『影に隠れて誰に語ろう』

「あはははは!何、これ!すっご!体持ってかれる!」


 Rに体を傾けるたびテンション振り切った女の子が出す特有の笑い声が耳をつんざく。その音量と甲高さたるや、ギアを下げたエンジンの唸りにもまるで負けないもんだから、思わず顔もしかめてしまうというもの。

 ……レシーバー切っておけばよかった。


「ここって、高速ですか?料金所通りませんでしたけど」

「いや、ただのバイパス……」

「じゃあ、高速ならもっと速いってことですか?!」


 返答を受けて三吾さんのトーンがさらに一段階上がる。後ろを向くまでもなく、その瞳が輝いているのが目に浮かぶ。

 そんな彼女とは対照的に、こちらの頬は引き笑いまじりにひくついていた。急いでいるってだけじゃない、絶対単に楽しんでるだけだろコレ。

 とはいえ大きなカーブが見えればグラブバーフックから手を放し、車体が傾けばこちらの腰元に腕を回し直すあたり、生粋のスリルジャンキーというわけでもない。

 単なるスピード狂とも少し違う気がする。適度な恐怖と緊張、あるいは刺激が彼女のネジを少しばかり緩めてしまったのだろう。忌憚のない言い回しをすれば、若干耳に鬱陶しいとも言えた。


「前の車と車の間、ちょっと空いてますよ!抜きましょう抜きましょう」

「危ないからダメ。ていうか抜く抜く言わないの女の子が」

「えー、なんでですか」


 とはいえ、悪い方向にばかり作用しているわけではない。ともすればぶっ壊れ気味ともとれるこのテンションが、出発前に互いに覚えていたを杞憂に変えてくれたのはありがたい事だった。

 (いろんな意味で)がっちがちになった三吾さんが俺の腰元をしっかりホールドしていたのはせいぜい走り出しの5分そこら。驚くべき速さでタンデムにおける体重移動のコツをつかんだかと思えば、すぐさま後ろ手にグラブバーを握って全身で風を受けていた。

 んで、そこからはずっとこの上機嫌ぶり……というか、何かのタガが外れたようにも見える。

 もしかしたら、普段はよほど抑圧された日々を送っているのかもしれない。


「ってか、本当にこっちでいいの?景色いい感じにグリーン一色に変ってきてっけど」


 そんな疑問が頭をよぎりはしたものの、今の三吾さんに尋ねてもまともな返答が帰ってくるかどうかも怪しい。目的地に着いた時にでも聞ければいいか。

 クラッチを切りながらハンドルの中心に添えつけたナビに目を落として尋ねる。自車を示す矢印は都心と真逆の方角を向き、どんどん県境へと近づいていた。

 周りの風景たるや、とてもじゃないがインターンを積極的に取るような会社があるようには見えない。町工場か農機具販売の店あたりのほうがよっぽど似つかわしい感じに変わっている。

 偏見込みであることは自覚しているけど、だって5階建て以上のビル見当たんないんだもん。


「……いいんです。会社に用事があるわけではありませんから」


 ――あれ。

 答える三吾さんの声は、急に普段のトーンに近いものになっていた。少なくとも直前までの浮かれっぷりは一気に、そして完全に消え失せている。


「……あ、そうなの?」


 前以外を向くことのできない俺が受け取れた反応はそれだけ。そして今まで延々と、更に言えばわりと一方的に続いていたやりとりがぶっつりと途切れた。

 これは……深く訊いてほしいのか、それとも話自体を流してしまってほしいのだろうか。

 ふたつ信号を越えても流れ続ける微妙な空気の沈黙を、延々と流れる排気音がそれこそ無機質に埋め続ける。俺はその間にギアチェンジのうなりを混ぜ込みながら考えを巡らせ、バイクのナビに再び目を落とした。 

 目的の駅までは、あと5分といったところか。


「でも、普通に考えてすごくない?」


 だったら、そのどちらも選ぶ必要はない。目的地に着いたということが、この話題を締めるための大義名分になる。

 逃げと言われれば返す言葉もないが、不興を買うリスクの低い抜け道が用意されていてなお、分の悪い二者択一を無理やり選ぶこともない。

 

「外での仕事も任されるとか、インターンがやること超えてるっしょ」


 だから、俺は時間稼ぎさえすればいい。

 駅のロータリーに向かう交差点で右のウインカーを出しながら、適当なおべんちゃらをでっちあげる。

 インターン制度なんざ調べた試しもないが、大方バイトの延長線上みたいなもんだろう。正社員ですらない身分の奴に会社外の業務を任せるってのは、彼女がそれだけ――あるいは特例的に――評価を得ているってことだ。

 合っている保証はないが、そう大きく的を外した推量とも思わない。


「……そう、ですね。一定の評価を得てはいます」


 傾けたバイクが姿勢を直すころ、ようやく返事が返ってきた。

 ここで謙遜を口にしないどころか『思います』ですらないところが、なんともというか……だがその言い切り加減に反して、その口調はどうにもはっきりとしない。

 適当に切り上げるつもりだったが僅かに興味をそそられ、鼻息を上に曲げて続きを促してみる。


の会社なんです。私が世話になっているの。だから少し、立場も特殊で」


 つまり三吾さんは、自分への評価を身内贔屓込みのものとして捉えているようだ。

 だから自信が持てず、気分も浮かない?

 いや、それならばさっきの断言に説明がつかない。おそらく評価云々とは別軸で、彼女は気分を落ち込ませる何かに苛まれているのだろう。

 正しいとは思う。しかし憶測だけでずかずか踏み入るのも少し気が引けた。

 なので――


「いくら身内って言っても、まるっきり木偶でくぼうに会社の外で、それも一人でなんかやらせはしないでしょ」


 こういう時は、事実だけを並べてさも話が進んでいるような足踏みに留めておく。先を語ってくれればそれでよし、黙り込むようならば勇み足を踏まずに済んだという証拠。

 相談事はあくまで相手に主導権を握らせた方が、こちらがヘマをする公算は少なくて済む。こんな持論も長い脇役人生の賜物だ。


「その任されていること……というか、自分で背負いこんだことなんですけど、最近ちょっと行き詰ってて」


 帰ってきた答えは先へと続くものではあったが、その声はさっきよりもさらに細く、弱弱しいものだった。


「結構、キツそうね。なんか」


 相槌を打つ俺の背中に伝わってきた、こつんと硬いものが当たる感触。そしてエンジンの駆動によるものではない僅かな振動。三吾さんはいつの間にかグラブバーを離し、こちらに体重を預ける姿勢に戻っていた。

 単に頷きついでに頭が当たった、というだけじゃないのは分かるし、さすがにそこまで初心じゃない。とはいえこちらの思っていた以上にへこたれている彼女へと次に掛けるべき言葉を探し出せないまま、端末が目的地が近いことを知らせてきた。


「あ、あそこです」


 三吾さんは俺の脇から腕を伸ばし、カーブの曲がり鼻に見えてきた駅舎を指差す。

 残念ながらここで時間切れ、というわけだ。中途半端に踏み込んだ分、気がかりだけが残る結果に終わってしまった。

 しかし、それはそれとして……


「本当にここでいいの?」


 最後の信号に捕まりながら、思わずバイザーを上げてあたりを見回す。本当に駅前かと疑うほどに店、どころか建物自体が少ない。点在するでかい建物もせいぜいが4、5階建てで、その殆どがテナントも入っていないマンションだった。

 本当にこんなところに会社がらみの用事があるのか……?


「ええ。ここから先はバスで行きますから」


 あぁ、そういうことね。

 3つしか停留所のないロータリーは人影もまばらで、バスの入ってくる気配もない。それならばと多少マナーにはもとる事を承知で一番入り口側の停留所に横付けし、スタンドを下ろす。

 エンジンの音が止むと同時に、乗った時よりも数段スムーズにタンデムシートを降りた三吾さんは、庇に備え付けてある電光掲示板と端末を見比べて、ほっと息を吐いた。


「良かったぁ……間に合ったみたい。これを逃すと帰りの便がなくって」


 彼女の心配もさもありなんといったところ。案内板に書かれている地名を見るに、どうやらここから更に西へと向かう路線に乗るらしい。


「そりゃ何よりっていうか、場所教えてくれればそこまで送るよ?」


 どうせ暇だしと続ける内心、もう少し話を聞いてやりたいという気持ちもあった。背中がまだ、伝わる震えを覚えている。

 しかし外した俺のグローブを丁寧に畳みながら、彼女は首を振った。


「先方の都合もありますし、そこまでご迷惑は掛けられませんよ」


 言いながらメットを脱ぎ、俺から目線を外して自由になった髪を風に遊ばせる。そんなどこか寂し気な様子を見ても、結局頭にはありきたりな気休めしか浮かんではこない。

 具体的なことを何も聞いてない限り、つがえられるのはさっきと同じ、最大公約数のことばだけ。


「大丈夫、ですから」

「何がそんなに大変かはわからないけど、たまには気ぃ抜いて休んだほうがいいよ」

 

 が。

 彼女の虚勢を聞いて反射的に返した、ほとんどでたらめ打ちの矢は、思わぬところを射抜いたようだ。どこかわざとらしくあたりを眺めていた三吾さんがピタリと動きを止め、ゆっくりとこちらに向き直る。


「明日に繋がることだし、私が止まっていたらみんなが困ってしまいます」


 

 どういうことだ?

 差し込まれた言葉がどうにも引っかかるが、明らかにメンタル弱っている女の子にずけずけと問いただせるほど、俺は肝が据わっていない。メットを胸の前に抱えて自嘲気味に目を細める三吾さんは、普段より小さく見えた。

 これが一志ならまた話は違ったかもしれないが……この疑問はひとまず棚上げ。

 代わりというわけじゃないが、バイクに乗せた途端のあのはしゃぎようと落ち込みっぷりの正体が見えてきた。

 『初めての2人乗り』という彼女にとっての非日常。それが吹き飛ばしたのは頭のネジじゃなくて、平時に絶えず自分を取り巻く重圧だったってわけだ。

 それがバイクを降りたことによって再びその重力に囚われてしまった。

 ……いや、元を正せば俺の迂闊な一言が原因だ。このまま何のフォローもせずしてサヨナラというのは、あまりに薄情にすぎる。 

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