27『予期せぬ再会は大体よりにもよってなタイミング』
会社とは反対方向、都心方面に向かう電車に揺られながら、俺は落ち着きなく辺りを見回す。
基本的にカレンダー通りの休日しかない会社……元、会社か……に勤めていた俺とって平日の昼に電車に乗るのは本当に久々だった。スーツ1色に埋め尽くされていた朝とは違い、今は向かい側の車窓が望める程空席が目立つ車内。私服の年寄りと子連れの主婦が点々と座っているだけだ。
……
(さて、探すにしても地域をどこにするか……)
端末から流すアルレディで雑音を遮り、車輪が一定のリズムでレールの切れ目を越えて立てる軽い音と振動を窓に着けた後ろ頭で感じながら、俺は次に住まう場所を考え始めた。
東京に位置するここから最大限距離を取るとなると、北海道か沖縄。だが限りある資金で海を跨ぐ引越しを行う事は得策ではないように思えるし、どちらにもうちの会社の支社があった筈だ。
単に距離だけ考えるよりも、なるべく点在する支社から離れた場所が望ましいだろう。
(っと、着いたか)
新宿の1歩手前で電車を降りる。ここは学生時代乗り換えに良く使っていた駅だ。下手に新宿まで進むより人の目は少なく、かといって栄えていない訳でもない。渋谷への乗り換えもあるが、新宿に行かずここを経由するメリットはあまりないので会社の人間に見られる事もないだろう。
改札を抜けて少し歩いたところにあるネットカフェの扉をくぐる。駅からは多少やはり平日の昼間とあって店内は閑散としており、サボり学生と思しき私服の若者たちとリーマンだかがちらほらとブースにいるくらいのものだった。
喫煙席ともなると更に顕著で、ブースのドアを閉めてしまえば端末の駆動音すら気にならない。
(まぁ、ここならだれに会うこともないだろう)
OSが立ち上がるまでの間にコーヒーを取ってきて啜り、煙草に火を点ける。香りを口の中で混ぜた後、モニタに紫煙を吹きかけながらブラウザを起動した。
さて、どの辺りにするか……。検索エンジンで1番上に表示された不動産賃貸のサイトをクリックし、地域を指定するプルダウン・ボックスにポインタを合わせて手を止めた。
電車の中で考えた通り海を越えるのはなし。
結局、新しいタブを開いて会社の公式サイトを平行に表示させることにした。『会社案内』のページに表示されている日本地図を模した簡略図形に、会社の位置がピンク色の点として表示されていた。流石は急伸企業筆頭というべきか、主要な都市群は余すところなく大きな支社が存在している。
(離島は除くとして……東北の山形と新潟、あとは福井と富山辺りが多少手薄か)
咥えていた煙草を灰皿に置いて先端の灰を落とし、今度は物件の検索ページに移って、最初に浮かんだ山形の物件を探してみる。地域は問わないが、あまり人里離れた場所だと再就職に障る可能性もある。しばらく悩んだ結果、とりあえず家賃に上限を設けて検索のボタンを押した。
「あ、こんなに出るのか……」
思わず声が出た。適当に、というか半分冗談のつもりで今住んでいる社員寮に設定されている家賃の半額を設定したのだが、思った以上に多くの物件がヒットした。中には特急の停車駅から徒歩5分、なんてアパートもある。東京以外の物件を探したのは初めてで、地方は案外そんなもんなのか。それとも、全額支給される住宅手当に、感覚がマヒしていたのか――。
ともあれ思わぬ収穫に胸をなでおろすと同時に、どこかのブースからがたん、と何かが動く音がして、俺は反射的に辺りを伺ったが、特段それに続く反応はない。
(大声だったかな?)
声量はそこまで大きくなかったはずだが、とりあえず咳をひとつ払ってモニタに向き直る。
物件紹介は10ページ以上も続いている。候補が多い事自体は喜ばしい事なのだが、これではめぼしいものを選ぶのも一苦労だ。ひとまず更に『特急停車駅から徒歩10分以内』という条件を付け加え、再度検索を試みる。
(3ページ、30件か)
この程度ならば1件ずつ見ていってもいいだろう。
「――げ」
腰を据え直してカップを持ち上げ口に運ぼうとして、ふと中に目を落とすと、といつの間に入った煙草の灰が浮かんでいた。
咥えている最中に落としたか。しぶしぶ俺は立ち上がりブースを出ると、ドリンクサーバーへと足を向けり。
(先客がいるな)
気分転換に冷たい飲み物でもと考えていたのだが、その前には既に薄いピンクのカーディガンを羽織ったゆるいパーマの青年が立っており、備え付けたグラスにコーラを注いでいた。
すでに7分方注がれているので、少し待てば空くだろう。俺の予想通りすぐにサーバーの音が止み、青年が泡立つグラスに手を伸ばすのが垣間見えた。
(って、あれ……?)
身を
「「あ」」
俺と目の前の青年、反射的に出した2人の声が重なる。しかし、目を丸くする俺とは対照的に、青年はどこか得心した様子で穏やかに微笑んだ。
「やっぱり兄ちゃんだ」
「和也……?!」
直後にどこかのブースから大きな咳ばらいが響き、声の大きさを自覚した俺たちは目を合わせてそそくさとロビーに足を向けた。
※ ※ ※
「ブースから兄ちゃんのっぽい声がしてさ」
西日の当たるロビーでコーラを飲み下しながら、ソファに腰を沈めた和也は壁にもたれかかる俺に大きな目を向けてくる。
(独り言が過ぎたか)
相変らず
「久しぶりだな」
「ああ、そだねぇ。兄ちゃんが卒業する前以来だっけ?前はちょくちょく逢ってたのにね」
首肯を返す。俺の住まうマンションと実家はそれなりに離れているので、就職依頼めったに会う機会がなかった。
(そういえば、ここはあいつの通学路でもあるのか)
というか最寄駅か。何故俺は失念していたんだろう。駅に名前がついているというのに。
……それにしても。
改めて和也の顔を見やる。久しぶりに見る弟は、元来の中性的な顔立ちに年を経た精悍さが備わり、俺とはもはや同じ兄弟とは思えないほど顔つきが異なっていた。一応俺と遺伝子は同じはずなのだが、暮らしぶりによってここまで顔つきが変わってくるものなのだろうか……。
「そういえば、兄ちゃん今日は会社休みなの?」
ぼーっと和也の顔を眺めていた俺に突如向けられ一瞬固まる。ある意味今一番聞かれたくない問いかけ。見れば和也は少しばかり不思議そうに眉を潜めている。
今日は水曜日、平日も平日。しかも真昼間に兄を見つけたことを、俺の職種を知っている和也が疑問に思うのは至極当然だった。
「あー、有給、だよ。そう、うん、有給」
「へぇ」
若干しどろもどろな回答にも信用されているからなのか、特に興味はないのか、和也はその相打ちひとつで顔に浮かんだ疑問符を消した。
「和也は?」
「あー、急に3限が休講になっちゃって。ゼミまで時間潰しているとこ」
他の友達はサボるって帰っちゃったけど、と付け足し苦笑する。昼休みを跨いでゆうに3時間以上あるだろうに、仮に俺がその立場なら当たり前のようにその友達と共に帰るものだが……つくづくこの兄とは正反対に真面目な性格である。
「そっか、相変わらず頑張っているんだな」
「兄ちゃんは最近どう?」
またも痛いところを突かれ、コーヒーを啜る手が止まった。まさか『知らぬ間に働いている会社で人体実験の被検体にされてました』などとは言えたもんではない。
……とはいえそれをぼかしたところで、『会社に反抗して首になりました』とはある意味それ以上に言えない事だ。
返答を探しあぐねてしばらく黙っていると、和也がいつの間にか腰をかがめていて、
(こいつ、たまにオカマみたいなしぐさするよなぁ)
年相応の凛々しさは加わったものの、
まさかこいつ、その道に進んではいまいな。
「兄ちゃん?」
「あ、ああ。悪い」
返答することからの逃避か、いつの間にか明後日の方へ思考を向けていた。それが表情にも出てきたのか、和也は先を急かすようにせっついてきた。
「んー、まぁ、少し仕事がうまく行かなくて、今日はリフレッシュもかねて有給取ったわけさ」
「仕事……?医薬品の営業さん、だっけ?」
不案内そうに尋ねる和也に首肯を返しておく。いくら聡明な我が弟といえど、業界の内部事情まで詳しくはないだろう。
「まぁ、大した悩みじゃないんだけど、疲れ溜まってたしね」
反応を待たずに続ける。これでも更に突っ込まれたなら、適当な専門用語を並べておけばいいだろう。
「そう、それならいいんだけど……何かあったら相談のるよ?」
なおも不安の色を浮かべてこちらを見る和也だったが、それ以上の追及はなかった事に胸を撫で下ろす。
しかしこれではどちらが兄かわかったものではない。まぁ実際、俺よりも数段しっかりしているのだが。
「それより、お前はどうなんだよ。最近」
なんとか兄らしく振舞おうとしたが、この切り出し方ではまるで会話に困る父親だ。
「とりあえず今年の考査で問題はないし、特待生奨学金も継続、来年は短期留学に申し込もうかと思ってる」
もちろんこれも全額学校持ちさ、そう胸を張る和也は本当に誇らしげな顔をしていた。なんというか、兄貴風を吹かせようとした一瞬前の自分が恥ずかしい。
「相変わらず順風満帆だなぁ」
「我儘で大学行かせて貰ってるんだから、家の経済逼迫させるわけにもいかないしね」
大学に通うなんてことは当然の権利と捉え、感謝のひとつもした試しのない俺の頭では、逆さに振ってもそんな考えは出ないだろう。思わず半開きの口からはぁ、と息が漏れてしまう。
「母さんも心配性だし、これくらいしないとさ。そういえば――」
「俺は戻らんぞ」
半ば呆けていたが、和也の言葉の先を予測した頭が反射的に和也の論を塞いでいた。心配性、という言葉で俺が一向に実家に戻らず親の気を揉ませている事でも思い出したのだろう。
どうしてこうもおせっかいな連中が周りに集まるのか……。ぴしゃりと口をふさがれた和也が憮然とした面持ちを浮かべる。
「今更お前みたいに期待に応え続けるなんて、うまくはやれないよ。そもそも26年間出来た試がしない」
「……父さんと反りが合わないのは解っているけどさ。母さんまで心配させることないでしょ?毎日のように俺に訊いてくるよ。あなたとなら連絡を取ってるんじゃないかって」
和也のそんな言葉を聴いて、俺はあの開封していない数々のメールが、本気で俺を心配してのものかもしれないと感じ始めていた。
確かに俺と和也はこうして顔を合わせれば会話は弾む、かといって連絡を取り合ってまでコミュニケーションを図るほど親密な立ち位置ではない。それでも僅かな情報を求めて母親が和也に縋っているのだとしたら、ひらがな交じりの不慣れなのメールもポーズではない。という事なのだろうか。
(だったら、なおさら今顔を出すわけには行かない)
何せ当の本人はこんな状況なのだ。
「……兄ちゃん?」
黙り込む俺に和也が再び不安げに声を掛ける。俺はそれに応えずにレジへと歩き出した。
「ちょ、ちょっと?」
「まぁ、これからも親を喜ばせ続けてくれたまへ。石井家の期待の星よ」
背を向けたままわざとおどけた口調で歩を早める。カップを持ったままの和也は出口方面に歩き出す訳にもいかないのだろう。
「何かあったら、いつでも連絡してね!」
おいおい、漫喫でその大声は迷惑だろうに。多少の呆れと僅かな感謝を胸に抱いたまま、それでもなお振り返らずに、右手だけ上げてそれに答えた。
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