47『負わない人生・追われる人生』

「なんで、ここに……」


 驚きのあまり声が切れ切れになる俺を前に、彼は心底不思議そうに眉根をひそめる。


「なんでって、ここは僕の会社だよ?こうして遅くまで頑張る社員をねぎらうのも、立派な社長の役目さぁ」


 自分のセリフに受けているのか、社長はその語尾に朗らかな笑い声を交えていた。相変わらず人を食ったような態度を崩さない。


「監視、ですか」


 半眼で呻く俺を見て、社長は大げさに肩をすくめながら心外だという風に息を吐いた。


「やだなぁ。君は協力してくれるって言ったじゃん。それをわざわざ見張る真似なんて――」

「してるでしょ。小間使いが」

「ありゃ、芳也のヤツそればらしちゃったのかぁ」


 こちらのカマ掛けに全く悪びれる様子もなく肯定の意味を返す社長に、不快な苛立ちが募る。


「俺はアンタの下に着いた気はないし、それを見透かしているであろうアンタも俺に信頼を置くわけがないですしね……っていうか、仮にそうならわざわざ様子見に来たりしないでしょ」

「その察しの良さ、少しは営業に活かしたら?」


 飼殺しにしていたのは誰の判断だよ。と心の中で奥歯を噛む。まぁ、その立場に甘えていた自分がいた事は否定しないけども。


「冷やかしに来ただけなら帰ってください。俺、暇じゃないんで」

「冷たいなー。まさか君からそんな言葉を聴こうとは思わなかったよ」


 煽り方が達者なのも、上に立つ人間ならではという事だろうか。額に青筋が浮かぶ様を幻視しながら短く息を吐いて体勢をデスクに戻した。この男に構い続ける程、時間を無駄にしている余裕はないのだ。


「もしかして、今の君の方が人生充実してんじゃないの?」


 ――が、その一言を聞き流すことがどうしてもできなかった。今度は実際に椅子を蹴倒して立ち上がる。


「誰のお陰でこんなことになったと思ってんだ!そもそも俺はそんなんじゃ……」

「本当にそうでないと言える?」


 いつの間にか、社長の顔から薄ら笑いが消えていた。三吾が俺を責める時とよく似た、温度を感じさせない瞳で真っ直ぐにこちらを捉えている。


「じゃあ、あのまま変わらない日々が続いてたとして、君は何か成すべきことがあったのかい?」

「それは……」


 俺の勢いはたちまち息を潜め、返す言葉にきゅうする。そんな反応しか取れなかったという事が、図星を突かれた何よりの証拠だった。


「公私両方で果たすべき義務もなく、かといって自分で目標も定めず、ただ息を吸って吐くだけだったよね。それが最上の生き方だなんて語っちゃって。僕そういう人間一番嫌いなんだよねぇ」


 あくまで軽い口調を崩さない社長の視線が、俺を縦一文字に往復した。

 その眼差しの鋭さに実際に斬られたような錯覚すら覚え、背中に冷たい汗が走る。そのまま大仰なそぶりで肩をすくめた社長は、その体躯に合わぬ長い脚を一歩分、俺の後ろに踏み出した。


「こうしている間にも君は着実に死へと近づいてる訳だけど、僕からしたら昔の君の方が余程ゾンビだよ。意志無き徘徊者。よく言ったもんだ」


 言葉の終わりを聞えよがしな溜息で締めて、社長は三吾の机に腰掛ける。

 相貌に浮かぶあからさまな侮蔑を向けられても、ただの一言も言い返せない自分がただただ悔しかった。


「……だから、俺を被験者に選んだのか?」


 ――だが、それだけで済ますものか。

 俺の監視が始まったのは事故の後だと院長は言っていた。それが本当ならぶつけた疑問が意味を成さない事は解っている。

 しかし、返ってくる反応がその矛盾を指摘するものならば、院長の言葉が真実であるという裏付けが、それ以外の反応ならば、そこには嘘に隠さなければならない程重要な事実が隠されている事の証明になる。

 院長たちへの信頼か、もしくは次に突き止めるべきものの指針。どちらを得るにしても、今の俺にとっては大きな収穫となるはずだ。


「それは秘密です。さっきの誘導尋問の方がクオリティは高かったね」


 しかしそんな目論見はあっさりと見抜かれてしまった。気づけば彼の眼はまた、飄々とした笑いの色が戻っている。俺とのやりとりに飽きてきたのか、彼の左手は三吾の机に置いてあるボールペンを器用に回し始めていた。


「あんまりヒントを与えちゃうと、君の記憶の精査に支障が出るしね。でもまぁ、これ見る限りいいとこついてるよ」


 指先を踊っていたペン先がぴたりと止まり、俺のモニタを指す。


「ニューヨークが経由地だってとこまでは掴んだみたいだね。んで、わざわざこんな辺鄙なところに行ってる。それもパック旅行じゃなく、わざわざ自分でプラン組んでさ。さぁて……それにはどんな理由があったんだろうねぇ」


 その口ぶりから確信する。彼は既に俺の辿った道を調べて、その確証を取っている。

 とはいえ不思議な話ではない。俺個人の力ですら、事故の当事者であるというアドバンテージだけでここまで調べることが出来たのだ。同じ土俵に立ち、金も人も物も俺より潤沢な彼が調べられない理由は無い。

 だが、それでも明言を避けるのは俺の記憶が不完全に回復することを避けるため――つまるところ院長の言っていた『投与された被検体のうち、俺だけが回復した理由』については確信を突けておらず、こうした迂遠な添削に留まっている、というわけだ。

 ならば。もう一度踏み込んでみる。


「そこまではまだ。理由は俺じゃない方にあるんじゃないですかね」

「ほう」


 やはり大した驚きを見せない。同行者がいる事も調査済みということか。


「彼女に付いて何か――」

「おっと、そろそろ戻らないと怒られちゃうな……」


 俺の勢いを殺すように、社長は音も無く三吾の机から降りて、すたすたとエレベーターへ歩き出す。あくまでこれ以上の情報を手渡す気はないらしい。


「さて石井君、ここで君がどれだけうちの事を学んでいるかの問題だ」

「?」


 上に向かう籠を呼ぶボタンから手を離した社長が振り返り、顔に出さず落胆する俺へとわざとらしさ満点の明るい口調を向けて来た。

 突然始まったクイズの意味を測り兼ねる俺に、社長は到着したエレベーターに乗り込みながら、さも楽しそうに司会者然とした口調でこちらに向き直った。


「うちが君の事件以前にここまで有名になった理由はなんでしょーかっ?」

「……はぁ?」


 ……何の関係が?

 いかんとも形容しがたい顔を浮かべる俺とは対照的に、おかしくてたまらないという社長の顔が、ドアの向こうへ消えていき、フロアには再び静寂が戻った。

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