『未だフリーホワイト』

「ネオンに霞む月を背に ヒメモリバトは羽を広げ――」


 突如アルレディの歌詞を一説そらんじた俺に、向けられていた視線が鋭さを失う。驚きと不可解さに丸まったふたりの瞳は、やがて何かを考えこむように瞼を半分下ろした。


「……『沈黙の空』」


 一拍の間を挟んで、一志は曲名を答えながら傾げた首で真意を問いかけてきた。それに俺がリアクションを返す前に、小さく頷いた三吾さんが声を続ける。


「カップリングで初めて再生数が10万を超えたナンバーですよね。撮ったのはノブさんと旧知の仲である、イサム・ヒガシベ」


 ぴくり、と一志の肩眉が上がる。とっさに左手で口元を隠したのは、もしかしたら抑えの効かないニヤ付きを隠していたのかもしれない。

 まぁ、それも無理のない話といえる。奴曰く春先じゃクラスでもゼミでも誰彼構わずアルレディの話題を振ってみたが、反応した人間はゼロ。それどころかその所業が気味悪がられ、一志はボッチの道を邁進する羽目になったのだ。

 ……想像するだにいたたまれない。間違いなくトラウマとなった一件だろう。


「のちにイサム三部作と呼ばれるカップリング。同じ世界観で時系列を追って」

ディストピア反理想郷ポストアポカリプス文明崩壊以後・そしてシヴリヴァイヴ文明再生がテーマ。最後はノブさんの造語ですけど」


 阿吽の呼吸で、ふたりのやり取りは続く。

 それから時を経てついに――というべきか。曲の一節、それもサビじゃなく2番のBメロを訊いただけでMVの監督名まで返せる人間が現れたとあっちゃ、テンションも上がらずにはいられないんだろう。

 

「……ヒメモリバトは、ソロモン72柱の魔神ハルファスのことで――」

「その権能から、文明依存の人間同士が争って、やがてその利器で滅ぼし合うメタファーとして引用してるんだよな」


 三吾さんの続きを一志が引き継ぎ、口元から手をどけて口角を釣り上げた。もはや疑う余地はなし、その内に宿るものを確かに認めたと言わんばかりの柔らかな視線を受け、三吾さんもまた小さく微笑む。

 傍から見ればふたりは夕暮れの浜辺で殴り合った後の主人公と親友……というより、2,3合の打ち合いだけで互いの力量を読み取った剣豪同士に映る。

 その心は、素人が見ても何が起きているかわからないほどドープ濃くて深いって意味。俺だってそこまではわかんねえもん。


「根拠は」

「ライナーノーツ。あとは監督との対談にも書かれてるよね。『シネフィル』って雑誌だったっけ」


 ――流石です。

 感服した三吾さんの一言。今度こそふたりは互いの刃を鞘に納めたご様子だった。見合うその相貌にはもはやどこにも険は宿っていない。

 ともあれこれで一件落着。こちらに刃が向かなくてなによりだ。

 ……まぁ正直言って、はじめからそこまでこじれる心配はしていなかったんだけど。

 をしていない限り、初対面の人間同士を仲良くさせる最短の道は、同好の士であるという認識を得させて関係性をこじ開けることだ。まして話題の合う相手に飢えていた者同士。その欲求の前には意味の分からん俺プライオリティ権の主張なんぞ鼻くそ以下ですよ。

 付け加えれば一志は俺と違ってにわかのボロを出すレベルのファンじゃないし。


「ま、こんな感じで同レベルのグルーピー同士、仲良くやっていければ幸いだな、と」

「……そだな!これでチケットの抽選とかも楽になりそうだ」


 話をまとめにかかる俺に一志が打算的に乗っかって来る。それがお気に召さなかったのか、頷きかけた三吾さんの顔が曇った。


「あー……ごめんね。こいつこういう奴だから」

「なんだよこういう奴って。こういうのは協力し合ってナンボだろー?最近アリーナの倍率高くなってきてんだから」


 一志の脇腹に軽く肘を入れつつ謝ると、彼女は慌てて顔の前で手を振った。


「あ、いえ、そういうことではなくて」


 急に語尾を小さくして口ごもる彼女に、俺と一志は顔を見合わせて眉根を寄せる。


「そちらでの協力は、難しいと思います……実は、ライブには行けたことなくて」


 ――へ?

 有り得ない物事を見聞きした時特有の、間抜けな声がふたつ重なる。

 あれだけの知識と情熱を持っていて、生の3人を観たことないって、んなことあるか?


「いやちょっと待って?こないだ脱退後のMCがどうとか言ってたじゃん」

「実は、ARビューイングで見ていたんです。今までの全部」


 確かに今のご時世……ってか、親父の世代くらいからか。どんな小さなライブハウスにもARカメラが備え付けてあって、チケット料金よりちょっと安いくらいの金額で生配信を拝む事が出来るようにはなっている。


「えー!勿体ねえよ!いくら特等席っても、生じゃないと伝わらないもの、あるよ?」

「わかってますよう……」


 一志の驚きももっともだ。

 最前列で見るよりも間近――それこそ目の前で。さらに誰の邪魔をされることなく演奏を堪能できるのだからとそちらを選ぶファンもいるにはいる。

 だが彼女の口調は落胆と悔しさが滲んでいた。仮想現実で済めばいいというわけではなさそうだ。

 ……もしかして。


「あれ?学校外でいろいろやってるのがめっさ忙しい、とか」


 どこまで言ってよいものか。だがここでフォローを差し挟まなければ、三吾さんの無念に気づいていないであろう一志の悪気なき自慢が始まってしまう。ファンとして満足いかない環境に甘んじている彼女にとって、それはあまりに酷というものだ。

 わずかな逡巡の後にできる限りぼかした俺の質問を、彼女は少しだけ視線を泳がせた後に小さく首を縦に振って答えた。


「今日もこれから行かなきゃいけないところがあって――」


 そこまで沈んだ様子で続けていた三吾さんだったが、突然自分の言葉に気付かされたように顔を上げ、慌てた様子で時計を見やった。 


「そうだ、そろそろバスの時間!」


 叫ぶと同時にベンチに置いていたバッグを手に取り、俺の前を横切って階段へと歩き出す。その拍子にふわりと漂った甘い臭いに気を取られているうちに、一志が難しい顔色で呼び止める。


「ちょっと待った。今日夏休みダイヤだから、この時間バス来ねえべや」

「……えっ?」


 たっぷりの沈黙を挟んで、今度は三吾さんが信じがたい言動を耳にした様子の声を漏らす。


「なつやすみ、だいや?」

「9月まではバスの本数減ってるよ。暦の上じゃもう学校休み入ってるんだから」

 

 ――知ってんべ?

 と続ける一志の言葉は、後半あたりから全く耳に入っていないご様子。これが漫画なら黒目がなくなって、背景にベタフラ走ってんだろうな……

 思わずそんなことを思い浮かべてしまうくらい、彼女は分かりやすくショックを受けていた。ふらふらとよろめきベンチの背もたれに片手をついたかと思うと、今度は恐ろしい勢いで端末に指を走らせ、運行ダイヤとスケジュール表に目を走らせている。


「嘘、やだ、どうやっても間に合わない」

「タクシー呼べば?」


 あっけらかんと言い放つ一志にぱっと顔を明るくする三吾さんだったが、その提案が希望に繋がっていない事を知っている俺は、ものすごーく申し訳な気持ちを抑えつつ、上げた手のひらで制する。


「休みだから、乗り場に停まってないっしょ……こっから配車してもらうと20分以上掛かるよ。バス待つのと大差ない」


 付け加えた一言が止めとなり、彼女は打つ手なしと悟ったのだろう。頭に手を当ててよろよろと壁にもたれかかってしまった。

 あまりの凹みっぷりに心配になって近づくと、『私…いないと』やら『…かげ』やら『今日しか…』やら何やら早口でひとりごちているのが聞こえてくる。


「あれヤバいんじゃないか?いろんな意味で」

「ああ。いろんな意味でヤバく見えるな」


 いったんさっと身を離し、一志と耳打ち。

 あの様子だと、この後に控えているなにがしかに間に合わないことは、彼女にとってどうあっても承服しかねるものらしい。少なくともテンションの急降下を目の当たりにした俺たちが「それはお気の毒に」の一言で済ませられるような雰囲気ではなくなっていた。

 さすがに薄情が過ぎるだろう。あとなんかなんもしないと後怖そうだし。


「そうさな……」


 今度は俺たちが妙案を探す番となってしまった。

 とはいえ策そのものを見つける苦労は、初めからない。


「……どーする?」


 どちらからともなく、視線はベンチに並べている互いのヘルメットに向いていた。

 バスもタクシーもダメで、彼女の思いつかない解決策という条件では、真っ先に思い浮かばない方がおかしいのだ。


「……俺の貸すからお前いけよ。図書館ででも時間潰してっから」

「えっ、やだよ。断られたら立ち直れない」

「初めにフラグ立てたいっつったのお前だろ」

「俺のメット貸すよ。レーレプより乗り心地いいべ」

「ヘタレか。またとないチャンスだろ今」

「いや、それ以前にあの状態で後ろに乗せるの怖ぇよ。事故以外も」

「……それはある」


 彼女に聞こえないように――見た感じ未だから戻ってきてないので、その気遣いも必要ないかもしれないが――小声で続いたヒーロー役の押し付け合い。

 それもまた、どちらからともなくじゃんけんの構えを取ったところで終わりを迎える。


 ……驚きだったのは、妙に気合を入れる一志を前に、別に勝っても負けてもいいかと思い始めていた自分がいたことだ。面倒を避けてきていた、この俺が。

 近い価値観を持ち、存分に語れるとの出会い。それが水泡に帰さなかったとわかって、自分で思う以上に嬉しかったのかもしれない。

 俺と会った時の一志も、きっとこんな気分だったんだろう。




 ――その時はまだ、そう思っていた。


 

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