50『窮鼠、俺を噛む』
「本当に大丈夫なんですかねぇ……」
「それは貴方が計画どうり行動できるか次第」
街灯も疎らな夜の工業地帯、その一角にある倉庫の裏手――。
俺が不安そうに呟くと、三吾は事もなげにそう返してきた。返答まで一瞬の間もなかった事から察するに、ハナから自分の失敗は視野に入れていないらしい。ついでに言えば失敗する要素が俺にしかないという点を強調したいんだろうな。
(時間まで、あと10分か)
ヘルメットのバイザーに内臓されているHUDが、視野の左下に映し出す時刻を見ながら溜息をつく。
暦の上では秋の只中とはいえ、山にほど近い場所で夜中となれは吐き出した息が白い。にもかかわらず肌寒さを一向に感じないのは、服の下に着こんでいる防護服のおかげだろうか。ヘルメットの後部から垂れる髪を揺らしながら微動だにせず佇んでいる三吾に至っては、防護服以外何も纏っていないというのに、寒そうな様子は微塵も感じられない。
「にしたって、俺が『売人役』で最初に接触しろなんて……自信ないですよ正直」
フルジップパーカーから垂れている紐を指で遊ばせながらこぼす。防護服は素肌にぴたりとフィットしているおかげで動きの邪魔にはならないものの、普段の街歩きに使いそうな衣服の下に仕込むには、あまりに不釣り合いな代物だ。手先を覆うグローブとヘルメットのカモフラージュの為にわざわざバイクまで置いてある。
「意識があるのならば、売人を演じて油断させた方がリスクが少ない。院長もそう言っていたでしょう」
「そりゃ道理としてはそうですけどね」
確かに、いきなり強襲を掛けて抵抗されるよりも、味方のふりをして近づき隙を突いた方が危険は少ないだろう。
(ってことは、意識が無いうちの俺はかなりぞんざいに扱われてたってことか……ヘルメットもなしにやらされてたんだからな)
あるいは三吾の症状が進むことを懸念しての事か。
「スクリプト、ちゃんと暗記してる?」
「ああ、夕方送られてきたアレですか。ここに来るまでに読み込んではきたけど……」
言われて不安になり、もう一度端末のメールボックスを開く。会社を出てこちらに向かうまでの間。三吾から文章ファイルが添付されたメールだ。展開してみれば中は劇の台本の体を成していて、相手の反応毎に事細かに対応する台詞が書かれていた。
(ゆーて、こんなうまく行くもんかね)
「二人とも」
半信半疑の俺に突如ヘルメットから院長の声が届き、手にしていた端末を取り落しそうになった。
「連絡があった。ターゲットが駅を降りたようだ」
音声は三吾のヘルメットにも同様に届いていたのだろう。彼女の眼光が瞬時に細く、そして鋭くなる。
「10分もしないうちに正門近くに姿を現すだろう。三吾君は所定の位置に移動。0……いや、石井君はバイクを押して正門へ向かってくれ」
「了解」
間髪入れずに返し歩き出す三吾と対照的に、戸惑う俺の足は完全に止まっている。
「本当にうまく行くんですか、この通りに喋るだけで……」
「切迫している人間は思っている以上に周りが見えないものだ。多少の粗さなど気に留める余裕などないさ。そこから先は営業職の腕の見せ所だぞ」
……いや、その営業すら碌にやっていなかったのですが。
そして研修ではドベの成績だったのですが。
余計に不安感に包まれた俺が仕方なくバイクのスタンドを上げると、その消沈を見抜いたのか、院長がさらに続けた。
「万一があっても後備えに三吾君がいる。失敗を気にする事は無い」
「俺が怪我するリスクは?」
「善処するさ」
返事は返さず、用意されたレーサーレプリカのサイドスタンドを蹴って上げる。息を止めて腕にを籠めるがと見た目以上に重い。実家に置きっぱなしのネイキッドの倍はあろうかという手応えに苦心して、何とか倉庫の側面を進んでいく。
(しかしあの口ぶりだと、やっぱり俺の事はどこかぞんざいに扱ってるよな……)
この作戦は三吾の命を優先する、というより俺のリスクを軽視した選択にしか思えない。しかし俺の失った記憶の中に重要な情報がある、と言っていたのも彼らだ。
その矛盾はどこから来るのだろう。考えたところでその答えが見つからないまま、一割がた開いているゲートの前に着いた。
(バイクは、この辺でいいか)
門を支える柱の裏でサイドスタンドを下ろす。ここなら入ってきた相手の視界の端に自然と収まる形になるだろう。
「こっちは一応、準備完了です」
「了解。そうだな……シャッターの右脇辺りで待っていてくれ、そこならば遮蔽物も少ない。」
「はい」
短く返事を返し、指定された場所へと向かう。自分とバイクを結ぶ線にターゲットが収まる事を仮定して、相手がなるべく開けた場所に立つよう、ちょうどシャッターの開閉スイッチの収まってるボックスの隣にもたれかかった。
左にはここと同じ形をしている倉庫が連なっていて、右を見れば緩やかな斜面に木々が鬱蒼と茂り、その終端にフェンスを挟んで細い道路が1本走っている。
「指定ポイントに到達しました」
もう一度台本を読みなおそうとした頃合いで、三吾からも準備完了の報告が入る。
「うむ。見通しはどうだ?」
「奥の角を曲がられると死角になりますが、すぐにカバーに向かえます。概ね問題ないかと」
それを聞き、彼女が自分から見て右側、斜面のどこかに陣取っている事を悟る。万一この場で取り押さえられなくとも、最低限そちら側に誘導しなければいけないということだ。
「間もなく姿が見えるようだ。頼んだぞ石井君」
その声に視界を上げると、門の遠くに動く影が見えた。緊張に高鳴る鼓動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返しているうちに、近づいてきた影が人の形を成す。息を切らせ、相当に慌てている様子だった。
標的がブルゾンとチノを履いた男であると判別できる距離になって、向こうも俺を見つけたようだ。
(まずは――)
「あんたが
「A6680」
質問には答えない。相手の反応、会話の先手を取れたかどうかにかかわらず、合言葉の応答を促す。
「……C3680」
そうすることで、会話の主導権をこちらが握ることが出来るとのことだ。
しばらく押し黙った後、彼はいらだった様子でそう答えた。彼にはバイザーを下ろしている俺の表情は見えない。恫喝の通じない冷徹で事務的な奴だとでも思っているのだろう。
――その下は緊張で汗みどろだってのにな。
「こちらへ」
口に出す単語は最低限。相手から視線を外さず、決して背中を見せないように林の方へと誘導する。
「おい、早く寄越せや……立ってんのもキツイってのに、ここまで歩いてきてやったんだぜ」
(相手が苛立ちを見せている場合は)
明確に報酬を見せる。
懐に手を入れ、粉の入ったパケットをちらつかせると、ブルゾンの男の目の色が変わった。
「それだよ!いくらだ!」
(中身小麦粉だけどね)
完全に俺の手元に視線が向いている。これならばもう少し視野を狭めることが出来れば容易に動きを封じることが出来るだろう。
勿体ぶるようにゆっくりと、空いている左手の指を3本立てる。
「一袋3」
「足元看やがって……」
憎々しげに俺を見ながら、それでもポケットに入れた財布を出すブルゾン男。こちらからパケットを持った手を伸ばさず、男が万札を渡しに近づくのをじっと待つ。
「おらよ」
男がクシャクシャの万札を3枚、片手で前に突きだすが、俺はなおも動かない。しばらくその格好で待っていた男の鳴らす舌の返礼に、その存在を主張するように、手の中でパケットを遊ばせた。
それを見ていよいよ目を血走らせた男が更に1歩踏み込み、その体勢が前かがみになった瞬間、俺は手からぽろりとパケットを落とした。
「!」
すかさず拾わんとしゃがみこむ男の後ろに素早く回り込み、通り抜け様に腕を取った。
「なにしやがる!」
苦悶と共に吐いた悪態を無視して関節を極め、そのまま体重を掛けて引き倒す。
(よし)
『よくやった。すぐに三吾君が向かう。それまで捕縛を続けてくれ』
思った以上にすんなりと事は運んだ……が、まだ安心はできない。
鏑木の時もここから信じられないほどの力を出され形勢を逆転された。案の定、完全に不利な体勢であるはずの男から伝わる抵抗が、段々と強くなる。
(まだか)
三吾の銃声を望んでいる自分に僅かな嫌悪感を覚えながら辺りを見やるが、当然彼女の姿は見えない。
更に抵抗の力が強まり、揺さぶられる体に危うく腕を離しそうになる。
『首を上げて、山側に向けて』
長くはもちそうにない。そう悟った俺の耳に三吾の声が飛び込んで来た。
「了か――」
声を返そうとした俺の頭の奥が、ざわりと震えた。このまま首を持ち上げれば、この男はあの銃に頭を撃ち抜かれて死ぬ。
そんな当たり前の帰結を告げる想像が、ほんの一瞬、気付かぬ間に込める力を緩めていた。
「離……へぇぇ!」
男はそのタイミングを見逃さなかった。押さえつける体を通して伝わるごきん、という音と共に、思い切り跳ね上げた肩の力だけで俺を吹き飛ばした。
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