41『許されざる者』

 降り立ったホームの先に広がっていたのは、その外見や行動にいかにも都会的なイメージを漂わせる鏑木には似つかわしくない低層の住宅群と、それより面積の広そうな田園の広がる光景だった。

 彼の家を訪ねるのはこれが初めてで、そして恐らく最後になるのだろう。

 駅の前に広がる小さなロータリーを見ても、タクシーは1台も停まっていない。線路と平行して伸びる道路に目をやると、俺と同じように喪服に身を包んだ人たちがぽつりぽつりと同じ方向へと歩いているのが見えた。未だ日は高く晴れ渡っているというのに、どこかしら薄暗い雰囲気が辺りを包んでいる。

 俺はただ、その一団に紛れ込んで歩いていく。角を曲がって見えた『鏑木家』と書かれた看板、時折聞こえてくる啜り泣き。斎場に近づくにつれ強くなる死の実感足を取られるように、歩みを重さを増していく。

 ここに俺が立つという事は、正しい事なのだろうか。彼を死に追いやった一因である、俺が。


「石井?」


 完全に歩みを止めようとしていた俺に聞き覚えのある声が掛かる。いつの間にか地面しか捉えられていなかった視線を上げた先に、佐原先輩が驚いた様子で立っていた。


「早いな。まぁ、俺も人の事は言えないけどさ」


 こちらの反応を待たず続いた声は、普段彼が口にするような、気分の抑揚を包み隠さずに乗せたものとは打って変わって、浮かべている表情と同様平坦に沈んでいた。


「丁度、こっちの方面で営業があったんだ。お前が先に向かっているって課長から聞いてさ」


 言いながら、こちらに歩調を合わせてくる。それが例え普段一方的に敵視されている相手であっても、追い返す気にはなれなかった。

 むしろ、彼があそこで声を掛けなかったなら、日が暮れても斎場には辿り着けなかったかもしれない。

 何も返せないままそれきり会話は途切れ、彼も俺も口を開かず、段々と増える黒い人並みと同化し、気が付けば川沿いに立つ小さな斎場の入り口に立っていた。


「なんか、ここに来るまで湧かなかったけど、本当に死んじまったんだな。鏑木の奴……」


 佐原先輩とは2つも年が離れていないはずだ。

 まだ存命の知人の方が圧倒的に多い年齢。彼もまた死の実感に乏しかった。少しの連帯感と、そして大きな罪悪感が心にのしかかる。


「……すみません」

「なんでお前が謝るんだよ」


 その重さに耐えきれず口を開く俺に、事情を知らない佐原先輩は当たり前な反応を返して階段を登り、斎場の中へと向かう。

 まだ夕方前という事もあってか、列の最後尾が外まで続いてはいない。音も無く空いた自動ドアを潜り、受付を済ませて案内されるままに2人して並ぶ。

 前に続く人の列は皆一様に項垂うなだれていて、絶えず耳に届く小さな啜り泣きと、夭折を嘆く声が辛い。

 死因は事故とされている筈であり、そこに三吾社長や院長や俺が関わっている事は誰も知っているはずがない。それなのに、耳朶に刺さるその一言一言が、一様に俺を責めているように感じた。

 泥濘ぬかるみを進むような心地で足を前に出し、なるべく家族と目を合わせないように頭を下げると、棺の両側に並ぶ親族の一人があっ、と声を上げた気がした。

 その声にどこか聞き覚えがあった気がするが、結局思い出せないまま棺桶の前に立つ。顔を覗く為の小窓が閉じられているのは、公的にも、事実としても遺体が見られる状態ではないからだろう。


(すまない、すまない)

「すまない……」


 香を額に当て、目を閉じている間、俺はずっと鏑木に謝っていた。






 ※     ※     ※






「お前、通夜振舞いに行かないのか?」


 そのまま出口に向かおうとした俺を、佐原先輩が呼び止める。


「ええ、あまり、そういう気分じゃ……」


 その返答に彼は少し渋い顔を見せたが、無理強いはしてこなかった。彼の背中を見送ってから、踵を返す。厚意を無下にするつもりは毛頭ないが、それでもやはり、この空間に長くいることはもはや苦痛でしかない。


「あ、あのっ!」


 しかしそんな俺の意を諌めるかのように、駐車場まで差し掛かったところで再び呼び止められる。焼香を上げた時に聞こえたものと同じ声だった。

 となれば、彼の親族だ。その事実に強制された心地で振り向くと、和装の喪服に身を包んだ女性が立っていた。身長は三吾よりも低く、いかにもしとやかそうなその顔つきは、悲哀に昏く沈んでいる。


「その声、石井さん……ですよね。私です。白石です。白石、楓」


 消え入りそうなその声に、今度ははっきりと記憶が蘇る。あの時は焦燥に満ちた声色で、開口一番鏑木の名を叫んでいた――。


「白石、さん」


 鏑木の婚約者。真相を知れば俺を絶対に許しはしない人間の筆頭が目の前に立っていた。


「いらして頂けたんですね。直人さんも、喜びます」


 泣き腫らしたその眼元はくまも深く、やつれきった表情で礼を述べてくるその様子に、俺の頭の中は真っ白になり、体が戦慄わななく。


「俺は――」

「……少し、お話しませんか?」






※     ※     ※






 斎場から少し離れた木陰のベンチに案内され、近くの自販機で買ったらしい缶コーヒーを手渡される。偶然なのか、それは鏑木が良く好んで飲んでいたブランドだった。


「なんか、無意識に押してしまうんですよね。お嫌いでしたか」

「いえ……」


 否定しながらプルタブを開ける俺を見て、白石さんは良かった、と呟いて手に持ったお茶の缶を開けた。そのままベンチの右端に小さく腰掛ける。

 それから中身を半分ほど空にするまで、彼女は俺の隣に座ったまま一言も発してはこなかった。

 俺も俺で、何を話せばいいかわからないまま……いや、何を話しても咎められる気がして口を開けないまま、彼女から出来る限り離れる様にベンチの左端に座っていた。

 茜の空に吹く弱い風が、色づき始めた街路樹を揺らす。日の落ち始めた公園は季節を少しだけ先取りしたように肌寒かった。その風の冷たさと、コーヒーの程よい甘味が、やがて俺の心に少しだけ平静を戻していた。


「あの、良かったんですか。式、抜けてきちゃって」


 具体的には、気になったことを質問できるくらいには。


「あの場にずっといるのが、辛くって。御親戚やお母様のヘルパーさんにもお願いしてありますから、大丈夫」


 将来を約束した相手に先立たれてもなお、彼女は気丈に笑おうとしてその顔をがひずむ。胸の奥に爪を立てられたような心地に、質問を重ねようとした声が詰まった。


「……そうですか」


 逃げる様に彼女から目線を外し、足元で風に舞う枯葉に移す。そうしてしばらくの間再び、俺達の間には風の吹く音だけが響いていた。

 静寂が続く度、息苦しさは増していく。針のむしろに座らされ、黙っている分だけ錘を膝に乗せられる責め苦のようだった。

 座ること望んだのは自分だというのに。


「あの、俺は」

「石井さん」


 そんな意識に耐えきれず、また謝罪を口にしようとした言葉はしかし、彼女に寄って先を制された。

 思わず首を向けた先に映った、彼女の握る空き缶の歪なへこみ。何かの予感を感じ取った胸の内が、いいようもない騒めきに満たされていく。


「本当に、事故だったんでしょうか?」


 その一言で大きく心臓が跳ね、手に持った缶の口から琥珀色の液が飛び散った。

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