43『ブリーフィング』

 斎場のあった東京の西端からほぼ中央に位置する病院にまで戻る頃には、日はとっぷりと暮れていた。


「来たか。とりあえずは座りたまえ」


 俺達は彼に案内されるままソファに腰を下ろす。目の前に湯気の立つカップが置かれても、いそいそとミルクと砂糖を投入する隣の三吾とは違って、俺はなかなか口をつける気になれなかった。――口は乾いているのに、だ。

 緊張しているのが自分でもわかる。初めて意識を支配されずに戦いに赴く事と、命を奪う事に。


「啓示のネットワークから連絡が入ってね」


 心を落ち着けようと大きく息を吐くと同時に、向かいに座った院長が改めて口を開いた。


「ネットワーク?」


 俺が耳慣れない単語を聞き返すと、院長はうむ、と一度頷いた。


「蘇生薬を投与する際、同時に位置情報と簡単なバイタルデータを定期的に送信するナノマシンを注入してある。それに加えて啓示の子飼いが見張りについているのだよ」


 そこまで説明を訊いて、俺はあることが引っ掛かり口を挟む。


「でも、鏑木には三吾が発信機を仕込んで――」


「鋭いな石井君。唐津の息がかかった被験者は事前にナノマシンを殺す処置をしていた。奴もそこまで阿呆じゃなかったようだな」


 それは賞賛なのか皮肉なのかわからないが、とりあえずはなるほどと得心する。


「そのネットワークによると、今日の未明から明らかに様子が変わった被験者がいるようだ。自宅から一歩も出ずに、時折発作に苦しんでいる」


 コーヒーを一口含んだ院長の眼光が僅かに鋭くなる。つまりはその被験者はステージ移行に差し掛かり、理性を失いかけているということか。


「となると、今からその被験者の元へ?」

「いや、今彼が食いつきそうな情報を撒いている最中だ」

「なんだ。今からすぐ行くって訳じゃないのか……」


 逸った気が少しばかり引っ込んだが、言われてみれば確かにそうだ。

 単に襲撃を掛けたとして、そう都合よく人目のつかない廃墟に追い込めるはずもない。誘い出す方がより確実だ。

 ……となれば恐らく、その餌と言うのは苦痛を和らげる手段だろう。

 その彼だか彼女だかは、今この時も正体のつかめない苦痛に襲われているだろう。ただでさえ耐え難い上に解決策もつかめない八方塞がりの状況で糸を垂らされたなら、多少の不審を抱きつつも手を伸ばすくらいはしてしまうだろう――経験者は語るってやつだ。


「今日呼びつけたのは手順の確認と、外皮及び筋繊維防護服の一式、それと連携用のヘッドセットを持って帰ってもらうためだ。なるべく通常の手筈通りに事を進めるつもりだが、万一こちらに取りに来る暇が無くなっては困るからな」


 外皮云々と言うのはあの黒いトラックスーツの事か。

 確かに全くの生身であの馬鹿力に晒されたなら、拘束どころか大怪我を負わされて自分の症状を悪戯に進行させるのが関の山だろう。


「特に、石井君はこれが実戦だ。私たちがこれから説明する手順を、一言一句聞き逃さずに覚えてほしい。不測の事態が起こらぬように、な」


 緊張を孕んだその声に、自然と再び体は強張った。陥れられたと知った途端、相手は文字通り死に物狂いで抵抗してくるだろう。それは誇張なしに命が懸かっている事を意味している。

 もし、失敗すれば――


「どんな状況であれ、私が下手を踏む事は無い」


 コーヒーを飲み終えた三吾が唐突に口を挟む。こちらの心情など知る由もない、あくまでいつもと変わらぬ口調だった。


「別にアンタがしくじんなくても――」


 その無神経さに思わず体ごと彼女の方に向けて声を荒げる俺を、院長が手で制した。


「……美恵君、気遣いの文句はもう少しわかりやすく言ったらどうだ」

「……へ?」


 間の抜けた声を上げる俺に、院長が器用に目だけで苦笑を浮かべる。


「彼女が示したいのは、君が失敗したところで十全にカバーしてやれる。という自信だ」


 ……そうなのか?

 普段の関係性と立ち振る舞いからとてもそうは思えず、もう一度彼女の方を見やるが、やはり心外だとばかりに憮然とした表情を浮かべている。


「――ただ事実を述べただけです」


 次いで口から出た文句は、それを完全に否定するものではなかった。その真意を問いただす前に、院長が場を取りなすように話を改める。


「三吾君もこう言っている事だ。あまり固くならずに説明を聞いてほしい。……恐らく2週間もしないうちに、君たちの端末に連絡が入るだろう。彼とのの日時は出来うる限り就業時間外を指定するつもりだが、絶対とは言えない。従って防護服の一式は常にすぐ取りに行ける位置に置いてほしい。持ち運ぶのがベストだが、仕事中はそうはいくまい」

「となると、駅のロッカー、か」


 まぁ、そうなるな。と院長が頷き、説明は更に続く。


「指定する建物に2人が到着次第、ヘッドセットの電源を入れて先ず石井君が被験者へと接触。その間三吾君は狙撃地点へ移動。被験者がこちらの真意に気付く前に可能ならば狙撃出来ればベストだが――」


 そうでない場合は、俺が動きを止める事になる。か。

 だが、それだけを聴くと、そんな事態などないように思える。何せ三吾は存在に気づかれない前提で狙撃する地点に移動するのだ。ただでさえ切羽詰まっている被験者がその存在を感知できる余裕などなさそうなものだが。


「……説明しがたいが、ステージⅢへと近づいた被験者の特徴として自身に迫る危険、いわばとも言えるものを敏感に感じ取っている節がある。今まで君が動きを止める前に狙撃出来た例の方が少ない」


 またも先回りして俺の思考を読んだ院長の渋い顔を見て、楽天的な予想は見事に裏切られたことを悟った。

 思えば鏑木も駅で俺と肩がぶつかった後、どれだけ念入りに探しても彼の痕跡すら捉えられなかった。あれも、俺の気配を読み取ってのものだろうか。


「足を止める場所が決まって物陰や壁際などの死角であるのも、偶然ではないだろうな。そうでなければわざわざ君にリスクを負わせることはしない」

「接触はあるものと考えていた方が良い訳ですね」


 院長は静かに首を縦に振った。


「ああ。そして首尾よく動きを封じられ次第、三吾君が撃ち抜く。君まで貫通する心配は――」

「わかっています。あの鍛錬場みたいなところで実物見ましたから。それより、もし逃げられた場合は……?」

「だから、今まで失敗したことなんてない」


 不安を口にする俺に、またも三吾が横槍を挟む。余計な心配はするな、ということだろうか。それとも彼女には『もしも』を口にする俺が己を信用していないように映ったか。

 恐らく後者だろう。


「その場合はこちらで追って指示を出す。まぁ、啓示の手を借りることになるだろうが……奴にこれ以上借りを作りたくないのが正直なところだ。自分の役割をこなすことに専念してほしい」


 要するに失敗するなという事か。

 なんというか余計にプレッシャーが掛かった気がする。ここに限っては意識を支配されていた方が良かったかもしれない。気づかぬうちにからからに乾いた口が、コーヒーを催促する。


「処理完了後は専門の掃除屋が来る。君たちはその前にサンプル、そして自身の為に被験者の肉を採取し、終わり次第速やかにその場を離れ、こちらに戻る事。以上だ。何か質問は?」

「離れるって、まさか走って?それに、返り血とかは……」


 説明が終わり軽く息を着く院長にさしあたりの疑問をぶつける。どこに追い込むかは知らないがここに戻る前に見られる危険がある。そうなれば黒づくめでおまけに血が飛び散ってるスーツに身を包んだ2人組など即通報からのお縄コンボだろう。

 あの黴臭い部屋に再チェックインは勘弁願いたい。


「私の運転手が近くで待機している。汚れについてもシャワールームとルミノール……血液の反応を消すための薬品は用意してあるから心配はいらないさ」


 院長が被験者の返り血を『汚れ』と言い換えた事に、彼の中の割り切りのラインを感じて、俺の顔は僅かに歪んだ。

 人命を弄ぶことに後悔と抵抗を感じながらも、計画の漸進ぜんしんに身をやつす。それは表層ではなく、根源があの社長や隣に座るその娘と同じだと物語っているように思えた。

 倫理による歯止めの前に、何を犠牲にしても、成すべきことがある。ある種の危うさを伴った盲進さを共有しているからこそ、それが信頼と鳴り社長も彼を切らないのだろう。

 空になったカップを挟み、幾度目かになる沈黙が部屋を包んだ。その意味を見逃すほど愚鈍な彼ではない。しかし何かを言及するでもなく、じっと俺の反応を待っている。


「……わかりました」


 返した言葉は、それだけ。何を思おうと河岸をこちらに移した俺には、もう罵倒する資格はない。


「そうか」


 院長もそれだけ返し、俺達に帰宅を促す。

 三吾は終始表情を変えず、三杯目を空にしていた。

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