30『餅は餅屋(ウチ以外の)』

「畏まりました。検査の結果が出るまで2時間ほど掛かります」

「お願いします。無茶なお願いを言ってしまって申し訳ありません」


 頭を下げると白衣を着た研究員はいえいえ、と軽く返してくれたものの、その表情にはやはりどこか複雑なものが残っていた。

 面倒くさい依頼を受けてしまった、という倦怠けんたいだろうか。


「待たれるのも気掛かりでしょうから、私は外で時間を潰してますので」

「でしたら、お電話番号をいただければ、結果が出次第連絡いたしますが」


 そう提案し返答を待たずに懐からメモを取り出す彼を手で制して席を立つ。


「終わるころにまた来ますから」


 ここに検査を依頼するまでにひとしきり下調べはして、会社との関連性がないことを調べた上、こちらの素性は伏せてここに来ている。ただ万一を考えると軽々に個人が特定できる情報を晒すのは出来る限り避けたかった。


 ここに入る前に目に付いていたファミレスの奥に陣取り、コーヒーをオーダーして説明資料を開く。


(改良型高速ク、クロマトグラフィー……? bpによる肉種判別……?)


 なるほど、わからんということがわかった。もう十分だろう。肝心なのは仕組みではなく結果なのだから。まだ半分もめくってない資料をさっさと鞄に仕舞い込み、灰皿を引き寄せて煙草に火を点ける。


(それにしても、あんな微量でも検査を受け付けてくれる機関があってよかった)


 運ばれてきたコーヒーをお供に紫煙をくゆらせながら、しみじみ思う。

 それも即日で結果が出るというのがありがたい。あの研究員曰くこれが一昔前の話だったら、検査に1週間以上掛かってしまう所だったらしい。あの苦しみが定期的にを摂取しないことによる禁断症状によるものならば、1週間という期間はとても待てたものではない。

 それ以前にあんな食べこぼし程度の量じゃ、正確な結果が出るかどうかも怪しいところだったらしい。まぁ、別途料金が多少痛かったが背に腹は代えられない。


(それよりも、個人の持ち込みってところで怪しまれなかったかな)

 そこを恐れていたら検査自体出来ないのだが。

 まぁ素性の割れる情報は渡してない。いざとなったらバックれるまでだ。幸い欠片は念のため半分家に置いてきたし。

 心配を煙に変えて吐き出し、煙草を灰皿の底でもみ消したところで、後ろからウェイトレスの気の抜けた声が聞こえてきた。タイミングよく食事が到着したようだ。


(食欲は湧くんだよな)

 鉄板の上に置かれたステーキが立てる音と立ち上るフライドガーリックの香りで口内に唾液が満ちて、蠕動ぜんどうする胃が早く口に運べと急き立ててきた。

 その要望に何の躊躇いもなく応えて、卓上の塩を空にした後勢いよくナイフを入れる。レアに焼かれた肉の抵抗が心地よい。脂身の境にある筋をしっかりと切断し、フォークを突き刺し口へと放り込んで、しっかりと咀嚼していく。

(味もしっかり感じる、けど)

 口に入れた大きさに対して満足感が僅かに足りない気がする。恐らくあの肉片を改めて摂取しない限り、この違和感がだんだんと大きくなっていって、やがては全く胃が満たされなくなるのだろう。

 ともあれ、セットでついてきたライスとサラダまで空にする頃にはそれなりに腹は膨れていた。14時半前か。まだ検査結果が出るには40分ほどある。ナプキンで口元を拭ってコーヒーのお替りを注文し、端にけていた箱から2本目の煙草を取り出す。


 ――これって、根治するのか?

 ライターを押し込むカチリという音と共に、ふとそんな疑問が頭をよぎった。いや、本来ならばもっと前の段階で思案を巡らせなければいけないのにずっと逃げてきた問題が、空虚な時間を迎えて改めて鎌首をもたげてきたというべきだろうか。

 軽度とはいえ再び症状が襲ってきている以上、今検査に出している肉はあくまで対症療法のひとつであり、分析の結果首尾よく入手経路を見つけられたとしても根本的な解決に繋がるものではないだろう。これでどれほどの猶予を稼げるのかは分からないが、その間に治療の手段を見つけることが次にやるべき事となる。

 ……だとすると、どうやって?

 医薬品業界で働いていたとはいえ、文系卒営業職の俺には製薬の知識などあるはずもない。となると取れる手段としては他社に自身の体を検査させたうえで治療薬を開発してもらうか、もしくはBE=SANGOに盗みに入るか、か。


「とうとう泥棒にまで落ちるか……」


 声が漏れる。あの一件からというもの自分が加速度的に平凡な人生から遠ざかっているような気がする。欠伸交じりにコピー紙を変えていた頃が随分と昔の事に思えた。

 いや……あるいは、俺が事故に巻き込まれたときから、非日常は始まっていたのかな。


(というか、そもそも奴らは元に戻す手段は持っているのか……?)

 在りし日への郷愁に駆られ凹みそうになる心を切り替えるべく、次の段階に考えを馳せた。風邪薬を処方されたときに、頓服とんぷくによって生じる胃の炎症を抑える胃薬も渡されるように、通常予期できる副作用にはそれに対応する効果のあるものを平行して開発するもんだろう。

 効き目はあるが重篤な副作用を引き起こす新薬でも、対処する術を事前に用意しておくことで認可が下りた例もあるという話をどこかで聞いた気がする、が。


(問題は、この薬がどう見ても正規の手続き踏んで開発されそうにないものなんだよなぁ)

 などという常識の範疇を遥かに超えた物が現実味を以て開発されたとして、既存の法に縛られるものだろうか。効果の実証の為に先ず死人を用意せにゃならんという辺りで、通常の認可手順など踏めそうにない。

 そして、ほとんどの人間にその効能はあまりに魅力的に映るだろう。もし認可する側の人間に説得力を持って開発プランを提示できたなら、その時は超法規的な措置が取られてもおかしくはない。死の克服は医療業界にとって、それよりも人間にとって永遠の課題といえるものだ。対処薬の研究をさておいてもまずは完成を。あり得ない話じゃないだろう。


「っと」


 壁に掛けられた時計の針がいつの間にかもう1周している。随分と長い間考え込んでいたらしい。

 そろそろ時間もいい頃だろう。テーブルに散らばる空のカップと散った灰をナプキンで集め、俺は伝票を片手に立ち上がった。


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