第6相

58『仕掛ける側へ』

「……以上が今回の段取りだ。何か質問は?」


 あれから2週間が過ぎ、俺達は再び藤沢総合病院にて次なる目標を追い詰める算段を訊いていた。


「私が――」

「つまるとこ拉致るってことですね。今回のターゲットは警戒心が強く誘い込めそうにないから」


 三吾の言葉を砂霧、手渡された変装用の帽子を手の中で遊ばせる。


「三吾さんは駅から尾行、俺は先回りして目標のアパート近くで待機。最寄りの角からは一直線なんでそこまで来たら三吾さんはバイザーと獲物を取りにいったん離脱。で、俺が路地に引き入れてふん縛る、と。タゲの体格差を考えても役割に異論はないです。ステージ進行ぎりぎりの相手じゃないから、三吾さんのリスクも低い」


 コイツでどこまで変装できるかは分かりませんけど、と呟きながら広げたコートに半眼を向ける俺を見て、三吾はその顔に不快感よりも驚きを表す。


「それじゃ、移動しますか」


 それに一瞥をくれることもなく手順をそらんじ終え、さっさと席を立ち廊下へと歩き始める俺の後ろから、ひそひそと2人の声が聞こえてきた。


「……何かあったんですか?」


 あの様子だと、彼女は俺が既に人肉――とそれに伴う通過儀礼の痛み――を飲み下した事を知らないらしい。廊下に出てから足を止め、耳をそばだてる。


「前回とまるで態度が違うのですが。それに、あの様子だと既に摂取を……?」


 当惑を含む三吾の声に、院長は軽い含み笑いを一つ。


「……彼にも明確な目的意識が生まれたというところだろう」

「何か、焚き付けました?」

「さぁな」


 院長は俺の気持ちを知ってか知らずか、うまくぼやかしてくれたようだ。正直な所、俺は三吾と声が被った時、心で小さく舌を打っていた。今の段階で三吾に特別な意識を植え付けたくはなかったからだ。


 ――奴は突然起きる事態に弱い。

 幾度か彼女が慌てる様を目にしている俺は、そこを事態の突破点と決めていた。普段は継ぎ目のない石壁の如くとっかかりすら掴めない女だが、どこかで虚を突ければ結果が出る見込みは十分にある。

 想定外のトラブル。仕込むとすればターゲットとの接触時に、気合いが空回りした俺が何がしかのミスを犯す――という流れが自然かつ効果が高いだろう。そこには無論リスクも伴うが、いざという時に脆い分並大抵の凡ミスで切り崩せるメンタルではない。中途半端な演技を一度でも看破されてしまえば、せっかく和也から訊き出した決定的ともいえる手掛かりも意味を失ってしまう。更に言えば同じ手を二度食うほど迂闊な質とも思えない。

 チャンスは一回こっきり。失敗すれば失った記憶に繋がるショートカットは永遠に封鎖される。いつ訪れるか知れない時間切れが設定されている今、失敗する訳にはいかない。


「っし……」


 小さく気合いを入れて頬を叩く後ろで、遅れて2人が部屋から出てきた。


「遅いっすよ。何話していたか知らないけど、とっとと行きましょう」


 振り向かずに軽口を叩いて歩き出し、軽く動かす首と目の端で後ろを見やる。

 口の端をわずかばかり上げる院長と、相変わらず怪訝な目を向ける三吾。2人とは異なる緊張を纏っていることを、今はまだ悟られてはならない。






 ※     ※     ※





 遡る事1週間、俺は和也と彼の学校の近くの居酒屋で卓を挟んでいた。


「前逢った時より随分顔色良くなったねー」


 あっという間にビールを3杯空にして未だ平然としている弟は、俺の体調が回復している事をまるでわがことのように喜んでいた。


「まぁ、な」


 対する俺の気持ちは暗澹あんたんとしている。かなりのハイペースでグラスを開ける和也に付き合うように酒だけはあおるものの、目の前に並べられたつまみを頬張る気にはなれなかった。

 唐揚げ、軟骨、生ハムといった酒の飲み方覚えたてらしいラインナップの肉、肉、肉。院長に食べさせられてから――いや、最終的には自分で食ったか――というもの、ものの半日を待たずして体調は元に戻り、一般的なものを食べるたびに感じていたあの違和感も消え失せた。

 だが、肉や魚といった生臭を口に運ぶ気になる事はなく、ここに来るまでの食生活はまるで修験者のようにそれらを避けて通り、油分といえば全てポテチで補っていた。

 だが当然和也がそんな事情を知る訳もない。注文を一任してしまったおかげで狭い2人用のテーブルに所狭しとタンパク質の塊が並んでいる様は、見るだけで気が滅入る光景だった。


「食べないの?胃悪くするよ?」


 そんな俺を見て、今まで旺盛に食べ進めていた和也が箸をおき、不思議そうに訊いてくる。なるべく表情には出さないように心掛けていたつもりだが、鋭い。


「いいから遠慮せず食え。俺は……そう、出掛けにちょっと食ったんだよ」


 和也は疑う様子もなくふーん、と一息ついたなり再び箸を動かし始めるものの、時折こちらの様子を伺っては律儀に箸を止め、肉を勧めてくる。


「そういえば、母さんの調子はどう?あれから」


 箸か口を動かさない限り延々とそれが続きそうな気がして、少しの間を以って後者を選んだ俺に、和也は頬張っていたつまみをビールで一気に流し込んでから答える。


「すっかり良くなったよ。昨日もう一度病院連れてったけど問題ないみたい。それどころか『久々にゆっくり休ませてもらった』って本人息巻いて家事してるよ」

「そうか、良かった」


 後半、少し困ったように笑う和也を見ながら、安堵の息を漏らす。


「いやーでもあの張り切りっぷりは一回見た方が良いね。元通りになる前に」


 ……相変らず和也は本心を隠すのが不得手のようだ。

 そりゃ要するに直接顔を見てやれってことだろう。


「近いうちに一度帰るよ」


 その返答があまりに意外だったのか、和也は一瞬グラスを手から滑り落しそうになるほど呆け、目を丸くした。


「そっか……うん、じゃあみんなでご飯でも行こうよ。兄ちゃんの奢りで」


 そう言いながらほころんでいく和也の表情に、俺は今自分の箸を止めている原因となっているあの判断が、ほんの少しだけ肯定された気がした。


「何言ってんだ」

「給料が出たらまず親に食事をごちそうするもんだって、ゼミの先輩が言っていたよ」


 まぁ、それもやぶさかではないか。


「ところで、さ」


 それが最初で最後の親孝行にならないよう、4杯目の酒が運ばれてきたところで本題に切り込む。


「うん?……あぁそういえば、話があるって」

「俺、大学行ってた頃結構お前と逢ってた、よな?」


 おずおずと訊ねる俺を見て、和也はきょとんとした様子を見せた。


「何?頻度の話?んー……たまの休みでお互い予定がない時に逢うのって、兄弟としては頻繁なの、かな?」


 それがどうかしたの?と続ける和也の反応も付帯した疑問も至極当然だ。俺がそんなことを確認する意味が解らないだろう。痴呆にはまだいささか早い。


「お前とか、母さんとかが心配すると思って黙っていたんだけど、あの事故があってから記憶が抜け落ちてるところがあるんだ」


 グラスを煽ろうとした和也の手が止まる。てっきり冗談だと茶化されるものかと思っていたが、彼には思い当たる節があるのか、持ち上げたグラスに口をつけないままそっと置くと、少し考え込むような素振りを見せた。


「でも、先生は大怪我のショックによる一時的なものだって……」

「なるほど、ね」


 目線を下に向けて零すその言葉が俺に向けた物なのか、それとも単なる記憶の確認なのか、判断は付かなかったものの俺は得心する。

 俺が記憶の事を口外しないと決めたのは意識が回復してしばらく経ってから。具体的に言えば高柳との一幕があった後だ。その間で交わされた家族との会話において、全く不自然な対応をしていなかった自信はない。

 にもかかわらず今までそこを追求されなかったのは藤沢院長のフォローがあっての事、と言うわけだ。 

 同時にその類推は、そのころから彼らが俺の記憶回復におけるシーケンスにおいて『自発的でない補完』を避けていたという事の裏付けにもなる。


「兄ちゃん?」

「ああいや、こっちの話。多分先生も気を遣ってくれていたんだな。騙しててごめん」

「謝らなくていいよ。俺たちの事を思ってそうしてくれてたんでしょ」

「実際それから困る事もなくて、それで言い出すタイミングなかっただけ、ってのもあるけどな」


 始末の悪そうに頭を掻く俺を見て、和也の目つきがが更に真剣なものへと変わる。右手に持ちっぱなしだった箸もいつの間にか箸置きに据えられていた。


「ってことは、そのままじゃ困る何かがあった、ってことだね」


 我が弟ながら理解が早い。俺は顎を下げつつ続ける。


「うん、母さんはあんなことがあったばかりだし、そもそも大学の時の俺を知らないしね」


 そこまで聞いた和也は顎に指を当てしばらく黙った。


「なるほど、それでさっきの質問ってわけか。なるほど、ね」


 またも一段飛ばしの理解を表しながら、声の結びに深く息を着く。頭の回転が速いところは似ていないが、仕草はついさっき俺がしたものと全く同じに見えた。


「うーん、大体兄ちゃんが大学の頃は――」


 そのまま、話を切り出した俺の方が心の準備が整わない程すぐさま核心を語ろうとする和也に、俺は思わずテーブルから身を乗り出し手で制止を掛けていた。


「ちょ、ちょっと待って……そんなすぐ信じるのか?」


 そんな俺を見てきょとんとした顔になった和也におずおずと尋ねる。


「何言ってんの当たり前じゃん。俺に頼みごとなんてした事ないのに、わざわざこんな場を設けてまで話してるんだもん、普通何かあったなって思うさ。それとも俺が話半分に聴いているとでも思った?」


 和也はその声に僅かな怒りすら込めて早口にまくし立ててきた。下らない嘘と誤解されて怒られることは想定していたが、まさか信じた事を疑った態度を咎められるとは思っていなかった。


「すまん……ありがと」


 三吾も、院長も、社長も。

 各々がそれぞれ別の思惑を秘めて動いているが、その中心に居ながらも俺は全容を知ることが出来ない。だからこそ和也のその叱責が心地よかった。

 母さんも和也も『俺を信用するかどうか』『俺が信用していいのかどうか』という疑念を差し挟まないでいてくれる。それがただ、嬉しかった。


「いーよ。俺も急ぎ過ぎたのはあるしね。で、何から聴きたい?」

「今、大学の時の交友関係を洗い直してるんだ。それで、俺が和也と逢った時、他に誰か連れてなかったかなって……」

「だったら」

 それを聞いた和也が何かを思い立ったように鞄の中を漁り、そこからレトロなデザインのカメラを取り出した。

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