31『テリブルアンサー』

 ガラス張りのビルに反射する傾き始めた日の光に目を細めながら、俺は速足で入口へ向かっていた。


(ちょっと時間オーバーか)

 当初検査に掛かると言われていた時間は、ファミレスから出た時点で過ぎてしまった上、焦って道を1本間違えた末ここに辿り着くまでに更に10分程を要してしまっていた。

 入口の前で上がった息をひと呼吸整えてドアを開けると、受付の前に並べられたソファーにはスーツを纏った2人組の男性がじっと座っているのが見えた。


 (さっきまでは誰もいなかったのにな)

 ともあれ、万一自分のせいで余計に待たせてしまっていては申し訳ない。そんな事を思いながら2人の横を通り過ぎる。

 すると、そのうちの1人が俺を横目でみやり、隣の男の肩を叩いて視線をこちらに集めてきた。

 

 ……なんだ?

 俺に向けられた4つの瞳は、どう贔屓目ひいきめに見ても好意的なものとは思えない。それどころか何かを見定めるような視線を浮かべて受付と俺の間を忙しなく行き来させている。


(まさか、会社から来たのか……?)

 社長たち差し金、そう思い至った瞬間体が戦慄わななき、反射的に背を向けそうになった。

 しかし今更引き返して逃げれば、俺はこの先の頼みの綱を半分無駄にすることになる。ぎりぎりで怪しまれない範囲で体勢をもとに戻し、歩を落として考える。

 あれが会社の人間だとしても、俺を捕える為に内情を全てここのスタッフに晒している訳ではないだろう。ここは連中の息が掛かっていないどころか、ライバル企業の系列会社だ。事情を知らない人間の前でうかつに騒ぎを起こすようなことはすまい。

 もとより奴らが本気を出せば、俺の身柄などいつでも押さえることが出来るということはここ最近で思い知っている。下手に逃げて孤立するよりも、何も知らない第三者が居る場所の方がいいかもしれない。

 最終的に強硬手段に出られる可能性は拭いきれないものの、前提として分析の結果を聞かない事には、俺は次の算段を立てる事すらままならないのだ。

 どうあってもリスクが生じるなら、リターンを得られる可能性に掛けた方がマシ。大きく息を吸って吐き、精いっぱい余裕のある素振りで俺が受付のデスクに手を置くまで、2人の視線は背中を追ってきていた。


「遅くなって申し訳ありません」

「は、はい。石井様、お待ちしておりました」


 心なしか、受付の声が上ずっている気がする。やはり、後ろの二人は無関係という事はなさそうだ。……とするとこの反応は、何かしら俺のことを話したか。

 例えば、研究資料を無断で持ち出された、とか。


 ――カマ掛けてみるか。

 俺は半身になり、わざと声のボリュームを若干上げた。


「ご迷惑をおかけしたんじゃないですか?」

「あ、いえ。その」

「あの人たちまで待たせてしまった、とか」


 返答を待たず続けてちらりと後ろに視線をやると、受付の目が一瞬大きく見開かれた。

 ビンゴ。俺が受付の反応を待ちながら次の一手を考えている最中も、後ろの2人組は動こうとしない。

 あちらも動き方を伺っているのか。しばらく続いた奇妙な膠着状態は、受付の後ろに備えられたドアが開いたことで終わりを告げた。


「……石井様、お待たせいたしました」


 そこには、検査結果が書いてあるであろう薄い茶封筒を持った白衣の研究員が立っていた。俺の後ろで椅子が地面を擦る不快な音が鳴り、そのやかましさで後ろの2人が気色ばんだ様子を伝えてくる。

 研究員はそんな2人へ俺の肩越しに一瞥をくれると、嘆息をついてこちらを見返した。


「こちらはご依頼いただいたお客様の大切な情報です。ご説明は別室で」


 ――そちらの方々もそれでよろしいですね?

 俺が反応する前になぜか後ろの二人に声を飛ばす白衣の男、一瞬の間を持って2人組の片方が何かを得心したように頷いた。

 なんだ……?今の質問……。

 謎の対応に疑問を覚えながら、俺は研究員に案内されるままに階段を登って行った。






 ※     ※     ※






「わたくし、研究員の西山、と申します」


 案内されたのは階段を2フロア分登った先の、簡素な応接間らしき部屋だった。

 俺が引かれた椅子に腰を下ろすと、目の前に封筒を置いた彼が立ったまま名刺を渡してきた。


「これは、どうも……」


 反射的に内ポケットに手を伸ばしたものの、肩書を失った今の俺に名刺はない。空手のまま懐から戻す腕に手持無沙汰を覚えながら、一応名前だけを名乗り非礼を詫びた。


「構いませんよ。お客様のような方は珍しく有りませんから」


 ……名刺を持たないことが?

 頭に浮かんだ疑問が顔にも出ていたようで、西山と名乗った男は眼鏡の奥の糸目を更に細ませて、いえいえ、と笑った。


「最近では会社ではなく、お客様のように個人で成分分析に出される方も増えてきたという事です。御自身の体に入るものですから自分で調べなければ気が済まないのでしょうね」


 以前よりもずっと検査料も必要なサンプル量も手ごろになりましたし。そう続ける彼のげんにああなるほど、と納得する。


「ですからお気になさらず。わたくしの名刺だけお納めください」


 俺が名刺を懐に収めたのを確認して、彼も向かいの椅子を引く。


「それでは、資料のご説明をさせていただきます」


 短く切りそろえられた爪で封筒のから資料を出し、綴りを繰って何やらグラフの書かれたページを開いてこちらに向けてきた。俺が紙を注視したからか、彼も俺から自身の指先へと目線を変える。


「まず前段階として、当社所有のクロマトグラフ……いわゆる物質を成分ごとに分離する装置ですね。こちらを用いての分析を行った結果、当方に提出された固形物はお客様のおっしゃる通り動物の肉であることがわかりました」


 説明と共に指差されたグラフの上部には、タンパク質や水分、ナトリウムやマグネシウムといった俺でも見覚えのある名前の下に細かい数値が刻まれていた。やはりか。


「そして次に」


(……?)

 彼が一度言葉を切った時、閉じられた入口の向こうで微かに物音が聞こえた気がした。れ掛ける俺の注意を引き戻すように、彼は少しだけ声のボリュームを上げて続ける。


「……この肉種を判別するために、DNA分析用マイクロチップ電気泳動装置による分析を行いました」


 ここで初めて彼の指が下半分のグラフに動く。そこにはX軸と平行に書かれ、ある地点上方へとで急激に跳ね上がっている線が何本か描かれている。


(ビーフにポーク、チキン……よくわからないけど、この線が跳ね上がっている地点の違いで、肉の判別をしているのか)

 ピークに書かれている英単語を読み解いてアタリを付ける。しかしその中に1本、赤くラインを引かれて単語が書かれていない線が存在しているのを見つけた。


「こちらが、お客様の持ち込まれた肉のBpなのですが……」


 そこで言葉に詰まり、言い澱む彼が俺から目を外し、何かを確認するように視線をドアに向ける。


(なんだ……?)

 何か、ただならぬ雰囲気が俺を取り囲み始めている感じがする。しかし結局その感覚の正体が掴めないまま、俺は彼の言葉の続きを待つしかなかった。


「上に示されている通り、こちらのピーク地点の差異で肉種の判別を行うのですがね。一般的に流通している食肉のいずれとも符合しないんですよ」


 そう説明を締めて彼はゆっくりとこちらに顔を上げた。薄く開かれた糸眼には明らかな疑念の色が浮かんでいる。


(まぁ、出所不明の肉を持ち込めばこれくらいは怪しまれるか)

 対して俺は冷静――というより、そんなことかと半ば拍子抜けしていた。なぜなら、この回答も半ば想定済みの物だったからだ。市場に出回っているような手軽に手に入るものならば抑止力としての意味はない。


「それで、どの動物の肉かは分か――」

「それねぇ、なんだわ」


 ドアが開け放たれ突如後ろから響いた声。それに弾かれるように振り返ると、そこには先程の2人組が物々しい様子でこちらを睨みつけていた。

 反射的に椅子から体が浮き上がるが、ここに来てようやく俺はこの別室に通された真の意味を理解し、同時にここに案内されることで緩めた警戒心を悔やむ。

 この部屋の出入り口はたった1つしかなく、その戸口には2人組が重なるように立ちはだかり、戸口に手を着いている。

 窓から逃げようにもここは3階。何の考えもなしに飛べば、まずタダでは済まない。つまり今の俺は――


(袋のネズミか……!)

 顔を歪める俺に向かって2人組の片割れ、無精髭を貯えたほうの男が意地悪く口角を上げ、内ポケットから縦長の手帳を取り出す。ドラマとかでよく見る、だ。


「ちょっと、署でお話し聞かせてもらえるかな?」

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