60『隠れんぼ、からの鬼ごっこ』

『三吾君、ヘッドセットの調子はどうだ?』

『支障ありません』

『良し。間もなく対象が駅から出てくる。そろそろ向かってくれ。石井君も先回りして自宅前の路地で待機だ……石井君?』

「あ、はい」


 先の出来事を反芻していた脳に院長の声が割り込み、俺は慌てて返事を返す。改札から2ブロックほど離れた小路に入り、ビル風に暴れるロングコートのボタンを一番上まで留める。

 完全に防護服が隠れたことを確認してそのまま視線を横に移すと、外したコンタクトレンズを仕舞い、ゴムを通した片手で髪を結う三吾の横顔が見えた。


「あ……」


 眼鏡を掛けて変装を終える彼女を目の前にして、思わず声が漏れる。


「何?」

「あ、いや、なんでも……」

「そう」


 たったそれだけのやり取りを最後に、三吾はさっさと駅の方へと向かっていった。その後ろ姿を見送る。その姿が完全に人波に紛れたところで、俺も反対方向へと体を向けた。


 ――しかし、ほんと写真と瓜ふたつだ。

 標的が駅からで家まではざっと15分。逆算し歩を早める思考の片隅で、和也に見せてもらった写真と目に焼き付けた横顔を重ねる。

 ……当然だろう。同一人物なのだから。

 そもそも瓜ふたつという表現自体間違っている。にも関わらずそんな思いを抱いたのは、心のどこかでまだ事実を受け入れていないから、だろうか。

 同姓同名、身長も年齢も合致。おまけに顔まで生き写しの他人なぞいるはずもない。和也から訊いてすぐ、大学にも確認を取った。学部は異なったものの名簿を漁るまでもなく、首席卒業者の欄にでかでかと三吾の名前が載っていた。

 状況だけ見れば確定のはず、なのに――


(なんであんな態度を取られているんだ?)

 情報とまるで矛盾する彼女の態度。その一点が俺に事実を事実として呑み込ませない。ALAの人も和也も、俺と三吾の仲睦まじさを訊いてもいないのに語っていた。空港の出発ゲートまで腕を組んでいたというのだから当時のバカップルぶりは相当のものだったのだろう……いやホントに想像できないんだけど。


(だとすると、旅先でシャレにならない位の喧嘩をした、とか?)

 角を曲がり、片側規制のランプが灯る短いトンネルの中を歩きながら、一つの仮説を立て、そしてすぐに否定する。

 例えどんな修羅場を迎えたとて、その直後に恋人が事故に巻き込まれ生死の境を彷徨い、更に奇跡的に生還を果たしたとなれば、普通は顔を見に来るだろう。

 それは人情というよりも常識の範囲だ。そんな気すら失くさせるほどの喧嘩の種というのも俺の頭ではちょっと思い浮かばない。それが今生の別れだとしたら、後味悪すぎるだろう。


『石井君?』

「あぁ、すみません。トンネルで電波が一瞬切れちゃったみたいで――」


 顔を照らすオレンジの光が途絶え、頭上に再び夜空が見えた途端、院長の声が俺を呼んだ。説明する俺の声に被さる形で、三吾の報告が入る。


『ターゲット、コンビニに入店、外で待機します』

『ルートは?』

『入る為に横断歩道を渡りはしましたが、逸れてはいません』

『考え難いが、対象が尾行に気が付き、その確証を得る為店に入った可能性もある。更に距離を開けるんだ』

『はい』

「了解」


(だったら、少しペースを落として良いか)

 2人のやり取りを聴きながら、思考の加速と共に知らない間に小走りになっていた歩を緩める。標的と三吾が今どの辺りに居るのかを確認する為、端末を取り出して地図アプリを開いた。


(ルート沿いにある、反対車線のコンビニ……)

 指で拡大しながら探すと、駅からターゲットの家までの路を3分の1程進んだ交差点に、それらしき店舗を見つけた。


(で、その先にあるトンネルを今俺が抜けた。なんだ、余裕あるじゃん)


 この分ならゆったり歩いたとしても、かなりの余裕を持って待ち伏せのポイントで待機出来るだろう。


(さて、どこまで考えたか……三吾の態度が変わったのはどうしてか、だっけ)


 通りを逸れて住宅街に入る。少なくなってきた人の往来と比例してその間隔を広げ始めた街灯の下を歩きながら、思考を再開する。


(俺が事故で意識失くしている間に彼女の身にもそれどころではない事態が起きた、とか)

 いや、それも考え辛い。何せ事故以降連絡のひとつも寄越す事なく、そこから俺と三吾が顔を合わせたのはくだんの入社懇親会だ。そこにきてあのリアクションとくれば、突き付けられた事実を呑み込めないのも無理はないだろう。過去の彼女と今の三吾。全くと言っていいほど結びつかない。


(それに、あの感覚が無いんだよな。未だに)

 あの感覚――俺が自分の記憶の欠片を見つけた時に頭に浮かぶフラッシュバックだ。幾ら三吾と顔を合わせてもそれが起こった試しがない。悪し様に言う気はないが、ただの友人だった高柳とも事実を知った途端、当時の光景が蘇ったのだ。それが恋人なら、怒らない方が不思議だろう。

 三吾との確執の元となった懇親会でのやり取りだって、その感覚に恐れたから口走った訳じゃない。ただ自然と口から出た、だけ。

 彼女との在りし日のやり取りが浮かんでいれば、いくら三吾が侮蔑の目を向けて来ようと、俺はもっと確信を持って食い下がっていたはずだ。


(でも、証拠は揃いに揃っているんだよな。というか見覚えがあったからあんなことを口走ったと考えた方が自然だし……っと)

 考え事をしていたせいで伏し目がちになっていた視線を上げると、すでに標的のアパートが見えてきていた。辺りを見回して人目が無い事を確認してから、脇にある狭い路地に身を滑らせる。


「ポイントに到着しました」

『早いな。標的は今しがた店を出たようだ。少し待っていてくれ』

「はいはい」


 2つ返事と共に室外機の影にしゃがみ込み、影と同化する。


「で、向こうの様子は?」

『彼女と標的は今トンネルを抜けている頃だろう。先程のように一端通信が途絶えいる』

「となると、あと10分、って所ですか」

『そんなところだろう』


 その間に院長が俺と会話を続ける気があるのかは知らないが、新たな手掛かりを得ようと頭を働かせる。とはいえ込み入った長話が出来る程の時間があるわけでもない。


 ――あ。

 ちょうどいい話題を思い出した。もし空振っても落胆にすら値しないもの。何かに繋がれば儲け物レベルのちょっとした謎。


「そういえば、こないだ地元の病院でたまたま聞いたんですけど」

『なんだ?』


 声の調子から場に相応しくない話題と捉えられたのか、院長の声から眉をひそめる様子が伝わってくるようだった。


「俺が治療に使う隠し部屋。あの反対に――」

『すみません!』

「おわっ!」

 話を続けようとした俺に、突如鼓膜をつんざくような大きさの三吾の声が刺さり、思わず声を上げてしまった。慌てて通りに視線を巡らせるが、幸い人の気配は感じられない。


「なんだよいきなり……」

『どうした』


 隠密行動って意味わかってんのか?ぼやく俺を制するように院長が声を重ねる。

普段ならばそれでもこちらに一噛みしてきそうなものだが、続く声の上擦りようから、どうやらそんな些事に拘ずり合っている余裕は全くと言っていい程無いようだった。


『標的を見失いました!』


 ……そらそうだわな。

 思わず天を仰ぐと、まるで先行きの不安を暗示するように、あれだけ晴れていた星空には雲が係り始めていた。

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