9『丸めこまれる客寄せパンダ』
「この事故でお……私は全身に火傷を負い、また救助まで長時間の酸素欠乏により脳を損傷。それが記憶の欠落の直接的な要因です」
再生が終わっているはずの背中の皮膚に疼きを覚えながらも、つらつらと話す俺を見ながら、院長は俺の反応やしぐさを探るようにじっと見つめ、時折なにがしかキーボードを打ち込んでいる。
実の所、事故の起きた飛行機の便や怪我の詳細は意識が回復してから見たニュースや、看護師の話から聞いたものだったが、さっき口からこぼれた友人の名前と違って、これが自身の記憶だという確信がある。意識を失うまでに肌を焼いた熱、ひしゃげた体中から訴えてくる痛み、辺りから響く諦め混じりの叫び。そういった『俺に降りかかった厄災』の輪郭がはっきりと思い出せるからだ。
「藤沢総合病院にて意識を取り戻したのはおよそ1月後の9月23日。皮膚の再生治療と術後のリハビリを経て12月20日、午後2時退院」
そこで院長はキーボードから手を離し、体ごとこちらに向き直った。
「日付も正確、答弁もはっきりしている。時間までよく思い出したものだ」
「そりゃ、あれだけニュースになれば、日付も覚えるというものです」
カンニングを正直に白状して息を吐く。単に飛行機の炎上、というだけで連日ニュースを騒がらせれる訳ではない。あの事故にはもっとマスコミが興味を持つあるファクターがあった。
「病院を出た途端、レポーターの大群が押し寄せてくるんですもん。いきなり訳が分からなかったですよ。芸能人のスキャンダルじゃないんだから……」
「最新の治療を受けた事故唯一の生存者。その第一声を押さえたくて必死だったんだろう」
苦笑を浮かべながら返してくる院長が、ふと思い立ったように話題を変えた。
「ああ、先の君への解答に捕捉をしておこう。もともと君の知りえなかった情報だ。知ったところで治療に支障が出るわけでもないだろう」
「?」
少し出し惜しむような彼の口調に首を傾げる。
「……何故君が三吾社長に重用されるのかと、私が君の治療を買って出る理由さ」
目を見開く俺に対し、彼は日常の些細な出来事でも語るかのような気軽さで、組んでいる足を入れ替えながら話し始めた。
「君の治療に用いられた薬品や機器は、すべて彼の会社のものだ。彼は事故直後、ALAの大株主としてコメントを求められた際、わざわざ記者会見を開いてまでそれを大々的に発表したんだよ。君を充分な設備の揃うここに転院させて、先端医療を施すとね」
院長はそこで一度言葉を切る。こちらの様子を伺っているようだったが、俺にはそれが何を指すのかわからず、黙って続きを待っていた。
「あの事故で唯一助かる見込みがあった患者とはいえ、映し出された惨状から君が死に瀕していたのは誰の眼にも明らかだった。いったいどのように治してみせるのか、と――しかし君は見事に回復を遂げ、マスコミの前に姿を現した」
自分の表情が曇っていくのがわかった。要するに三吾社長はあの事故と俺を広告塔として利用したということか。
「……一応付け加えておくと、彼の会社とこの病院の付き合いは事故の前からある。それにBE=SANGOはALAの大株主だ。仮にそんな事情がなかったとしても、医療関連企業として何もしない訳にはいかなかっただろう」
俺に助かる見込みがあったにせよなかったにせよ、BE=SANGOはイメージダウン回避の為に医療的な支援はせざるを得なかったというわけだ。つまるところ――
「どの道彼の会社のもので治療を受けるという点に変わりはなかったということだ。私が今言ったことは彼も記者会見で包み隠さずに語っているよ。君が意識を取り戻す前にね」
勝手に思考の続きを引き継いできた彼の言葉を聞いて、俺は三吾社長に一方的に利用されたわけではなく、ある程度フェアな立ち位置にいたことは理解した。回復する前にそんな会見をおおっぴらに開いて、もし仮に治療が成功せずにあっさり死んでしまえば何もしないよりも深刻なイメージダウンに繋がる。世の中には社長が記者会見を開くまでALAの株をウチが持っている事を知らなかった人間だっていただろう。それをわざわざ周知するような真似をしてまで彼はそのリスクを背負ったということだ。
さらに付け足すとするならば、俺が処置を受けてから退院するまでの一切の間、病院から治療や入院に掛かる費用の請求を受けた記憶がない。先進医療をこれでもかとばかりに受けたのだから、俺が加入しているいたって普通の生命保険ではとても賄いきれはしないだろう。実家からも連絡がなかった事から察するに、一切の代金を誰かが負担したということになる。
(かといって……)
それですべてがすっきりした、という心地にはどうしてもなれなかった。そんな俺を見て、院長がフォローを付け足す。
「それに、君を使って名声を上げたというのならば私も同罪だ。術後の会見には私も立ち会ったのだからね。だからこそ私はこうして君の術後のケアとカウンセリングを引き受けさせてもらっている」
「そんな。俺が院長の病院に運ばれたのは必要な設備があったからってだけで……それに社長がそんな発表してしまったら、病院としてその場に同席しない訳にも」
「結果としては変わらんさ」
俺のフォローを遮ってまで、彼は自分に非がないことを頑として認めないようだった。流石にそこまで責任を感じられてしまうと、なおもへそを曲げ続けるほうが聞き分けのない子供の対応に思えてくる。目の前の壮年の男と比べ、自分が一層小さくなった気がしてきた。
「……まぁ、三吾社長にはその後会社に拾ってもらった恩もありますしね。変に有名になっちゃったせいで就活ぜんっぜんうまく行かなかったし」
わざと軽い口調で話して、雰囲気を変えようと試みると、それに応えるように彼もまた表情をいつもの微笑みへと戻していた。
「そこまで彼が予測してたかは謎だがね。話が長くなってしまった。投薬に移ってもいいかな?君が私を許してくれればだが――」
「許すも何も、院長には感謝しかありませんって」
その頑健なたたずまいに不釣り合いな冗談を笑いながら差し出されたカプセルを飲み込み、椅子に備え付けられたヘッドセットを頭に掛ける。すぐに背もたれがリクライニングして、俺の姿勢は地面とほぼ平行になった。
「さて、少ししたら眠くなる。いつものように脳波を見つつ催眠治療を行うよ」
「はい」
答えているうちにもう瞼が重たくなった気がする。カプセルでこんなに早く効果が出る筈はないのだが、条件反射というものかもしれない。
「そういえば、この薬って睡眠薬なんですか?」
微睡に抵抗しながら尋ねると、院長はマウスを操作しながら答えてくれた。
「催眠成分はもちろんあるが、どちらかというと非常に効き目の弱い自白剤のようなものだ。海馬とシナプスに作用して、無意識下の記憶を――」
まだ続きが耳に入ってきているが、加速度的に強くなる眠気に俺の頭はそれを意味のある言語へと変換することが出来なくなっていた。
柔らかいソファの、そのさらに下へと沈み込むように意識が溶けていく――。
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