45『顔も知らないあなたはどなた?』
「石井様ですか。先ほどお問い合わせいただいた件ですが」
聞こえてきた声は、さっきの担当者のものではなかった。一瞬何者かの妨害も考えたが、社長も求めている防止薬に繋がる情報を集めている以上、その可能性は低い。
となると重役に代わってもらったのか。その旨を尋ねてみると彼は頷き、曰く当時からALAに勤めており、出発時の俺を見ているらしい。過去に詳しい人間に代わってもらえたのは思わぬ収穫だった。
「はい」
「21XX年3月27日、ALA403便は確かにニューヨーク発東京行ですが、石井様の仰る様なパッケージツアーによる利用、というものではございません」
――マジか……。
声に出さずまた落胆する。もしパック旅行だったならば、旅行会社に問い合わせて更なる情報が得られそうだったのだが。
「となると、やっぱりニューヨークに目的があった、って事か……」
「いえ、恐らくですがそれは違うかと存じます」
小さくこぼした独り言に重役が否定を重ねた。その意味を図りかねて先を促す。
「ニューヨークは経由地です」
「えっ」
突如出た新たな情報に思わず声が漏れる。
「はい。石井様が購入されたチケットは、ハイチ発、ニューヨーク経由、東京行となっております」
(は、はいち?)
……ってどこよそれ。頭の中で世界地図を浮かべても、まったくピンが刺さらない。
「わ、わかりました。他に何か情報はありますか?」
ひとまず後で検索を掛けるとして、先の情報を求めると、電話の声が僅かに濁った。
「そうですね……これは情報、というか微妙なのですが、今チケットの購入記録も同時に表示していましてですね」
「はい」
「石井様、チケットはひと月前に往復分を2枚ずつ購入されています」
「……2枚ずつ?」
こちらはかなり具体的な新情報だ。つまり俺は単独ではなく、誰かと一緒にそのハイチとやらに赴いているということだ。
――となるとやはり高柳君、か?
いや、俺は事故唯一の生存者で彼は今も生きている。というか同じ大学で死者が出たなんて話は聞いていない。脳裏に様々な憶測を浮かべる俺に、電話の声は更なる事実を告げてきた。
「……ですが、事故を起こした便において、石井様の購入されたチケットの内、1枚はキャンセルとなっております」
(んん?)
となると、行きは2人で、帰りは1人だった、っていうことになるのか?そうなるとたった今消えた『大学時代の友人』と言う線が再浮上することになる。
頭の中を支配するものが今度は混乱に変わるが、何とか押しとどめて次の質問を飛ばした。
「えっと、そのー……もう1枚について、誰が乗っていたかは分かります?」
名前や年齢を訊くことが出来れば、さっきの大学名簿と照らし合わせて対象を一気に絞り込むことが出来る。
しかしそんな期待と裏腹に返ってきたのは、長い唸り声と「少々お待ちください」の一言。そして後ろにいる誰かに何かを訪ねている声だった。
やがてそれは保留のオルゴールへと変わり、単調なメロディーが延々と続く。
「……大変申し訳ありませんが、それは他のお客様に関する個人情報、となってしまいまして、お答えするわけには……」
「ええっ」
クラシックの名曲を2フレーズたっぷりと聴かされた末にそんな答えを聞かされては、不満の声が大きくなってしまうのも自然と言うものだった。
刺さる視線を感じて慌てて2つ隣の席に座る老夫婦に頭を下げる。
「そこをなんとか……本当困ってるんですよ俺」
マイクに手を添え、背を丸めて出した小声だが、鋭さは普段以上に込めていた。営業用の『私』という一人称をつける事すら忘れて懇願してみるも、しかしばつの悪そうな声は変わらない。
「わたくし個人の思いといたしましても、何とかお答えできればと上に具申してみたのですが……」
その後ひたすらに、まるで電話の向こうで頭をこすりつける様が見える程の謝罪を並べられて、俺はそれ以上彼を責めてなんとかしてもらう気にはなれなかった。彼とて悪意で隠しているわけではないのだ。
「もう謝らないでください。あなたが悪い訳ではありませんから。こちらこそ無理を言ってしまって申し訳ないです」
「他に、何かわたくしに出来る事があれば……」
縋るようなその声に、彼の思いが本気である事を感じ、なんだかこのまま質問をせずに切っては悪い気すらしてくる。
(そういえば、空港での俺『達』を見てる、って言っていたな……)
そこまで考えてひとつ、絡め手とも言えるアイデアが浮かび、わざと少しの間を置いて口を開いてみる。
「んー……じゃあ、そのあなたが見た私達の様子を、覚えている限り教えてくれれば」
間を置いたこと、そして考え込むふりをした俺の真意を、彼は的確に汲み取ってくれたようだ。
「そうですね。お2人の姿が印象的でしたから、良く覚えております」
はぁ、と生返事を返し、暗に続きを促す。
しかし3年経っても記憶に鮮烈なほどの振舞いとは、当時の俺と同行者はよほど仲が良いように見えたのか、あるいは喧嘩でもしていたのだろうか。
しかし、ややあって俺に返ってきた答えは、そんな想像の遥か斜め上を行くものだった。
「ええ、時期的には卒業記念の旅行とお見受けできました。とても上機嫌のお連れ様に腕を引っ張られながら搭乗手続きにいらっしゃいましたよ。石井様も声は迷惑そうでも、なんというか、まんざらでもなさそうな感じで……」
「え、それって」
「どうなさいました?」
言葉に詰まる俺に、個人情報を晒すことの出来ない彼が明言を避けているのは明らかだったが、ここまでヒントを撒かれれば馬鹿だってわかる。
つまるところ、俺と一緒にいたのは、女だ。
しかも2人で旅行に行くほど親密な関係。少なくとも『ただの友人』で片が付くものではないだろう。
「あ、いえ……他には」
「伝わったようで何よりです」
彼が声を潜めて早口で告げる。その意味は決して当時の状況を正確に伝えられた、という事ではない。真意が誤解無く伝わった、という意味だ。それが俺の考えと合致している事の裏付けに他ならない。
「そうですね……当時の石井様達のような年代でハイチへ向かわれる、と言うお客様はあまり多くはありませんが、お連れ様が熱心にハイチの信仰や伝承についてお話されていましたよ」
それはつまり、ハイチに行くことは俺ではなく、同行者である彼女の意志であった、ということだ。それも漫然とした観光ではなく、かなり明確な目的を持っていたことが伺える。
「私が覚えている事は、それくらいでしょうか」
「十分です!ありがとうございます」
思わず席を立って頭を下げる俺に、老夫婦がまたも怪訝な目を向けてきたが、今度は謝らずに席に戻る。
「それでは、また何かありましたらご連絡ください」
しかし、予想外にも程のある答えだった。まさかこの俺が、女連れで旅行に行ってたとは。
一息ついて氷の解けきったグラスを口に運ぶ。我ながら浮いた話に無縁な人生だと思っていたが、どうやら大学時代の俺はそれなりに充実した異性関係を築いていたようだ。
(でも、そうなると交友関係が薄い、ってのも妙な話だよな……)
含んだ水を嚥下しながら改めて自問する。
親密な、それこそ交際するレベルの人間が近くに居れば、交友のきっかけは1人で居る時と比べて倍になるはずだ。それこそクラスやサークル、ゼミといった相手の所属する組織にも少なからず俺の身を案じる人間が居てもおかしくはなさそうだが……。
(となると、学部、あるいは学校自体が違う、か?)
それか、俺同様意識的に友達を作ろうというタイプでなかったか。
自分で言うのもなんだがこんな俺と旅行に行くほどの物好きだ。同類項というのもあり得ない話ではない。これは和也や高柳君に裏付けを取る必要がある。
(なんにせよ。この情報はデカい。これからの調査の指針になるな)
確実に一歩を踏み出した達成感に包まれていると、端末が3度震えた。今度は電話ではなく、休憩時間の終わりが迫っている事を告げるアラームだった。
キリもいいし、一度会社に戻るか。
伝票を片手に席を立つ。あとは会社でハイチについてでも調べてみよう。そうしている間に連絡が来るかもしれないし、来たら来たで『仕事中だからメールで頼む』と、通話を逃げることも出来る。
(……やっぱり、俺と一緒にいたその『彼女』っていうのも、友達多い方じゃないかも)
ごく自然に頭に浮かんだ会話を拒む言い訳に、ふとそんな考えが頭をよぎった。
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