『強打饗宴』

「でー……その子を放置したまま、お前は支払いだけ済ませてとっとと帰った、と」


 時と所は変わって、いつもの喫煙所。

 受け取ったばかりの成績表を鞄にも納めなないまま、一志は半眼で俺を見やった。

 灰皿を挟んではす向かい。不満を表すように紙切れを片手でひらひらさせながら向けてくる視線には、棘というにはあまりに長く、どこかねじくれたものが込められていた。

 要するに刺される身としてはとっても痛い。


「まぁ、そうなる、な」


 曖昧ににごし……いや嘘は言っていないけど、それまで合わせていた目線を右にスライドさせ、ポスターの剥がした跡しかない壁へと逃がす。逆サイドには庇の向こうに雲ひとつない夏空が広がっているし、そっちを見やった方がアクションとしていささか自然に収まるのだろう。

 だが今そっちはちょっと向きたくない。

 ともあれ単に鋭い、とだけ表現できなかったのは、一志の視線に込められているものの複雑さがそうさせていた。

 単にこの間憂慮ゆうりょしていた『奴が建てようとしていたフラグをへし折った』ことへの怨嗟えんさならば、刺さっている棘ももっと素直な形状をしていたに違いない。 


「一通り聞かされた身として」


 一向に壁との声なき会話を止めない俺を見て、これ以上視線で苛むだけではらちが明かないと判断したんだろう。一志はフィルターぎりぎりまで燃え尽きた煙草をぴんと指で弾き、話を改めた。


「俺にはその回想と――」


 飛んで行った吸殻はちょうど半回転し、水の入ったスタンド灰皿にホールインワン。しゅんと音を立てて火種がその色を失う。


「この現状がまったくもって結びつかないわけだが」


 同時に逸れた一志のジト目が俺の左肩――俺がなるべく視線を向けなかった方――へと移動する。

 俺だってそうだよ。未だに状況が理解できてないよ。

 その返しを用意するのに一拍の間も必要としなかったはずだ。しかしそれが実際に口から出る前に、すぅっと小さく息を吸い込む音が左耳へと届く。


「えっ、なんでですか?」


 続けざまに生まれる、俺でも一志でもない新たな声。

 学内の隅にひっそりとたたずむ喫煙所の、おそらく第3の常連客となるであろうその声の主が、心底意外そうに目を丸くした。


「……意外とMっ気あるタイプなの?三吾ちゃん」


 そんな彼女をちらちら見やりながらベンチから身を乗り出した一志は、口元に手を添えながら声を潜める。


「俺が知る訳ねえだろ」

「性癖の話は今してません!というか今性癖は関係ないでしょう」


 釣られて声の色を消してはみるものの、そんな返しよりも数段大きな声で、三吾さんが反論する……つうか昼間っから大声で性癖性癖言わないの。年頃の女の子が。

 わかりきっていたことだが、この距離では声を押し殺すことに何の意味もなかった。いくら前のめりになったところで、対面に座る一志よりも隣に――それこそ、吐息が聞こえるくらい近くに――座っている彼女の方が俺の耳元には近い。

 ……それにしても、いつの間にかずいぶん距離詰められてるなオイ。一服し始めた時は俺と彼女の間にもうひとり座れるくらいのスペースは設けていたはずだが。


「いや……そうでもなかったらここにいる理由がないって。こいつにかなーりソルティな対応されたんでしょ」


 一志の呆れたような口調に思わず頷く。

 そこは大いに賛同できるところだ。更に言うなら隣で当人が聞いているという遠慮、そして少しの後ろめたさもあり、一志には事の顛末をかなりつまんで話した。それもあって与えた印象はかなりマイルドなものになっているはずだ。

 実際は塩対応どころか売られた喧嘩に熨斗のし付けて返したようなもんだし。


「いえ、それについてはやはりこちらに非がありましたし、後程しっかり謝りましたよ」


 ……にもかかわらず、ご本人がこの返答である。

 きっぱりと言い放った三吾さんの言を受けて、ホントにござるかぁ?と言わんばかりに眉間にしわを寄せる一志がこちらを向くが、俺としては再び首肯を返す事しかできなかった。

 


 ――事実なのだから仕方がない。

 威勢よく啖呵たんかを切って席を立ったまではよかったが、いざレジに立ったら札4枚では足りず、小銭をかき集めてギリギリという会計と財布の中身のせめぎ合いが発生。大いにテンパった俺はテーブルに端末を置き忘れていたことをすっかり失念したまま店を後にしていた。

 夜になってそのことに気付き、マスターが預かってくれていることを期待して自宅から電話を掛けてみると出たのは三吾さん。しかもどこかのオフィスらしき人いきれをバックに聞こえてきたその第一声は、今までのシーン全てとイメージを異としていた。

 明瞭な口調にどこか張り詰めた弓を思わせるもの緊張を纏った……今思えば、あの英語教授の『仕掛け』を見抜いた時のが最も近かった、かも知れない。

 そんなギャップに面食らっているうちに後ろのざわめきが遠ざかり、ややあって次に聞こえてきたのが、昼とは180度手の平返した謝罪の文句だったのだから、混乱は殊更に深まるばかり。

 どれくらい不覚に陥ったかといえば、繰り返される自らの非を認める言葉のうちに紛れた『端末を返したいので、またお会いできますか』という歎願を、碌にかみ砕かないまま承諾してしまうほどだった。

 ……そこは郵送なりなんなりあっただろ。俺。

 向こうも忙しくて最短でも週明けってわざわざ言ってたのに。

 あれだけ喧嘩腰に捨て台詞残して、ほいほい約束を取り付けるのもどうなのよと思い返した時にはすでにアフターカーニバル後の祭り。急に晴れやかな声に変った彼女が誰かに呼ばれて、慌てて通話を切った後だった。



「そんないけ好かない奴の端末拾ったら、俺ならバッキバキにして川にでも放り投げるけどなぁ」


 ――そんなこんなで今日。

 夏休みに唯一学校に顔を出す必要がある、成績表の返却日に至る。

 急に態度を変えた彼女の意図もわからないまま、ほとんど上の空で学校に来たもんだから、一志とも待ち合わせしていたことをすっかり失念していた。

 それを思い出したのは手元に帰ってきた端末の画面に映っていた、夥しい着信とメッセージを見た時。つまり一志は、俺と三吾さんが一緒にいるところに後から合流してきた形になる。

 だからというわけでもない……と思いたいが、どうにも一志には俺だけじゃなく、彼女にもいちいちやや突っかかるような物言いが目立った。


「そんなことしないですよ!こちらが……じゃなかった、思慮に欠いた言動をしてしまったのが原因だったわけですし」


 そんな奴にも律儀に反論する三吾さん。返し文句にもわざわざ一旦訂正を挟んでいるということは、彼女は彼女なりに思い返す所があって、本当に反省はしているらしい。

 ……まぁ、根っから悪い子というわけではないのだろう。3日前の1件だって、もとをただせば間違いを正してあげようという親切心おせっかいと、分かりやすく指摘しようという保護者うえから目線の賜物だ。決して悪意から滲み出た言動ではない。

 だからこそ質が悪いとも言えたが、本人に反省の色が見える以上、これ以上追及するのは不躾というものだ。


「だったら一言ごめんなさいで端末返して終わりでいーじゃん?」


 が、そんなことはお構いなしとばかりに容赦なく追撃を入れる一志。その口の端はやや吊り上がっていた。

 その顔は俺よりよっぽどSの称号がふさわしいと思う。あとこういうところが異性に相手にされないポイントだと思うぞ。


「そんなにべた付く必要もないっしょ。俺の学校唯一のフレンドにさー」


 ……いろんな意味で。

 敵愾心というより、単なる嫉妬のようにぶすくれる一志の姿を見て、寒気が背筋を走っていく。


「べた付いてなんかいません!なんなんですか石井君!この人!」


 否定しつつもとっさに距離を話した三吾さんが口を尖らせる。俺と一席打った時とは違ってたびたび声を荒げているのは、相手の言葉を同じ目線でしっかりと受け止めているから。早速反省が活きている証明と言えた。


「いーや近いかったね無自覚系か!達也こいつ多分性格悪ぃぞ!」


 ――あるいは、単にふたりの相性が恐ろしく悪いだけかもしれませんけど。

 この状況、仮に俺が関係ない第三者ならば成り行きを見守った方が楽しそうと傍観を決め込むだろう。

 しかし方や意味不明な唐突さで態度を変えた女子で、方や意味不明なジェラシーを燃やしている男子。いつ予想外の化学反応が起きてもおかしくはない。

 そして爆発オチとなった場合、その爆心地は間違いなく俺の立つ場所とイコールになる。

 故に、ここは事態の収拾を図るのが得策といえる。俺自身が燃えないために。


「まあまあまあまあ落ち着きなさいって……」


 けんかをやめて。ふたりをとめて。

 間に割って入ると同時にこちらを向き、物言わずして『お前はどっちの味方なんだ』主張する4つの眼光にたじろぎながら、昔を懐かしむ系の番組で流れていたフレーズを頭の片隅で思い出していた。

 ……いやまあ、止めるのはDIY俺自身なんですけど。

 

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