71『彼女がここに来ないワケ』

「お、戻ってきたな」


 ガレージの前まで戻ると、メットを被った一志が自分のバイクにも火を入れ、暖気して待ち構えているのが見えた。


「……2ケツじゃあスポレプには勝てんわな」


 バイザーを上げて呟く俺を見て、高柳が一瞬目を丸くした後、喜色に顔を明るくして、にっと白い歯を見せる。


「収穫あり、ってところか。お前らが付き合い始める前は、良く3人でその辺走り回っていたぜ、授業抜け出してさ。直線差し掛かる度に無理やりスピード上げさせられてたよ、お前」

「スピード狂かい」

「でもいくらこっちの方がスピード出るぞって言っても、俺の後ろには乗らなかったかんね。そん時に大体察しはついた」


 そう軽口を飛ばし助平に目を細める一志に苦笑を返す。


「……なぁ、一志から見る美恵って、どんな印象だった?」

「あ?うーん……授業とか、たまたま1人でいるのを見た時とかは割と物静かなお嬢様って感じだったけど、お前といるときはとにかくテンションが高かったかな。まるで普段抑えているものを発散させてるみたいなさ」


 やはりフラッシュバックで聞いた声と同じく、一志から見ても美恵は明るい表情の方が多く印象に残っていたようだ。


「それと……どこだったかなぁ。一度学校の外で鉢合わせしたことがあるんだけど、完全にシカトされた。多分男はお前以外に興味なかったんじゃね?俺はさしずめお前の添え物」


 冗談めかして口をすぼませる一志を見て苦笑を浮かべながら、俺はまた矛盾を覚えていた。

 普段の社交的な性格ならば、俺を介さずとも挨拶くらいはしそうなものだ。完全に無反応という事はあまりに極に振れ過ぎているというか。


「そこまで言わなくても……ありがとう、いろいろ思い出したよ」

「それは良かった。んで、どうする?一応おばちゃん帰ってくるまで待つか?」


 少し考えた後、首を振った。

 家の中にも手掛かりは隠れているかもしれないが、これだけの状況証拠が揃い、しかも夜には答え合わせの機会まであるのだ。家を漁るとなれば母さんとの対面、そして詰問は逃れられない。

 病室での短いやりとりでさえ、隠し通すのにかなり難儀したのだ。それをホーム――いやまあ、俺にとってもホームっちゃそうだけど――で相手取るとなると、全くと言っていい程バレない自身は湧いてこなかった。

 病み上がりに余計な気苦労を掛けるメリットは薄いだろう。


「いや、それより飯がてら軽く走りに行こう。高尾の蕎麦でも食おうよ」

「いいね」


 帰ってきた母さんがバイクが急になくなって驚くかもしれないが、息子の現状を知るよりは心の負担は軽いだろう。後で和也伝いにでも連絡を入れておけばいい。

 考えているうちに早速走り出した和也の後を追い、俺はアクセルを捻った。






 ※     ※     ※






(待ち合わせの場所は間違ってないと思うけど)

 担がれたかと端末から顔を上げ溜息をひとつ吐いてから、広場のベンチから立ち上がる。

 早めの夕食を済ませて一志と別れてからバイパスを飛ばして1時間弱、待ち合わせに指定された時間をたっぷり20分過ぎても、未だ三吾(偽)が表れる気配どころか連絡のひとつもない。

 ――駐禁、切られてないと良いけど……。そろそろ裏の通りに止めているバイクも気になってきていた。人や車の気配は少ないが、それをいちいち見に戻っている間に彼女が来てしまえば本末転倒だ。

 ひとまず一度構内に入り、余白の目立つ時刻表を睨んで次に電車が来る時間を確認する。会社の人間の目を気にしてか、三吾(偽)は夕方になって待ち合わせ場所に、いつぞやの鏑木以上に辺鄙な駅を指定してきた。お陰で今、俺は会社と家を挟んで間反対のクソ田舎に立たされている。

 仮に今すぐ彼女が姿を見せても、これから話しを聞いて家に着く時間をシミュレートすると、帰る事すら億劫になるレベルだ。

 それでも念の為、もう1本電車を待ったが、やはりホームを潜るまばらな人並みの中にその姿が見える事はなかった。

 これ以上待っても無駄そうだ。無意識に張り詰めていた緊張が解けて口から大きなあくびが出た。

 ……まったく、言う気がないならそう言えっての。

 しかも直前に場所をこんなド田舎に変えてくるという手の込みよう。全く見事な嫌がらせとしか言いようがない。嫌われているのは承知の上だが、その原因となった過去を聞き出しに来たのに、結果無駄足とあってはさすがに気分も落ち込む。

 目じりの涙を指で拭い、ポケットからキーを出そうとしたところで、思い出したように端末が震えた。

 ――今更キャンセルの電話か。最後の最後に再びこちらの神経を逆撫でとは、手の込んでいるこって。


「あいもしもし石井―『石井君!大丈夫か?!』


 まだ抜けきらないあくびを隠そうともせず応答した俺の声に、怒号と聞きまごう程の声量が被さる。


「うわっ!」


 思わず叫び、背筋を伸ばす。聞こえてきた声が反射的に耳から端末を離す程大きいものだった事よりも、その主である院長の、今まで聞いたことのないほどに緊迫した様子が、身体から倦怠と眠気を吹き飛ばした。


「いや、別に……なんすか藪から棒に……」


 立ち止まってしまったせいで誰かと肩がぶつかる。頭を下げながらひとまず改札から離れ、適当な壁にもたれながら次の言葉を待った。


『そうか……まだ帰っていないだろう。何故そんなところにいる』

「いえ、野暮用で……」


 仔細を適当にはぐらかして答えると、スピーカー越しでも彼の渋面が浮かぶほどの唸り声が続いた。

 三吾美恵を演じている者の正体を知る――すなわち、自分が彼女に取られ続けている態度の答えを知ることが、他人の手による自分自身の記憶の補完に当たるのか、といえば微妙なラインに思える。

 院長はどこかで俺と三吾(偽)が待ち合わせていると知り、妨害しようとしているのか?

 いや、それにしては態度が不自然すぎる。そもそも駐車場で交わされた俺と彼女が会うという約束を知るには、三吾(偽)が直接彼に言うしかない。となれば俺がここにいる理由を今更問い直すのはおかしい。

 何より電話口の向こうの声から、普段の院長が取る態度とはかけ離れた焦りが伝わってきていた。

 そこまで考えて直感する。恐らく、主題は俺じゃない。


「何かあったんですか?」

『……美恵君が何者かに拉致された』


 一瞬言葉を失ってから、そら道理で来れない筈ですねーアハハという冗談じみた文句が頭に浮かんで来て、そのまま声に出しそうになる口を慌てて手で押さえる。

 予想の斜め上を行く返答で、一瞬頭の中が振り切れてしまっていた。


「いやいやいやいや!マジですか……?」

『冗談を言っている場合ではない。それも、体内のナノマシンを殺されている』


 その言葉の意味を推し量った体が、無意識のうちに辺りに目を配らせた。幸い……というべきか、目の届く範囲には人影のひとつもない。


「どっから情報漏れたんですか……」


 声は独りでにひそまっていた。

 蘇生薬の被験者に処置されたナノマシンは、常に簡易的なバイタルデータと共に位置情報を社長や院長に発信している。そして、その事実は過去の俺のように本人すら知らされていないほどに機密が徹底されているはずだ。

 それを知った上でナノマシンを無力化しているとなると、三吾(偽)を攫った相手はある程度こちらの手の内を知っていることになる。


「恐らくは、唐津課長が取引を持ちかけようとした相手だろうな。とにかく、君まで同じ目に逢ってしまっては困る。そちらに迎えをやるから、人気のある場所から動くんじゃないぞ」

「いや俺バイクなんですけど――」


 こちらが有無を言う前に通話が切られる。その途端、ひとり取り残されたような心地を覚えて、背筋を冷たい汗が伝った。

 ほとんど無意識に壁から背中を剥がし、踏み出す足が駅の構内、少しでも光と人の多い場所へと向く。

 遠くから院長の使いが運転する車が見えるまでの時間が、恐ろしく長く感じた。

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