといえば嘘になる。都心と西東京の乗り換えにはずいぶん詳しくなりましたよ。

 いうて、一度も断らなかった俺も俺ではあるのだが……まぁ、ただ暇をボーっと潰しているよりも有意義で楽しかったのは確かだ。

 ともあれ場所や時を問わず、大抵先に財布を出した方が一緒に買ってやり、次の機会におごり返してもらうのが半ば習慣化していた。

 初めのうちはお互い律儀にお礼を述べたりしてはいた。だがどちらが先ともなくこれが俺たちのルーティン自覚してからは、声に出すこともなくなって今に至る。


「ふーん……」


 と、いうのはあくまで俺達の間だけに通じる話。

 初めて見る一志には不思議な光景に映ったのか、背中にわざとらしい鼻声が届いた。


「あんだよ」

「……べっつにー?てか俺の事ほんのり馬鹿にしてたべ今?」


 器用に片手でキャップをひねりながら半眼を向けてくる一志。その目に籠るどうにも不穏な光にたじろぐ俺により先に、美恵先輩が慌てて首を振った。


「いえ、そういうわけでは……ただ、その上着はさすがにまだ暑いのではないかな、と……」


 やや怖気づきつつも、聞きたいところはしっかり訊ねるあたりが先輩らしい。本人としては純然たる好奇心だろうが、どうやら一志はそれを季節感のなさを指摘されたと受け取ったご様子。一瞬目の端を釣り上げたが、話す相手が俺ではなくいたいけな女の子であることを思い出したのか、一度仰々しく息を吐いて体を斜に構えた。


「分かってないなあ三吾さん……一端いっぱしのライダーたるもの、どんなに暑かろうと肌をさらすような服装ではバイク乗らないの」


 自分のジャケットと厚手のデニム、そしてくるぶしまで覆い隠すブーツを順番に指差し、やがて勝ち誇ったようにふふんと鼻を鳴らしてこちらに目を向けてくる。

 対する今日のコーデは肘の先までロールアップしたシャツと、下はくるぶし丈で薄手のカーゴ。当然ながら奴よりは涼し気で、お世辞にも擦過や衝撃に強い出で立ちとは言えない。


「こいつみたいな恰好ですっ転んでみ?肘やら膝がいーい感じにすり下ろされて、下手すりゃ骨がこんにちわよ?」

「おいおい……」


 女子に言うにはややグロが過ぎる表現にさすがに口を挟む……が、当の美恵先輩は顔をしかめるどころか眉ひとつ動かさない。それどころかジャケットの肘にあるプロテクターの出っ張りを見て、得心したように感嘆の息を吐いていた。


「単に肌を隠すだけじゃなく、緩衝材が入ってますね……この紐は?」

「あぁそれ?車体から放り出されるとそいつが引っ張られて、車のエアバッグみたいにぼふんと膨らむんだよ。んで衝撃から体を守る」

「よく考えられてます」

「でしょでしょ?本当はあの時こいつも貸してあげたかったんだけどねー」


 興味深そうに目を輝かせる先輩と、まるで自分が褒められたかのように舞い上がる一志。このままふたりの交友が深まる様を見守るのも悪い気はしない。

 ……しないが、そんな大人な判断よりも先に悪戯心が体を動かした。


「あっ、おい」


 横合いから一志のジャケットをかすめ取り、自分の顔に近づけて思いっきり顔をしかめてやる。


「なんか臭いから遠慮しとく。気を遣ってもらったのに悪いね」

「お前にじゃねえよ!」

「臭いはともかく、たしかに安全そうです」

「臭いは否定してくんないの?!」


 掛け合いにひとしきり笑った後、改めて咥えた煙草に火をつける。いじられ役に回されたことでしばらくぶつくさ言っていた一志も、やがて対面に座って煙を吐き出した。

 俺の隣に腰を下ろした美恵先輩も、組んだ足の上でなにやら忙しく指を走らせ始めている。おそらくメールでも打っているのだろう。会話が途切れたところで、誰ひとりとして焦って他愛ない話題を喋り出すようなメンタリティを持ってないのも、3人が割と早く打ち解ける要因でもあった。

 ゆったりと背もたれに体を預けながら、口の中で豆と煙草の匂いを混ぜ合わせる。

 そうして缶を傾ける拍子に、ふと美恵先輩の横顔を眺めてみた。あまり浮かない表情をしているあたり、どうやら楽しいやりとりではなさそう。

 時折難儀そうに溜息を吐くその様子は気にならないといえば嘘になるが、突っ込んで聞けるほど野暮天でもないし、まだそこまで無遠慮に接する間柄でもない。

 ……少なくとも、俺はそう思っている。


「この後、どうすんべ?」

 

 缶の中身が半分を切るまでしばしの静けさを味わってから、煙草を消すついでに一志に訊いてみる。

 とは言ったものの、昼飯をぶら下げていないあたり、答えは分かりきっているようなもんだけど。


「午後は出席取らねぇからパス。どっかで飯食ってそのまま帰る」


 はい、予想通り。

 更にお前はどうすると訊き返してこないあたり、奴も悪友の行動パターンくらいお見通しというわけだ。ご明察といったところで、俺も購買やコンビニで何かを買ってきてはいない。


「そーだなぁ……」


 こみ上げるあくびついでに伸びをひとつ。そのまま首と腰の関節を鳴らすと思いのほか大きい音が出た。それに驚いたのか、美恵先輩が端末から目を離してこちらを向くのが視界の隅に映る。

 別に今から飯を買いに行っても、午後の講義に間に合わなくなるわけではないが、どうにも昨日のバイトの疲れが抜けきっていないようだ。何かしている分には支障はない程度の怠さではあるけれど、ただ机に座って講義を聞いているだけでは即刻寝落ちがいいところだろう。 

 特段興味も関心もなく、ただスケジュールの都合ってだけで取った生物学ともあればなおのこと。つまりは無理して出ようが出まいが、身にならないという事実は変わらない。


「天気もいいし、御殿場のハンバーグでも食い行くか」

「いいっすねえ。平日だしこれから向かえば時間的にそこまで並んでねえやな」

「えっ」


 俺の提案に喜色を浮かべる一志とは対照的に、美恵先輩が小さく驚きの声を上げる。その手にはいつの間にかサンドイッチの入ったコンビニ袋が握られていた。

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