46『気になるお国柄』

 夕刻。定時を過ぎて夕礼を終えたオフィスのデスクの上は、その半数以上が綺麗に片付けられていた。月の頭だというのに、今日は普段と比べても残業している人数は少ない。まして、そのメンツに俺が居ることが珍しさに拍車を掛けていた。


「遅くまでご苦労様です」


 そんな声が聞こえる前に誰かが近づいてくる気配を察知し、ウェブブラウザを隠すための表計算ソフトを立ち上げられていたのもある意味、薬の効果なのだろうか。


「あ、ええ……もう少ししたら、帰りますんで」


 答えながら振り返ると、小林課長は人数分のお茶をお盆に乗せ、危なげな足取りでこちらに歩いてきていた。その合間にあるデスクにわざわざ一礼しながらお茶を置いている。本来なら事務方の女の子にでも頼むようなことだが、早くここに馴染もうといろいろ思案を重ねているのだろう。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます。すみません。わざわざ……」


 受け取りながら礼を返すと、俺を見る瞳が少しだけ下を向く。


「いえ、新任したばかりでむしろ暇ですから……それに、何かしていないと落ち着かなくて」


 どこか空虚な笑いを浮かべる課長に、俺は自分の考えが間違っている事を悟った。無理もない。

 異動した途端に長期無断欠勤1人に死者1人では落ち着けと言う方が無理だろう。ましてあくまで日常に生きている。俺のように差し迫った問題を抱えているわけでもなさそうなのだから、心が紛れる間もないのだろう。


「石井さんは、大丈夫?営業部の中では一番仲が良かったと聞いていますけど」


 質問に苦笑を返すと、課長は自分の言葉が良くない部分に触れてしまったと勘違いしてしまったようで、口早に謝って申し訳なさそうに奥のデスクへと戻ってしまった。

 無論、大丈夫なはずはない。ただ、それどころではないだけだ。お茶を配ってはまた頭を下げている様子を遠目に見て、心の中ですみませんと呟いてから、再びブラウジングを始める。


(さて、どこまで調べたか……)

 検索ワードを入れる欄には『ハイチ 地理』と打ってある。検索結果のトップにあったのは、ありきたりな国土紹介のページだった。


(首都はポルトーフランス……元はフランス領だったのか)

 国名の響きだけで漠然と、南米当たりの発展途上国をイメージしていたのだが、合っていたのは後者だけであった。時代の潮流から未だ取り残されているこの国は、この時代にあってなお平均寿命が50歳を割り込んでいる。

 そこから続く国の成り立ちなどはざっと読み飛ばし、俺達外国人が目を惹かれるようなものを探してみる。何の目的もなしに行く距離と風土ではなさそうだ。だとすれば有名なスポットの一つでもあれば、俺達がそこに赴いている可能性は高いし、その性質から目的も察することが出来そうなものだが――?


(あれ、ここでページ終わりかい……)

 スクロールバーが一番下まで行っても、ランドマークや景勝地がいくつかピックアップされているものの、どれも初めて聞く名前ばかりで著名とは言い難い。かといって特段食事がうまいとかそういうわけでもないようだ。

 途上国らしく郊外に出れば自然に溢れてはいるようだが、俺みたいな風情のふの字も重んじない人間が、わざわざそれを目的に行くとは考えにくい。


「あの、石井さん」

「はい?」


 思考の切れ目にまたも小林課長の声が届き、俺は椅子を回転させてそちらの方へと向く。


「これから支店会議に出るければならなくなりまして……まだ残るようでしたら、ここの戸締りお願いしていいですか?」


 言われて辺りを見回すと、いつの間にか営業室には俺と課長を残すのみとなっていた。


「かまいませんよ」


 一瞬、一緒に切り上げることも考えたが、未だ手掛かりと言っていいものが一つもない状態で離れることは躊躇たわむわれて、俺は了承の返事を返す。

 一礼を返してから机に戻り、ドアの閉まる音が耳に届いてから、検索を再開するべくキーボードに手を乗せた。しかし手は一向に動かない。入れるべき単語が思い浮かばないのだ。


(もっと何か、決定的なものがあるはずだけど……)

 考えあぐねて、ALAの重役との電話を思い返す。

 確か、搭乗手続きの窓口で同行者がしきりに宗教や風土について語っていた。と口にしていたことを思い出し、今度は検索欄に『ハイチ 宗教』と打ち込んでみる。


(ヴードゥー教……?)

 見出しにそう書かれた見慣れない宗教名と、固有名詞が次々並ぶ概要欄に読む気がそがれかけたが、今はひとつでも手掛かりが欲しいところなので、我慢して読み進めることにする。


(ウンガン……祭司。医師的側面を併せ持つ。ポコール……邪術師、ウンガンとしての知識を悪用し、他者の意識を支配し操る……なんだこりゃ、ファンタジーか?)


 途端に内容が胡散臭くなり眉を顰めながらも一応、真面目に読み進む。


(他社の支配には「ゾンビパウダー」と呼ばれる粉末の毒薬を用いる。投与された対象は自身の意識レベルを著しく低下してしまい、ポコールの声のままに行動する操り人形と化してしまう)

 どこかで聞いたような話だ。心の中で苦笑を交えながら更にスクロールバーを下に進める。


(原料は主にチョウセンアサガオの仲間『ダツラ・ストラモニウム』など。この植物の持つ毒には強烈な幻覚作用があり、前述した意識レベルの低下はこのウリ科の植物によって引き起こされる)

 ここで文章は途切れており、下には空白が広がっていた。

 めぼしい情報は無し、か……嘆息を付きモニターから視線を外したところで、俺はスクロールバーがまだ下に動く余地があることに気付いた。訝しみながら下げてみると、そこには『追記』と書かれた項目がある。


(『ゾンビ』という呼称は意識を封じられ操られるものの俗称、という見られ方をしてきたが、近代の研究によって、はるか太古の『ゾンビパウダー』は実際に一度生命活動を止めた死者を蘇生させるものであり、それが名の由来であることが確認された。根拠となる資料には植物を主とした原料も記載されているが、現代では再現することは不可能という見方が一般的である)

 僅かに現実へと歩み寄って入るものの、結局は神話の域を出ないという事か。自分の置かれた状況と似通うところもありもしやとも思ったが、よくよく考えれば死者が蘇る神話なんて腐るほどある。

 落胆と同時に肩の張りを感じて、俺は椅子が軋むほどにもたれかかって腰を伸ばした。


「空振りか……しっかし」


 意識を奪われ、意のままに行動させられ、おまけに死者の肉を食らわねばならない。まさにこの資料の呼び方がふさわしい――


「「ゾンビ……ねぇ」」


 もう一度机に戻ろうとして初めて、俺はひとりごちた筈のその声が重なっていたことに気付いた。今この部屋には俺しかいないはずだ。椅子を蹴倒さんばかりの勢いで振り返る。そこに立っていたのは――


「や。遅くまでお疲れ様」


 上着を腕に提げ、襟口に指を突っ込んでネクタイを軽く緩めながらにへらと笑う、三吾社長だった。

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