74『明日に向かって跳べ!』

「へ……?」


 再び静まり返った倉庫街に、男の間抜けた声はそれはもう良く響いた。状況を把握した巨漢が今更慌てて三吾(偽)の倒れていた場所にバタバタと駆け寄っていく。


「今、何が起こった……?」

「いや、あの」

「お前見てたんだろ?!」

「俺もよく見えなくて……ど、どうしましょう」

「どうしましょうじゃねぇよ出口囲め!」


 焦りのあまり本性むき出しで慌てる男と、その体に似合わずしどろもどろになる巨漢とで交わされる喜劇映画のようなやり取りに、隠れている俺もつい吹き出しそうになった。


(けど、そうそう笑ってる場合じゃないか)

 男の指示で複数の足音が迷いなく一方向へと向かっていく――という事はやっぱり出口は一つしかないという事だ。

 一瞬、この体なら飛び越えられるかとも考えたが、改めてフェンスを見上げると、上端が橋げたと密接していた。

 こりゃ駄目だ。飛んだところで体が通る隙間がなければ意味がない。

 

「うぅ……ん」


 息を潜めて頭をフル回転させていると、不意に小脇からうめき声が聞こえてきた。抱えているときに息遣いとそれに応じてお腹が膨れる感触は伝わってきたので、恐らく眠らされているだけだと踏んだからか、一瞬完全にその存在を忘れていた。

 どう動くにしろ、まずは寝ている彼女を起こすのが先決か。肩をゆすりながら頬を軽く2、3度叩くと、今度は不快そうなうなりと共にその瞳がゆっくりと開いた。


「あれ……石井、さん?」

「おはようございます。つうか約束ほっぽり出して何道草食ってんすかアンタ」

「……ふぇ?」


 未だ意識が戻りきっていないらしく、ねぼけ眼でこちらを見やる彼女に向かって冗談交じりに口を尖らせる。一拍遅れて正気を取り戻した彼女は目を白黒させて辺りを見回し始めた。


「あ、あいつ――」


 ――ちょ、待て待て!

 大声で叫ぶ三吾(偽)の口を手で慌てて塞ぐ。しばらく完全に息を殺すが、相手がこちらに気付いた様子はない。大方の見張りが出口に殺到していったのが幸いしたか。思わず塞いだ口の端から小さく安堵の息が漏れた。

 ――が、こちらが袋のネズミになっている現状は変わらない。


「アンタ捕まった。奴らデータ要求してきた。俺が交換して助け出した。オーケイ?」


 三吾(偽)の口を押えたまま最小限の言葉で現状を伝えると、苦しそうに指の隙間にもがもがと息を吐きながら首を縦に振ってきた。納得してくれたというサインと受け取った俺はそこで初めてゆっくりと指を離す……うわ糸引いた。汚ねっ。

 開放された彼女はというと、へなへなと地面に座り込んだかと思えば、眼付きだけをやたらとギラつかせてこっちを睨むなり――


「ちょっと待ちなさい!データ渡しちゃったわけ?!」


 全然納得のサインじゃなかった――。

 思うさま反響する怒鳴り声に思わず天を仰ぐが、悔やんだところで時既に遅し。

「こっちから聞こえたぞ!」といったニュアンスの声が幾重にも重なり、足音が大挙して押し寄せてくる。


(ヤバいな。囲まれたっぽい)

 出口方向は当然として、途中でばらけた足音は全方位に広がっていた。コンテナが作り出す碁盤の目、四方全てを塞がれているかもしれない。となれば今から慌てて動いたところで、すぐに鉢合わせてしまうだろう。


「ど、どうしよう……」

「いやいやこの事態招いたの誰ですか……ああもうしっかり立って!」


 へたり込んだまま頭を抱える彼女に激を飛ばす。いつも余裕と皮肉を込めた笑みを絶やさず、ナチュラルに人を下に置くスタンスでいる彼女のイメージとは正反対の姿だった。


「データの事は今考えなくてもいいですから。まず落ち着いて」


 腕を引っ張り彼女を立ち上がらせる間に、なおも足音は着実に包囲を狭くしてくる。ならば人数差を覆すのも、ひいては全員を倒すのも不可能ではないだろうが、大立ち回りを演じてしまう事だけは避けたい。

 テンパりっぱなしの彼女の身を守りながらとなると、無傷で切り抜けるのは容易ではないだろうし、隙を見て奪い返されたら一巻の終わりだ。

 そして何より、

 相手はもう元へと戻れない被験者などではなく、悪知恵の回るだけの単なる人間だ。社長たちの前でサンドバッグをぶち破る派手な蹴りを披露はしたが、あれはあくまで単身助けに行く提案を受け入れてもらうためのパフォーマンスに過ぎない。

 もし加減を誤った蹴りが体を貫こうものなら、今度こそどんな弁解も通じない、正真正銘の人殺しになってしまう。

 となれば手はひとつしかなかった。

 両脇に2つずつ積み上げられ、通路を形成しているコンテナ。その上端を睨み付けて、膝を何度か曲げ伸ばし。


「いけそう、かな」


 呟いて腿を擦り、ぐっと腕を上へ伸ばしたところで察しがついたのか、三吾(偽)が目を丸くした。


「そんなの、出来る訳ないでしょ?!」

「「「こっちだ!」」」


 ……また大声。今度は完全に隠れている場所の見当を付けられてしまったようだ。足音が迷いなくこちらに近づいてくる。


「……俺の脚力見たでしょ?ジムで」


 が、浮かんだ逃走経路は奴らには行くことのできない道だ。活路を弾き出した頭は動じない。


「貴方は出来ても私には無理!」


 ――いやアンタも同じ体でしょ?

 呆れながらそう返そうとするが、突然顔を照らされた眩しさに文句が引っ込む。


「いたぞ!」

 

 3つ先の辻からこちらにライトを当ててきた男が叫ぶ。どうやら押し問答している時間もなさそうだ。もう一度コンテナを見上げ、鏑木と飛んだ建物の窓を思い出す。その半分にも満たない高さだ、重しを抱えたところで何とかなるだろ、多分。


「失敬」

「きゃっ!」


 走り寄ってくる一団に目もくれず彼女の足を払い、倒れかける背中を右腕で支え、左手で膝の裏から足を持ち上げる。


「しっかり掴まっててくださいよ」

「でも――」

「渡したメモリ、中空っぽですから。捕まったら楽には死なせてくれないでしょうねー。ゴーモンとかされちゃうかも」


 軽口を叩きながら彼女の膝下と背中に腕を通し直し、正面でしっかりと抱きかかえた。


「……ひっ」

 

 迫る無数の影にか、それとも捕まった先に待ち構える事への恐れからか、思いのほか素直に首に手を回して来る。

 こちらを締め落とす気かと思うばかりのホールドが苦しいが、ひとまずこれで準備は完了。


「……せぇ」


 眼前まで伸びて来た追っ手の腕をスゥエイバックの要領で避け、同時に体を沈み込ませ――


「のっ!」


 一気に膝を伸ばす。


「――ああああああっ!」


 響く三吾(偽)の絶叫に紛れて、切り裂く風が耳の傍でびゅん、と鳴く。

 身体は積み上がったコンテナよりもさらに高く踊った。重力に逆らう力が消えていく感覚と同時に、着地に備えて膝を再び曲げる。


「……はあ?」


 耳に重く響く音を立てながら着地したコンテナの下で、そんな間の抜けた声がいくつも生まれていた。まぁ目の前で成人女性を抱えた一般人による棒無し棒高跳びを見せられては無理もないだろう。

 足に伝わる反動に歪む顔を上げ、周囲を見渡してフェンスの切れ目を見つけると同時に走り出す。コンテナの切れ目を飛びながら意識を集中させると、密集した気配が急速に後方へと流れていくのを感じた。

 こちらの隠れた場所を見つけて、絶対に逃がすまいと入口に詰めていた人員まで総動員したのだろう。

 結果から言えば、三吾(偽)の絶叫が功を奏したと言える。いや褒めないけど。


「……よっしゃ」


 ぶっつけ本番の成功に、口の端が吊り上がる俺とは対照的に、遠くから微かに男の悔しそうな叫びが聞こえ、すぐに遠ざかって消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る