44『昼、茶店、窓辺にて』
「ああ!貴方があの!」
名前を名乗った途端、感嘆を浮かべる電話の声に苦笑を返しておく。
翌日の昼食時、俺は会社から程近いカフェの一角を陣取り、あの事故を起こした航空会社、ALAに問い合わせの電話を掛けていた。
昨日もあの後鍛錬場で体を動かしていたおかげで、ひと眠りしても疲れは抜けていない。にも拘わらず昼食時にも休まずに記憶の調査を進めている俺はやる気に満ち溢れている……という訳ではない。
単に何もしないでいるとどうしても、勝手に頭がそう遠くない明日に迫った作戦の事を考えてしまい、いいようのない焦りと不安が体を支配して居ても立っても居られなくなるからだった。
「ええ。突然で申し訳ないのですが、便の詳細を調べてもらえますか?」
「とんでもないです。弊社の不祥事で多大なるご迷惑をお掛けしていますから……にしても、記憶が一切ないなんて……心労、お察しします」
次いで役席に繋ぐという申し出を丁重に断る。その文句にどこか他人事の感があるのは、電話を取った相手が当時の担当者ではないからだろう。こっちも恨み節を口にしたくて端末を耳に当てているわけではないので、別段へそを曲げることもない。
「過去の記録を遡りますから、少々お時間を頂きたいのですが――」
「かまいません。それでしたら解り次第この番号に折り返しいただければ」
「かしこまりました。それではお言葉に甘えて一度お電話を切らせていただきます」
――よろしくお願いします。と念を押して端末を置く。それを見越したかのようなタイミングで目の前に置かれたミルクティーを啜り、鞄からポテトチップスを取り出し、開けた袋の中へ卓上の塩を振りかけた。
「いただきます」
小瓶の中身を半分ほど空にして小さく声に出し、まとめて口に放り込む。
舌の先が痺れるような塩辛さが口内を支配した。やはり食べ進める量に比べて満腹感は僅かに足りないものの、まだ十分に我慢できる範囲だ。
(昼休み中に連絡が来ればいいけど――)
そうは心配するものの、連絡が来るまでここを動く気はなかった。小林課長がMRは営業に専念してほしいという理由で雑用を全て事務職に任せたおかげで、どうせ会社に帰っても時間を持て余すだけだ。
今後鏑木が回っていた先も含め、担当を再割振りするとも宣言していたが、今の俺にとってはできれば今の状況が続いて欲しいものだ。
(さて、待っている間に……)
袋を傾け残りを流し込んだところで一度手を拭いて、鞄の中から今度はラップトップを取り出す。
携帯端末とリンクさせネットにつなぎ、母校のホームページへと飛んだ。
『卒業生の方へ』と書かれたバナーをクリックし、あらかじめ自宅で控えておいた学籍番号とIDを打ち込んでいく。が。
(――駄目か、やっぱり思い当たらないな)
認証に成功し名簿に羅列された名前に1つ1つ目を通してみても、高柳君以外に頭に引っかかるものは無かった。記載されているのが名前と就職先、そして卒業時の住所だけなので、元より淡い期待ではあったが、少なからず気持ちは落胆する。
(やっぱり高柳君に連絡取るしかないか)
唯一知っているその連絡先を真っ先に当たらなかったのは、あれだけ心配してくれていた彼にも、交友の記憶が無い事を伏せて接していたからだ。
学生時代の自分がどんな人間だったか。その疑問を尋ねるためにはその秘密を自ら告白するしかない。病室で大げさに俺の肩を抱く彼に、とうとう言い出せぬまま調子を合わせてしまったことを、今になって悔やむ。
(けど、そうも言っていられないよな)
意を決しコンタクトを取りたい旨を書いたメールを彼宛に送信する。猶予が多く残っているわけでもないのに直接電話を掛けなかったのは、俺と違って彼は忙しいかもしれないし、好きな時に返信が出来るメールの方が確実だと思い至ったから……と言えば聞こえは良いが、結局いきなり肉声でやりとりを行う事に日和っただけだ。誰に向けたとも知れない言い訳を並べた自分に情けなさを覚える。
(連絡来ますように、できればメールで)
ストローが音を立てるまで甘いミルクティーを飲み下し、記憶の手掛かりを求めて再度頭を巡らせる。とはいえ、大学時代の俺の人間関係など、全滅に近い友人関係と、あとは全くと言っていいほど連絡を取らなかった家族くらいなものだが……
ん?待てよ、そう言えば――
『兄ちゃんが卒業する前以来だっけ?前はちょくちょく逢ってたのにね』
漫喫で和也と再会した時に言われた事を思い出す。卒業する前にちょくちょく逢っていた、という事は、学生時代の俺について何か知っているんじゃないか?
「おわっ」
そう思い立った矢先、リンクさせたまま机の上に放置していた端末が震え、ガラスのコップに触れてけたたましい音を立てた。慌てて手に取ると、液晶にはALAの問い合わせ窓口の番号が出ている。
――意外と早かったな。昼休みが終わるまではあと10分はある。この電話で手がかりが見つかることを祈りつつ、俺は端末を耳に当てた。
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