6『考え事インダ夏の余韻』
「さて……じゃあ改めて、お前の興味が出るような話、してやろーか」
時刻を確認し終えて煙草に火を点け顔を上げると、気づけば鏑木の顔にはさっきのにやけた面が戻ってきていた。その顔を見た俺に早速後悔がこみ上げる。言いかけた話の続きをするつもりか。
「三吾さん、いんだろ?」
自分の顔がますます曇っていくのをはっきりと自覚する。なんでここでもあやつの話をせにゃならんのかと。これが狙いでわざわざ度数の低い酒を頼んでまでチェックを後回しにしたのか。運ばれてきた枡を煽って、頭をわしわしと掻きながら仕方なしに続きを待つ。
「まぁそう邪険にするなって。彼女、お前に気があるみたいだぞ?」
「……はぁ」
――はぁ?
惰性で生返事を返した直後、頭が一瞬白くなった。必死に口を噤まなければ漫画みたいに吹き出していたところだ。
「いやいやいやいや!」
無理やりに嚥下し、息を整えながらなんとかそれだけ叫ぶと、鏑木は面白くてたまらないとばかりに手をたたいた。
「佐原先輩がこないだ言ってたんだよ。悔しそうだったなぁあの顔。傑作だったけど」
「ない、それはない。何かの聞き間違いだ」
断固として否定する俺を見て、鏑木はいよいよ目の端に涙を溜めてまで笑い転げる。
「照れんなって。喧嘩する程ってやつだろ?」
その後幾度となく否定を繰り返したものの、鏑木は照れ隠しはほどほどにしろだの、本人の前では表さないだけだだの、終いにはお前が鈍いだけじゃないか等とのたまい、一向にこちらの意志に賛同してはくれなかった。
普段の俺と三吾を見ていれば、何より懇親会での一件を知っていれば謙遜でも照れ隠しでもない事くらいわかると思うが、いったいどんな事実が鏑木をここまで頑なにしているのだろうか。今や彼は呼吸困難の様相を呈してまで床に伏せって背筋を痙攣させている。
その態度に苛立った俺は、反論の代わりに煙草に火をつけて紫煙を思いっきり吹きかけてやった。
「な、にしやがる」
「お前のそのしぐさが気に食わん」
未だに笑いを引きずりながら咳き込む鏑木がやっとのことで起き上りテーブルに直ると、改めて口を開く。
「じゃあ教えてやるよ。前に赤伝の切り間違えでお前達揉めたろ?」
「うーん」
記憶を探るが明確に思い出せない。何せ彼女とは毎日のように顔を合わせては険悪になっているし、課内で際立って暇な俺は他人の事務手伝いをしている方が多いので、赤伝票のミスなど数知れない。心当たりがありすぎる。とりあえず首肯を返し続きを待った。
「そのあとインチョセンセに呼ばれてお前外行ったじゃん」
「うん」
これは覚えている。鏑木のいう『インチョセンセ』とは俺の唯一の取引先の事である病院の院長の事だ。数少ない俺自身の仕事をこなした日は流石に忘れない。という事は、鏑木が話そうとしているのは先月の出来事という事になる。
「お前がオフィス出てった後、彼女も廊下に出たんだよ。で……一人こう呟いたそうだ」
人差し指を立てるジェスチャー付きで、鏑木はまるで名探偵が推理を披露する時のようにもったいぶって言葉を切った。無言で目に力を込めて先を促す。
「『なんであんな奴をミエは好きになったんだか』とさ。それを偶然佐原先輩が聞いちゃったって訳」
話し終わって満足げにお茶を飲む彼と対照的に、俺は黙り込んでしまった。
偶然立ち聞きしたのが佐原先輩以外、というならばまだ反論のしようがあるが、あれだけ彼女に熱を上げていて且つ俺を敵視し、おまけに言えばあれだけのアプローチをふいにされてもまだ続けるポジティブ根性の持ち主だ。
それがわざわざ鏑木に愚痴をこぼすというのが却って真実味を増している。そして、ミエという名の社員は俺の知る限り彼女ひとりである。まさか彼女の友人ということもあるまい。プライベートでは姿を見る事すらもないのに、俺が彼女の交友関係に影響を及ぼしてるとも思えない。
「な?」
「なにが、な?だ」
考え込んでいた俺がふと顔を上げると、鼻息が掛かるかと思うくらい近くに鏑木の顔が近付いていた。とりあえず身を乗り出しているその頭を伝票差しで叩く。
「やっぱなんかの間違いだよそれ。好かれる心当たりまったくないもん」
角が当たったのか、思いの外身をよじり痛がる鏑木をわき目に、店員に勘定を頼むと、威勢のいい声と共にすぐにカルトンを片手にこちらにやってきた。周りを見ればいつの間にか客はまばらになっており、俺たちが思いのほか長居していたことを知らせてきた。
「あれだよ、好意を向けられると自分も意識してー……ってやつ?しかし自分の事を名前で呼ぶってのは、彼女のキャラにしちゃ意外だよな。でもいいなぁ、うまくいけばお前、逆玉ってやつじゃん」
一人で勝手に話を飛躍させてる鏑木を無視し、時計に目をやる。
「……鏑木、時間大丈夫か?」
「今日は母さんの世話を任せてあるから――」
「いや、そうじゃなくて」
腕時計を指さし、鏑木が目を落とすなり素っ頓狂な声を上げる。
「終電まで十分ねーじゃねえか!」
俺と違って鏑木の自宅は遠く、ここから2回乗り換えた私鉄の下り、それもかなり終点近くから通ってきている。明日は土曜日なので本来は休日のはずだが、結婚間近の彼は休日も惜しまずに仕事に精を出す気なのだろう。
「とりあえず、ここは俺が持つよ。早い結婚祝いじゃないけど」
俺たちのやり取りする間律儀に待っていた店員の持つ受け皿にカードを置き、踵を返す背中に続く。
「そんなんいいって、誘い出したのは俺だしさ」
「気にすんな。祝儀から引いとくから」
慌てて後をついてきた鏑木とありきたりな押し問答をし、半ば無理やり財布をしまわせながら外に出る。駅中ではないといえ、ここからホームまでは五分と掛からないはずだ。
※ ※ ※
「あ、コンビニ寄らないと」
その一言振り向くと、急いでいるはずの鏑木が駅とは逆隣に位置するコンビニのドアを潜っていた。慌てて後を追い、栄養ドリンクの棚で立ち止まった奴の襟首を掴む。
「地元着いてからでもいいだろ?」
鏑木の実家がどんな田舎かは見た事ないが、このご時世コンビニの1件や2件どこの駅にも併設されている。わざわざ帰れなくなるリスクを追ってまで行く必要があるのか?
「すぐ終わるって、それに――」
そんな俺の咎める声に全く動じず向き直る鏑木の右手には、見覚えのある緑色の小瓶が握られていた。
「これ、うちの近くに売ってなくてさ」
テュエ・リヴェだ。そういえば売り場に提げられたポップに地域限定で先行販売とか書いていた気がする。
「これ、そんな美味いか?」
レジに向かう鏑木に問いかけると、彼は眉根を潜めて俺の右手目がけて指を伸ばした。
「いや、お前も買ってるじゃん」
「え」
思わずうろんげに答えつつ指さす先をを見ると、何時の間に取ったのかテュエ・リベが握られていた。自分でもあまりに自然に買おうとしたことに、少し不思議な感覚を覚える。
(まぁ、あって困るものじゃないか)
わざわざ戻しに行くのも面倒くさい。鏑木に続いて会計を済ませ、深夜勤のやる気のない接客に見送られて外に出ると、鏑木の歩が早まった。そろそろ本当に時間が限界らしい。
「そんじゃな!三吾さんのこと、確かめとけよ!」
「どうやって――」
こちらの返答もロクに聴かず、彼はそれだけ言い残して改札の向こうへと消えて行った。仕方なくその続きを喉の奥に下し、駅を後にする。時計を見直すと、23時を少し回ったところだった。――歩いても日付が変わる前には帰れるか。
奴と違って明日の仕事はない。ついでに言えば予定も白紙だ。腹を決めて端末にイヤホンを差して、自分たちと同じく赤い顔をして列を成すタクシー乗り場の人々を横目に歩き出す。
(お、Alkaline Ladyの『スズカケノキ』か。四枚目だっけな)
プレイヤーのショートカットを押した途端、結成当時、俺が高校生の時からずっと追いかけているバンドの一曲が流れてきた。歌詞こそ深く重いが、のんびりと歩くにはちょうど良いテンポと曲調が心地よく耳を支配する。
(やっぱいいわ。ちょうど今の気分にかっちりとハマる。ベスト入るかなぁ)
そんな端末の気まぐれに感謝して、ランダム再生の範囲をそのバンドだけに絞って歩を進めていく。
『AD,3145』現在のバンドのイメージを象徴する重厚なサウンドで近未来の世界を描いたミドルバラード。
『Lamplight Of Season』名盤といえる4thアルバムのシングルカット、思えばライブに初めて赴くきっかけになった曲。
『幸福な死者に』一番好きなナンバーだが……。
(っと。そろそろ温くなっちゃうな)
歩調に合わせて次々流れてくるメロディーに思いを馳せているうちに、気が付けば大通りを抜けて家にほど近い小道へと入っていた。ポケットからテュエ・リベの便を取り出す。
街灯に中身を透かしてみると、瓶の緑色がそのままの色調を残したまま透過している。ということは、どうやら大した色はついていないようだ。蓋に手を添えスクリューに力を込めると、指を伝わってくき、という小気味のいい音が聞こえた。口に近づけると栄養剤特有の、なんとも言えない医薬品臭さが鼻をついた。
(普通のドリンク剤より濃いな。けど嫌いな味じゃないか)
改めて賞味してみると、飲み下した後も甘味と僅かな塩味が舌に残るほど濃い。なるほどこいつは効きそうだ。一口飲んでとりあえずは及第点の評価を下し、僅かに残る炭酸に舌を痺れさせながら再び歩き始める。夜風とドリンクの冷たさで汗が引くころ、大通りを抜けて自宅のマンションが見えてきた。
『犯人と思われる男の遺体が――』
『なんであんな奴をミエは、だってよ』
なんとなく居酒屋での会話を思い返そうとすると、すぐにニュースキャスターの顔に続いて、鏑木のにやついた面が浮かんだ。
「……まさかね」
あの三吾が俺に好意を抱いているなど、それこそ居酒屋で鏑木のぶち上げていた推論よりも突飛が過ぎる。あれだけの敵意が懇意の裏返しというのならば、それはもう心の病気を疑った方がいいレベルだ。どちらにしろご遠慮願いたい。
――素直になれないヒロインにピカレスクもののヤクザってか。バカバカしい。
B級映画じゃあるまいし。誰に向けるでもなく鼻で笑って、飲みほしたテュエ・リベをマンションの前に備え付けられたごみ箱に放り投げ、足早にエントランスを潜った。
どちらも現実味のない話で、どちらも俺には関係ない。
その時はまだ、そう思っていた。
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