第8相

72『揺れぬ前提・揺れる天秤』

 病院に着く頃には、日付はとっくに変わっていた。正門を迂回して裏手に回った先導の車は、恐らく職員用と思われる駐車場の端に、ただの一度も切り返すことなくそのテールを収めた。

 消えるヘッドライトの灯りとエンジンの音に、俺もギアをニュートラルに入れて辺りを見回してみるが、どうやら空いているのはその1台分のスペースだけ。駐輪場はそもそも存在すらしていないようだ。


「あのー……俺は、何処に停めれば?」


 あまり期待せずに、ドアを締める運転手に向かってシートに跨ったまま訊ねてみるが、さも当たり前のように無反応でこちらを見返すのみ。暫く待ってみても、ひと昔前のロボットですらもう少し自然にやるだろってレベルの瞬き以外は、誇張抜きに微動だにしない。


「その辺、適当に停めちゃっていいんですか?」


 その態度にある種の既視感を覚えて、なかば諦め半分で質問を変えてみる。

 やはりというべきか、そんなイエスオアノーの2択すら返してこないまま、運転手はこちらがバイクを降りるのを待っているかのように、躍動のない目線を向けてくる。

 埒が明かないので、仕方なしに壁沿いにスタンド降ろす。それを待っていたかのようなタイミングで歩き出した運転手の後ろを着いていくと、通された先はいつもの院長室――ではなく、地下の射撃訓練場だった。


「来たか」


 先に部屋にいた院長がこちらの姿を見るなり短く口にすると、すぐに俺から視線を外し、斜め後ろに佇む運転手に目で合図する。すると彼はそれだけで院長の意思を察したかのごく、深く一礼して部屋を後にした。


「あの人は……?っていうか、ここの存在ってあんまり広まっちゃまずいんじゃ……」

「心配ないよー。家に帰る頃には自分がどこにいて何をしたか、全て忘れているからさ」


 演技ががった俺のカマ掛けを見抜いているのかいないのか、あっけらかんと言い放ったのは、壁にだらしなく寄りかかっている社長だ。それから思い出したように片手をあげ、「お疲れさん」と気の抜けた挨拶をしてくる。


「やっぱり、同じ穴の狢ってことか」

「まあねー」


 何の躊躇いもやましさも隠さず同意を返す彼の態度に、瞬時に確証を得た……と思ったが、そこに院長の尖った口が割って入る。


「適当な事を言うな。原料は同じだが、君に投与しているものとは別だ。催眠作用しかないものさ」


 間髪入れずにそれよりも、と続け、院長はこちらの口出しを許さない。これ以上問い詰めても無駄と踏んだ俺は、手近にあった腰高のラックに尻を乗っけた。


「美恵君と連絡が取れなくなったすぐ後に、ここの受付と」

「僕に当てて親展で届いた。どうあっても聞いてほしいメッセージみたいね」


 懐に手を差し込しこんだ院長と、上着のポケットに手を突っ込んだ社長が、それぞれそこから全く同じ、アルミで出来た細長い棒のようなものを取り出す。


「君にも聞いてほしい」

「っとと……」


 うす暗い訓練場にはまだ目が慣れてこない。いきなり放られ、危なっかしくも何とか両手で受け取ったそれは中央にモニターの着いているボイスレコーダーだった。

 掌で収まるサイズのそれと院長とに視線を往復させると、彼は小さく頷く。再生ボタンに指を押してから一呼吸おいても、ひりつき始める心の焦りは収まらない。






 ※     ※     ※






『この音声を聞いていただけているという事は、三吾社長、並びに藤沢院長に我々のメッセージが届いているということだ』


(あれ?この声って……)

 身元が割れない絶対の自信があるのか、それともあの社長の前では意味がないと悟っているのか、変声機も通していないそのくぐもった声にはどこかで聞いた覚えがあった。

 頭がおぼろげな像を結び始める間にも、感情を乗せない平坦な声は続く。


『……まさか、人肉を用いてまで極秘裏に実験を行っているとは。あの男が話を持ち込んだときから今まで、疑念がぬぐえずにいたが、何も知らずに持ち込んだあの間抜けな研究員には感謝の言葉もないよ。おまけに愛娘までクランケにして巻き込んでいるとなれば、君たちが何らかの巨大なプロジェクトを動かしていることはもはや疑いようもない。そこで社長、かつて君に振るわれた手腕を真似て、いささか野蛮な手を使わせていただいた」


 奥歯を噛んで腕を組み、眉間にしわを集める院長と、あくまで飄々としたスタンスは崩さないまま、瞳の奥だけに鋭さを宿す社長。

 間に挟まる俺はと言えば、だんだんと蘇ってくる声の主の顔と、それに伴って湧き上がる悪い予感のせいで、脇にじっとりとした湿り気を覚え初めている。


『さて、本題に入ろう。君たちも察している通り、三吾社長のご息女の身柄は一時、こちらで預からせていただいている。我々の要求は君たちが進めている研究の進捗を記したデータだ。それらを全て外部メディアに記録し、こちらが指定する場所に持ってきて頂きたい。無論、取引に現れる人間はひとりまでとさせていただくよ。

 刻限は明日の夜明けまで。それまでに何の反応もない場合……まぁ、こちらとしてもご息女の顔を歪めるのは本意ではない。懸命な判断を期待する』


 続いて連絡先――恐らくと呼ばれる使い捨ての端末のものだろう――を示す数字の羅列を最後に、モニターの上で無機質に刻まれていた再生時間を示す数字が止まる。

 頭の奥から沸いてきた実体のない痛みに右耳の上へ掌を乗せて頭を掻きむしりながら、意味はないというのにレコーダーへと釘付けになっていた目を院長に戻すと、彼は苦虫を噛み潰したような表情で両手を組み変えていた。


「よく口の回る男のようだな」

「俺のせいじゃないか……」


 最後の最後でやっと思い出した体たらくだ。間抜け呼ばわりも無理はない。

 声の主は、事実何も知らずに分析に出した俺から肉の切れ端を受け取った、あの西山と名乗る人間だった。

 それから俺が拘留され、院長が身元を引き受けに来た事という事が、彼らの想像に確証を与えてしまった事くらいは、容易に想像がついた。


「半分は啓示に対する私怨でもあると思うがね。こいつの辣腕に泣かされた同業者は決して少なくはない」

「やー、僕ってば人気者なんだから」


 なるほど、恨みを全方位に買っている社長相手ならば、音声を加工しなくともすぐには身元をめくられまいと高を括ってのことか。

 さすがの彼もせいぜい間抜けな末端研究員にしか見えなかった男が、まさかこうして責任者たちと顔を突き合わせてこの会話を聞く事は予測していなかったらしい。


「さて……これからどうするかだが、奴が啓示の私兵の存在を知っているかは知らんが、向うが場所を指定してくる以上、数に物を言わせて奪還……というのは難しそうだ」


 場を仕切り直した院長に頷く。人数と場所を指定してくるという事は、そこには向こう側の護衛が大勢待ち構えているだろう。対抗するためにこちらも雁首がんくびを揃えれば、交渉をふいにされて彼女に危険が及ぶ可能性は跳ね上がる。


「かといって、大人しくデータ渡すわけにもいかないんだよねぇ。どーせそっから延々集たかられるのが関の山だし。従うのはナシで」


 あっけらかんと言い放つ社長へ、院長が反射的に鋭い目を向ける。

 だがその言葉も無理はない。渡したところで彼女の身柄が解放される保証はどこにもない。その不利益を前にした彼のリアクションはむしろ当然と言える。

 ……彼女が本物でないならば、なおさらだ。


「なら、どうにか受け渡しの場に三吾さんを連れてきてもらえないかな?」


 けど、こっちはこっちではいそうですかと切り捨てられない理由が在る。ぽつりと呟くと、社長がこちらに目を向けてきた。顔は相変わらずへらりとした笑いを張り付けているが、その瞳だけは更に細さを増して、こちらを試すように射抜いてくる。


「同時交換に持ち込むか。それならば……」

「いや、どうせ連中山ほど護衛を連れてくる。美恵の顔が見れたところで力づくで奪われておしまいだよ」

「ならどうするんだ。否定ばかりしてないでお前も少しは考えろ」


 院長の激を受けて、彼は顎に指を当てて「そーだねー……」と唸るが、一向に案を出す気配はない。だが、決してアイデアが出ていないという訳ではないようだった。その証拠に彼の視線が一瞬だけこちらを向き、目が合ったとたん小さく頷いた。

 どうやら俺と考えている事は同じらしい。大きく息を吐いて腰を上げ、傍にあるラックに指を掛ける。


「俺が行きます」


 そこから自分の着替えを取り出して告げると、院長がはっとしたように顔を上げた。


「駄目だ。君まで奴らの手に落ちてしまうリスクは――」

「言ったじゃないですか。どう見積もったって半分は俺のせいですよこの案件。ここで下手打って死なれても目覚めが悪いし、後の行動にも影響が出ます」


 アンダーウエアと靴を履きながら院長の抗弁を塞ぐ。なにより彼女は俺の過去に繋がる最大の手掛かりだ。

 無理くりポジティブに考えれば、三吾(偽)は拉致られなければ今頃本当に話すつもりだったかもしれないし、このまま見殺しにしたらそれこそ永久に機会が失われてしまう。

 ――という続きは胸に秘めて、俺は静かに直したばかりのサンドバッグの前に立ち、左足を引く。


「それに、俺ならば連中の虚を突くことが出来る、か」


 そこで言葉を切り、軸足を外に向ける。初めてこの巨大な柱と対峙した時とは違う、反動を気にしないフルパワーを込めて腰を捻った。


「もっ!」


 振りぬいた左脚がサンドバッグを捉え、空気を入れ過ぎたタイヤの破裂を何倍にもした轟音を鳴らし、中の砂をぶちまける。

 うす暗い部屋の中に水の流れるような音と白い煙が舞い、社長の上機嫌そうな口笛が響いた。


「……ね?」


 始終を眺めて呆けている院長に向かって念を押すと、彼はしばしの逡巡の後に、渋々首を縦に振った。


「まあ、いつもみたいにサポートはお願いしますけど」


 もちろんだ。と頷く院長と、こりゃ面白くなってきたと言わんばかりに顔を緩める社長。それぞれの顔を見比べてから、俺はバイクのキーを取り出す。

 西山とか言ったか。要求通り用意してくれた虎穴には1人で行ってやる。

 恨むならって条件を加えなかった、自分の間抜けさを恨んでもらおうかな。

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