59『小窓の中に映るモノ』

「そういえば、何回かひとりじゃない時あったよね……っと」


 和也の手の中でピピ、と軽い音を立ててカメラの電源が入った。薄暗い個室に昼白色の光が映える。


「それは?」

「コンデジだよ。俺は兄ちゃんの友達の名前とはかわからないから、見てもらった方が早いかなってさ」

「撮ってたのか?俺を?」

「最初は迷惑がられたけどね……兄ちゃんに」


 パネルを弄りながら軽く笑って返す和也。その光景には覚えがあった。




『やめろって、撮っても面白かないだろ』

『いいじゃん。減るもんじゃないしさぁ。いきなり友達撮ったら怒られたんだよー』

『……俺だって怒るわ』




「あ……」

「思い出した?」


 呆けた声を出す俺にデジカメを差し出しながら和也が訊ねてくる。首肯を返しながらそれを受け取り、背面の液晶に目をやると、9分割されたサムネイルが表示されていた。風景や実家の外観を収めた物に混じって1枚、昔の俺らしき人物が映りこんでいるものがある。


「よかったよ、メモリが大容量のやつでさ。古い奴がまだ残ってた。右にある大きいボタン押すと選んだ奴拡大されるよ」


 和也の説明通りにカーソルを合わせ拡大させると、被写体はやはり俺だった。大学のキャンパスを背景に迷惑そうな半眼でレンズを睨みつけている。右下に記載された日付から、この写真は入学間もなくに撮られたもののようだ。


「いきなり家を出た後だったっけ……アパートも撮ろうとしたらすごい剣幕で怒ったよね。場所がばれるとかでさ」

「あー……」


 しみじみと懐かしむ和也を見ながら記憶を手繰るが、明確な情景は浮かんでこない。しかし親父と離れたい一心で1人暮らしを始めたばかりならそれくらい念を押しそうなものだ。思い出せなくても容易に想像は出来た。


「そっからちょいちょい兄ちゃんの写真が挟まるはずだよ。逢う度に撮ってたからね」


 和也の言うとおり、その写真を皮切りとして俺の映りこんでいるものの頻度が高くなってきた。そのタイミングで店員が運んできたキュウリの浅漬けを見て、自然と箸に手が伸びた。肉ではない、ということもあるが、手掛かりが近づいている事に気分が上がっているのかもしれない。

 取り分けた皿に目を向けずに塩を振り掛けながら、次々とプレビューを送っていく。


「兄ちゃん、キュウリ真っ白になってるけど……」

「いいんだよ」


 聞き流しながらなおも片手は瓶を振り続け、眼は次々に映し出される写真を凝視。実家の外観、駐車場に置かれた俺のバイク、母親和也のツーショット、地元の駅、そして――。


「ん、これは高柳か」


 日付から察するに2年の前期だろう。未だ笑顔が引きつっている俺に肩を組み、対照的に白い歯を見せる彼が映っている。


「そうそう、他しかその時は珍しく友達といるなーと思ったら、授業サボって一服してた、とか言ってたね」


 そこで彼の言っていた『サボりトリオ』の事を思い出す。もしかしたら残りの1人もどこかに映るっているかもしれない。


「ていうかお前、学校は?」


 画像にはもはや1ページに1枚以上のペースで俺が映り込んでいる事に気付き、ふとした疑問を尋ねる。これでは奴は平日と思しき日に、それもかなりの頻度で俺の大学を訪れている事になる。


「あー……その時は創立記念日、他は放課後とかに」


(こいつ、体よくサボってたな)

 天井に目を逸らす和也を薄目でみやり、はーん……と鼻を鳴らす。そのあたりは兄弟なのだろうか。それでも成績を落とさずに大学の推薦を勝ち取った辺りは流石だが。


「お前も案外そういうところ――」


 浅漬けを噛みながらかちかちとボタンを押す手が、ある1枚の写真が映し出された途端、意識せずぴたりと止まった。


「あ……?」


 目に映りこんだものを信じる事が出来ず、口からは間抜けな声が漏れた。

 並木の中央、照れくさそうに頬を掻く俺の2の腕に腕を回し、もう片方の手で胸元のリングをカメラに向けて掲げながら女が笑っている。

 その細まった目、癖ひとつなく肩まで伸びる黒髪、右腕に巻かれた皮ベルトの時計にも見覚えがあった。赤いフレームの眼鏡だけがなじまないが、それでも――。


「――やっぱり、彼女さんの事を思い出そうとしていたんだね」


 そんな俺の様子を見た和也は、軽いため息と同時に重い声を放つ。


「……ウッソだろ、お前」


 その結論に全く考えが及びもしなかった、と言うわけではない。そう判断する要素はいくつかあった。

 だからこそ、あの場で「何処かで逢った事は無いか」などと口から零れたのだ。

 だが――。突き付けられる事実に熱を持ち始める思考から、まるで分裂したかのような論理的な考えが否定を重ねる。

 そこから続く今日までの行いも、他ならぬ本人自身もそれを否定していたはずだと。

 だが、どれだけ頭が混乱しても、データ現実が書き換わる事はない。写真の丁度中央、俺の二の腕のすぐ横に映し出されていた顔は他でもない、三吾美恵そのものだった。

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